遠いのは気というより星

こちらによれば、「アンドロメダ銀河は地球上から肉眼で見える最も遠い天体」だそう。その地球からの距離はWikipediaによれば254万光年。

目で見える星の中には、最も古くて254万年前の姿を今の私に届けているものがあるということ。光のはやさで急行しても254“万”年かかる距離とは「気が遠くなる」という表現ではもはや足りない。(あるいは、私が「気」を過小評価している?)

北野武・玉置浩二『嘲笑』

ビートたけし『嘲笑』。彼の歌がなぜこうも気持ちを揺さぶるのか。歌の上手さとは何か考えを改めるきっかけをくれる。

“百年前の人 千年前の人 一万年前の人 百万年前の人 いろんな人が見た星と 僕らが今見る星と ほとんど変わりがない それが嬉しい”(『嘲笑』より、作詞:北野武、作曲:玉置浩二)

百光年はなれたところにある星の姿は、百年前に存在した地球人と同時代に存在していたときの姿。百年前の人は、同じ星のさらに百年前の姿を見ていたことになる。もちろん、その星と地球の距離が変わっていない場合の話。実際には天体どうしは常に近づいたり離れたりして、距離は不定のはず。

百年〜百万年前の人が見る星と、私が今見る星にほとんど変わりがないかどうか、正直私は比べたことがないのでわからない。

地球上から見える星空の様子は、地球上のどこからどの方位を見るかでまったく異なるだろう。同じ地点から同じ方位を見ても、時期や気象条件でまったく異なるはず。空模様に、まったく同じものは決して存在しない。

ただ、百年〜百万年程度の時間経過の両端において、ある星Aを地球の同じ地点からなるべく近い条件で観察した場合はそう変化がないのは確かかもしれない。

コロナ禍というのが最近の地球上ではあった(今もか。執筆時:2021年)。経済活動がおさえられた結果、空気が澄み、かつてはそこから見えなかった遠くの自然物が見えるようになる事例があるという。そのことに気付いた瞬間、その人はさもその自然物が「突然現れた」かのように思うかもしれない。もちろん、その自然物はずっと前からそちらの方に存在していたはずで、急に出現したのではない。でもその人が得た驚きはきっと大きい。私だったら感動するかもしれない。

玉置浩二『嘲笑』。なぜ彼の歌はこうも気持ちを揺さぶるのか。歌の上手さとはなんなのか、純然たるミュージシャンのポジショニングから真っ向勝負で認識を改めるきっかけをくれる。
間奏の口笛が秀麗。ヴァイオリンとユニゾンするのはティン・ホイッスルだろうか。コンパクトで哀愁を感じる民謡チックな編成・アレンジが妙。

曲が生まれたきっかけ

Yahoo!知恵袋の受け売りなのだけれど、もともと北野武の『嘲笑』という詩があり、それに玉置浩二が曲をつけた。それを北野武本人に送り、北野武が2番を新たに書き加えたという経過らしい。根拠になる資料があれば欲しいところ。

蛇足 ソングライター目線で音楽分析を垂れる

ワンコーラスを分解すると a a’ b みっつにできる。

シンプルなのでカデンツ(音楽における句読点で囲まれたまとまりのようなもの)に目がいく。それぞれがⅠを出発してお尻のⅤに至るまでがひとつのまとまりになっている。素直な曲づけ。純朴。歌詞が際立つ。

歌の音域はどちらかといえば低い方に抜けたところがa、a’にある。玉置浩二の歌唱力については賞賛する声が星の数。その声のうち1つを、私もここに浮かべておこう。

青沼詩郎

『嘲笑』を収録した玉置浩二のアルバム『Offer Music Box』(2012)

『嘲笑』を収録したビートたけしの『Singin’Loud Ⅱ』(1993)

ビートたけしの詩集『KID RETURN』(1986年、太田出版)。楽曲『嘲笑』の元になった詩が収録されている?(参考元はこちら。『TAKESHIの、たかをくくろうか』に触れてもいる)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『嘲笑(ビートたけし、玉置浩二の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)

青沼詩郎Facebookより
“もとあった北野武の詩に玉置浩二が曲をつけて本人に送った。それを受けて北野武が2番をさらに書いた…というような経緯で生まれた曲らしい。Yahoo!知恵袋の受け売りなので確かなのか根拠もわからない。
そもそもビートたけしが歌った作品をいくつも出しているということに私が気づくきっかけになったのは『TAKESHIの、たかをくくろうか』という曲だった。谷川俊太郎展で私はこれを知った。こちらは作詞が谷川俊太郎で作曲が坂本龍一。
ビートたけしが歌ったものを集めたベスト盤がサブスクにあり、それに『TAKESHIの、たかをくくろうか』も入っていたので聴いていたら、特に気に入るものがあった。それが『嘲笑』だった。なんていい曲なのかと思い、玉置浩二との共作と知った。
時間の流れにともなう変化を自分ひとりの視点でとらえたら、せいぜい80年間とかそれくらいの規模。でももっと長く広く大きい規模で見たって、星空の様子はそう変わらない。「いつ、誰が見ているか」なんてことは、悠久の星空にとっては些事なのだ。
言われてみれば納得なのだけど、視点やものさしの規模を変えて星空をとらえることに気づくのは、いつ誰にでもたやすいこととはいえない。さすがの鋭い察しだと思う。
そんな詩への玉置浩二の感動が行動になって曲が生まれたんだとしたら、とても奇跡みたいでもあるんだけれど、それもやっぱり星空の前では些事かもしれない。今私がここにウンタラ垂れているのなんてなおさら些事だ。
あれもこれも、所詮この星で起こる一瞬の「些事まつり」。それもいいじゃないか。”

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