漫画が好きだ

家に鳥山明『ドラゴンボール』(1984-1995)があった。5歳年上の兄のコレクションだった。それらのコミックスを、私は無意識に読んでいた。当時は意識があっただろうけれど、意識の記憶が抜け落ちると無意識になってしまう。過去の私にだって意識はあっただろうに、現在の私によって、過去の私の真実は改竄されてしまう。事実と真実は別ものだ。

漫画が好きだ。私はたいてい、漫画を浅く読んでしまう。ある人は、私とは全然違った漫画の読み方をしていると思う。私の尊敬する人が紹介する漫画を読んでみるに、おそらくその人がその作品を紹介した理由は私がその作品を読んで感じるところとは別にあるんだろうなと想像する。気が散ってしまう。だから、読む漫画は自分の思いつきで選ぶ。

漫画が好きだ。少年期の漫画の読み方と、最近の私の漫画の読み方はぜんぜん違う。観察点がまるで変わった。漫画を読む態度は見た目にはほとんど違わないだろう。神様が漫画を読む私のことを見たら明らかに「変わった」と指摘するであろう点は、媒体の差異だ。近年は例えば「LINEマンガ」ほか、スマホアプリで漫画が読めてしまう。

変化をもとめて 夕方の吉祥寺

スマホ読書体験はそれとして、紙の本を買う。本屋をうろついて買うのが好きだ。だから、店頭の陳列や棚模様(そんな言葉あるだろうか)は重要。そこに出会いがある。

たまらなくつまらなくなると、私は本屋へ行く。そのことに無自覚なのだけれど、多分そういうことだと今思った。本屋に行く時の私は、多分何かに「たまらなく」なっている。

そんなふうにして、昨日も吉祥寺に出かけた。楽器屋に用があったのだけれど、それは動機のうちのひとつで、きっと昨日も私は何かに「たまらなく」なった。変化が欲しかったのかもしれない。

吉祥寺にはジュンク堂書店がある。店頭の品数の多さが魅力だ。出会うならこの本屋だ。ほかにも好きな本屋はたくさんあるけれど。

狭い店では、それだけ厳しいふるいにかけられたタイトルが店頭に出る。どこにでもあるタイトルもなかには見受けられるけれど、それ以外のわずかな取り揃えの違いが、狭い店にとっては武器になる。そのたったひとつのタイトルと、たったひとりの客(私)との出会い、その尊さは店の大きさでも本の値段でもはかれない。ジュンク堂の店頭タイトル数の多さを語ろうと思ったら、逆にそこにハンディのあるお店の話になってしまった。ハンディは武器にもなる。埋もれさせるものの点数が少ない方が、武器はつわものと出会えるかもしれない。

このブログにも変化がほしかった

このサイトを、音楽ブログとして運営している。でも、私は雑多な人間だ。中身がちらかっている。私の脳内本棚のとりとめのなさときたら、エリアマネージャーとかに怒られるレベルだ。エリアマネージャーって誰だ。

音楽ブログとして、今年(2020年)の5月くらいからこのブログを運営してきたけれど、当初から音楽コラム以外にも「本」「たべもの・のみもの」についても書くつもりがあった。分野不問のエッセイ(未満)ブログ。でも、一番太い柱を努めて持った。それが「音楽」だった。これは、私の生きる柱にもなっている。

漫画『音楽』大橋裕之

何かにたまらなくなって、出かけた夕方の吉祥寺のジュンク堂書店。その本棚で見つけたのが、大橋裕之音楽 完全版』(2019年、株式会社カンゼン)だった。

「完全版」の名のとおり、標題作含む発表済みの2005年〜2009年(「プロローグ」は書き下ろし)の大橋裕之の作品集。書店の本棚で、表紙が目を引いた。何よりも、そのタイトル。私が、自分の生きる柱にしているそのもの「音楽」の2文字。このインパクトがでかい。

大橋裕之『音楽』は、バンドをやるヤンキーの話。主人公の研二たち三人が組んだバンド・古武術は、田舎町のロックフェスに出る。それを見守る同級生、亜矢。高校3年生の夏。

研二が「後輩の部屋からパクってきた」楽器は適当。ベースが2本と、フロアタムとスネアドラム。研二は、おそらく音楽や楽器に関して無知だ。でもこれがいい。ドラムスを担当する朝倉が「寝転がった大だいこ」(バスドラムのことだろう)の不在を指摘するが、研二は「あれは重いから持ってこなかった」。今からするのは現実の話だけれど、フロアタムとスネアドラムを同時に鳴らすと、ドンっ(フロアタム)とタンっ(スネアドラム)が一緒になって、強いプッシュになる。これを4分音符で連打すれば、不思議とパワーのある音楽がはじまる。8分音符で連打すればサビ前を盛り上げるテクにもなっちゃう。重ねていうが、研二らはおそらく音楽に関して無知。それなのに、私は「わかってるゥ!」とひとり喜ぶ。そう、あの「イカ天」で有名になったバンド・たまのメンバー・石川浩司だって、フロアタムとスネアドラムを、立ったまま両手のスティックで演奏していたじゃないか。バスドラムなんていらねぇ。物語の話に戻るが、古武術の3人よ、おまえら、わかってるぞ。当の研二らは「たま」などまるで知るまいが。

ベースが2本(ギターなし)というところがいかにも無茶だ。作中、バンドの出音の表現はすべて「ボ」。ずっとそうだ。作品が始まるまえの目次のページに「ボボボボ……(以下略)」という擬音が配置されている。まだ話を読む前だったから、これは何? と思ったけれど、作中のバンド(楽器)の音だったのだ。実際「ボ」は大正解。ほんとうにベースの音って、「ボ」なんだよな。ドラムはもっといろいろある気がするが、そこもあえて「ボ」に込めているところがいい。

作中の出音はすべて「ボ」といったが、例外がある。リコーダーだ。物語の中で一時、やる気を失った研二。研二が坂本町(作中の地名)ロックフェスティバルの本番に現れるか不安がる古武術(研二たちのバンド名。適当に決めた。由来はドラムス・朝倉の親せきのおっさんが古武術をやってるから)メンバー。その頃、むきだしのベースのネックを掴んで家の扉を出た研二は、他校(丸武工業)のヤンキー(大場)たちに絡まれる。彼らは研二のロックフェスへの出演を阻もうとしている。研二はその場でベースを地面に打ち付け、破砕する。そして背中からリコーダーを取り出して、吹きながら走って去った。追いかける、丸武工業のヤンキーたち。そう、リコーダーの音だけは「ボ」以外で表現されている。

坂本町ロックフェスティバル。研二不在のまま、バンド「古武術」メンバーの朝倉と太田(ベース担当)は本番を迎えてしまう。緊張感を高めるも、2人は絶望していない。演奏しながら研二を迎えようと心に決め、本番に望む。途中でドラムスティックを落としたり、ベースのケーブルを脱落させてしまうもアクションを続けるメンバー。聴衆の反応は好意的。そこにリコーダーを吹きながら研二がステージに走り込んだ。

淡白な絵柄なのだけれど、劇的で映画的。スリルとスピードがある。構図やコマ割りが秀逸で、登場人物たちの過ごす時間を私も一緒に気持ちよく流れた。亜矢と研二の仲も、作品の重要な要素。素のままにふるまうキャラたちが自然で好印象。

「古武術」の演奏シーンを読んで、私が自然と思い出したのはバンド・ゆらゆら帝国(1989-2010)だった。けだるさ・けむたさ・熱さ・純真さなどから連想した。

アニメーション映画『音楽』

この漫画を原作としたアニメーション映画『音楽』が2020年1月、劇場公開された。主演の声優はゆらゆら帝国ボーカル・ギターの坂本慎太郎。イメージの合致に驚いた。けど、本のオビにアニメ映画の存在を謳うアオリと声優:坂本慎太郎の文字がある。書店の本棚で見た記憶が潜在して、ゆらゆら帝国を思い出したのかもしれない。でも私はそれを否定したい。なんだか、家で音出しするシーンの無垢な3人が、この上なく「ゆらゆら帝国」に思えたのだ。事前にオビを見たせいじゃないと思うんだけどなぁ…刷り込まれたのか。

青沼詩郎

大橋裕之 ブログ
http://blog.livedoor.jp/ohashihiroyuki/index.html

アニメーション映画「音楽」(監督:岩井澤健治)公式サイト
http://on-gaku.info/