『ハナレバナレについてもう一度書こう

キセルのことは、くるり主宰のコンピレーション・アルバム『みやこ音楽』に収録された曲『ハナレバナレ』で知った。

といったようなことほかはこのブログのこちらの記事に書いた。

記事の投稿は今年の6月8日。およそ5か月前に私が書いた記事なのだけれど、我ながら恥ずかしくなるような稚拙な文章。今でも稚拙だけど。

振り返ってみると、上の記事でふれているのは

・『みやこ音楽』でキセル『ハナレバナレ』を知ったといういきさつ
・ローファイ感ある音が好き
・曲のコード進行について
・ベースのテンション音が心地よい
・ポルタメントするシンセ音が風味絶佳
・『ハナレバナレ』には2バージョンある
・執筆当時ちょうど京都出身バンド「浪漫革命」を知った時期で、好きだと思う音楽に京都という共通点があることに1人から騒ぎ

といった点だった。

ところで、私はこの記事の投稿からおよそひと月ちょっとのちの7月17日から、毎日誰かの楽曲をカバーしてYouTubeに動画を投稿する活動をしている。

カバーした曲は積極的にブログでも取り上げている。カバーしてみることでわかることや得られる経験が多いからだ。

キセルの『ハナレバナレ』については、カバーしてみる前に記事を書いてしまった。毎日カバー活動を始める前だったから当然だ。

このブログでは、同じ曲を重複して取り上げることは、これまで基本的になかった。今日はそれをしてみることにした。

なるべく、すでに前の記事で取り上げていること以外を書くことに努めるけれど、それでも重複した内容を書いてしまうこともあるかもしれない。それは、きっと基本的で重要なことなんだろうと思う。

激しいポルタメント

アルバム『夢』バージョンの『ハナレバナレ』には、『ニジムタイヨウ』バージョンのものよりもより生々しく無段階に、変化激しくポルタメントする音が入っている。音楽につかうノコギリ楽器「ミュージカル・ソウ」(弟さんの辻村友晴がこれをよく担当する)かと思ったけれど、これはテルミンかと思い直した。テルミンはシンセサイザーの一種で、楽器の電極の近くに手をやって、それを動かして音程を変化させる。空中で手を舞わせ、まるで魔法で音を錬成しているみたいな演奏風景のふしぎな楽器。ミュージカル・ソウよりもおそらくこちらのテルミンのほうが、より変化と動きが激しい広い音域のポルタメントが可能だろう。…と思ったけれど、この曲に収録されたそれは音量や音色の変化が豊か。そしてエンディング付近で薄い金属の板を叩いたような「コヨン」という衝突音が一瞬聴こえる。やっぱりミュージカル・ソウか。

(後記:サキタハヂメが演奏するミュージカル・ソウでした。)

キセルチックサウンド

『夢』に収録されているバージョンの『ハナレバナレ』には、特に後半以降にかけて印象的でユニークなサウンドが多数登場する。お兄さんの辻村豪文のボーカル、墓場の火の玉みたいに飛び回り揺れるポルタメント音(ミュージカル・ソウ)、「ピルル」と小鳴きする電話の着信のような電子音、何かしらの音の逆再生(リヴァース)音がフッと絡み合う。前代未聞の珍奇編成、キセルチックなオーケストラサウンド。キセルチックは私の造語だけど、あなたがもしキセル好きなリスナーのひとりだったら、なんとなくわかってくれるんじゃないかと思う。

バージョンビートの違い

ドラムスの打ち込みはお兄さんの辻村豪文か。アルバム『夢』バージョンの『ハナレバナレ』はスネアの位置(2拍目ウラ)に特徴がある。2拍目と4拍目のオモテにスネアを鳴らすのが4分の4拍子ポップにおける8ビートの定番だけれど、これをちょっとハズし、フックを成している。ちなみに『ニジムタイヨウ』バージョンの『ハナレバナレ』ではきっかりオモテで鳴らしている。ズレとフックがあるほうが、ややビートにモッタリとした粘着質が生まれる。きっかりオモテで鳴らすと、他のパートへ注意を引き付けやすい(つまり脇役として背景になじみやすい)。どちらかに優劣があるわけでない。異バージョンで違った性格を味わえる。

歌詞に思う 平静なまなざし

1コーラス目の平歌の歌詞が好きだ。

君が目を覚ます朝 僕は一人眠る頃 閉じたまぶたの裏側 赤と黄色のその中に 浮かんて消える(キセル『ハナレバナレ』より、作詞:辻村豪文)

目をつぶって太陽のほうを向くと、まぶたの裏側って赤くも黄色くも見える。そこに浮かんで消えるものは何か。「君」と私との関係における何かかもしれないし、単に、自分の毛細血管の輪郭のような光の糸くずがもじゃもじゃと見えるだけかもしれない。

“夏の太陽に照らされ 君は一人汗かいて 海の見える窓から 僕の街は見えますか?”(キセル『ハナレバナレ』より、作詞:辻村豪文)

「僕の街」は、君が一人汗かいているであろう「海の見える窓」からは見えないんじゃないかと想像する。そのことを分かっていて、「見えますか?」と問いかけているのじゃないかと。もの悲しいような寂しいような気もするけれど、達観や無常観を感じもする。この平静なまなざしは、キセル作品の多くに通底していると思う。そこは、私が彼らを敬愛する重要点のひとつでもある。

シンプルなコード進行上に叙情を築く歌声

この『ハナレバナレ』を、昨日自分でも弾き語りしてみた。辻村豪文のボーカルの音域、そのおいしい部分はおそらく私のそれよりもハイポジション。繊細かつ奥行きがあって温かい歌声。私は短3度ほどキーを下げた。コード進行はⅣ→Ⅰのシンプルな繰り返しが主。そこに独自の叙情を築いている。

青沼詩郎

キセル 公式サイトへのリンク http://nidan-bed.com/

ビートにフックのあるほうのバージョン『ハナレバナレ』を収録したキセルのアルバム『夢』(2001)

ご笑覧ください 拙カバー