HOSONO HOUSE

細野晴臣と彼らの時代』という本を買った。先月(2020年12月)の半ば。Twitterで著者のツイートが流れてきて知って、ネットで試し読みをしていいなと思って買った。そこにはある高校生がこのアルバムを購入して繰り返し聴いたというエピソードが書かれていた。その高校生というのも、星野源だった。

冬越え』という曲についてここ(このブログサイト)で私は書いた。それを収録した『HOSONO HOUSE』は1973年の2〜3月に狭山の米軍ハウスで録られた。細野晴臣の自宅(当時の)である。レコーディング機材をエンジニアの吉野金次がリビングに持ち込んだ。ドラムスやアンプ、ローズピアノを寝室として使っていたベニヤと漆喰の壁の八畳の洋間に運び入れ、そこで収録したという。

このBEIGUN HOUSE…いや米軍ハウスはとっても寒いという。そこでの生活の匂い(のようなもの)が『冬越え』には漂っている。

恋は桃色

家での寒さについて直接描いたわけではないけれど、同じアルバムに収録された『恋は桃色』にも、この建物での生活の風情が(間接的に)記録されているようにも思う。

“土の香りこのペンキのにおい 壁は象牙色 空は硝子の色”

“雨の香りこの黴のくさみ 空は鼠色 恋は桃色”

(『恋は桃色』より、作詞・作曲:細野晴臣)

気持ちのいい環境とは言い切れない。レコーディングに参加している松任谷正隆はこうした環境を嫌がってか、狭山のアメリカ村に滞在せずに「通い」で参加していたという。黴くささやペンキの人工的で化学的なにおいと、土から立ち上った有機臭の入り交じった独特の空気。私も、「ウッ」とか思うかもしれない。それにしたって“空は硝子の色” “恋は桃色”なんてどこから出てくるのだろう。直前の“壁は象牙色” “空は鼠色”まではなんとかわかる気もする(単に、環境を描写した表現として文脈的なつながりを認めるというだけのこと)。でも、そこに“空は硝子の色” “恋は桃色”とつくんだから、これはやっぱり日記じゃなく詩なんだと思う。その気持ちのよさから、自分でもフルコーラス口ずさんでみたくなるけれど、意外とことばの乗せ方がむつかしいところもある。詞先で書いたのかな。

着床

特に脈絡なく『HOSONO HOUSE』やそれに収録された個別の曲のことをよく思い出す。いや、脈絡がないんじゃなくて、むしろいろんなところでつながっているからなんだと思う。見た目や心象的にちょっと「ウッ」て思うかもしれない表現をあえてすれば、それこそ黴の菌糸みたいにこう、私の心に棲んでいるのが『HOSONO HOUSE』をはじめとした細野晴臣の音楽かもしれない(あるいは彼に影響を受けた第2世代・第3世代以降が生み出したものを含めて)。

「根を張る」のともちょっと違うし、「こびりつく」みたいな感じともやっぱり違う。空気中にいて、目にはみえないんだけど私の心にその胞子みたいなものがピトリと着地する。それは私の生活の湿り気ほかもろもろのもとに養われて、いつのまにか心の模様の一部になっている。部屋の壁紙のすみっこのほうに、いやなんなら真ん中付近まで堂々といたりもする。

喩えがあんまり綺麗じゃない? 黴とかの菌糸類のほうこそ、人間模様をみておんなじこと思っているかもしれない。菌糸がそんなこと考えるわけないって? 菌糸も、僕らのことそう思ってるかもしれない。

青沼詩郎

『細野晴臣と彼らの時代』門間雄介

『恋は桃色』を収録した細野晴臣のアルバム『HOSONO HOUSE』(1973)

ご笑覧ください 拙演

青沼詩郎Facebookより
“2〜3月の狭山の米軍ハウス(寒かったろう)で宅録されたというアルバム『HOSONO HOUSE』収録曲、『恋は桃色』。
フワアーっとしたイントロは4度間隔の分散下行の平行反復。(スタバの呪文か)
シンプルなようで奥深ぁい曲、歌詞も音楽もどちらも。音楽という消えモノにして、骨董品のよーな曲。ありがたや。
桃色と歌われても灰色を想像する。モノクロのジャケ写にイメージが引っ張られているのか。直前の「空は鼠色」も利いている。
狭山に住んだ期間の体験が日記のように、かつ抽象化されているのか。ナマモノなのに古典のよう。鼻歌なのに聖歌のよう。”