久しぶりに外食。少し前までとの微妙な違いを感じながら。

毎日、誰か生まれて、死ぬ。

今日、誰が生まれた? 誰が亡くなった?

今日、残された時間のうちに、まだ誰か生まれるかもしれない。誰か、亡くなるかもしれない。

あの人が生きていたら何歳だったか。

私に死別した家族がいたら、その人の命日や誕生日を迎える度、思うかもしれない。

あるいは旅立ったのが自分だったら、誰かにそう思われるほうかもしれない。

いつか必ずそうなる。それは幸福な生活様式かもしれない。今日、誰の命日か? 誰の誕生日か? ネットの検索で出てくる名前以外に、数多の人がそれを迎えている。現在、過去、数多の人が。私が名前も知らない、あなたのことを思う。ドウモ、青沼詩郎です。あなたのお名前は?

こってりとした発信をすること

日刊で何かしらのブログを書いている。日刊表現すると紙の発行物みたいだ。新聞づくりのプロはほんとうにすごいと思う。どんなスピードで仕事しているんだろうか。編集部にお邪魔したら、私は取り残された中洲の島。周囲を、空気が、時が、情報が流れるだろう。

日々何か書かなきゃ。そういうノルマを自分に課している。でも、自由意思でやっている。いつやめても良い。だからやっていられるのかもしれない。

日に一度は発信するという取り決めがなかったら、私は玄関の景色に溶けた置き物だ。観光地の土産物店で売り買いされて、その時点でほとんどの使命を終える。

日に一度というのはなかなかせせこましい。もう少し、ゆっくり感じろ。思え。考えろ。発酵させ、かきまぜ、悩み、迷い、答え、応えよ。日刊に翻弄される私を尻目にそんなことをいう私がいる。私のなかには、私編集部がある。

こってりと力をためて、それを注ぎ、育て、磨き抜いた発信をすること。せせこましい背中を押す環境が整った社会だからこそ、そういうカウンターが効いてくる。思い切って中洲の島で置き物決め込んだ私が爆弾になれる。不発弾かもしれないが。

そのニーズもなければ、義務もない。自由である。

斉藤和義の『僕の見たビートルズはTVの中』を昨日聴いた。整った環境からもブルースは生まれる。心の中に斉藤和義を立ち上げて、私は「わかるよ私もそうだ。あんた最高だよ」と馴れ馴れしく肩をばんばん叩いた。

青沼詩郎