映像

レコード大賞

https://youtu.be/o-bMKTK3Dss

階段の高みへ歩んでいく尾崎紀世彦。右から左へ向かって分け目のあるカールした前髪。サビの前には階段を降りてステージへ。朗々と顔面を全開にしてハリとツヤのある声でマイクが歪まんばかりの声量を顕にします。もみあげがすごい……いえ、失礼。歌声がすごい。最後のロングトーンはこれでもか! という感じです。首をなめらかに左右させ、マイクをパっと離し曲を終えます。映像は「レコード大賞」のもののよう。1971年の年末に開かれた第13回レコード大賞、そのタイトルを冠する大賞が尾崎紀世彦『また逢う日まで』です。

後年?

ちょっとテンポがはやめ。軽快なノリです。ひげをたくわえた風貌。頭髪の立体感は若い頃に分がありますね。歌メロディにすこし崩しが入りました。長年歌い慣れて変化していったのかもしれませんね。日本語非ネイティブの歌い手の発音のようにも感じます。海外で生活した経験があるのでしょうか(尾崎紀世彦はハワイと縁の深い人だとか)。発音を平等に扱った感じにも思えます。日本人ばなれした濃い顔……顔の造形は歌声と無関係ではないでしょう(むしろ大アリ)。話が逸れかけましたが、最後にサビが繰り返すところでは大胆にオケを消すアレンジ。

曲について

尾崎紀世彦のシングル(1971)。作詞:阿久悠、作曲・編曲:筒美京平。

もともとズー・ニー・ヴーの『ひとりの悲しみ』(1970)という曲でした。

https://youtu.be/rfY0nJu1rvo

さらにさかのぼるとそれより前の由来もあるようです。(パナソニックのエアコンのCMソング候補曲だったといいます

曲のテーマや歌詞を修正して、尾崎紀世彦のシングル曲にしました。曲はアレンジを踏襲していてズー・ニー・ヴーのものとよく似ています。

尾崎紀世彦『また逢う日まで』を聴く

ぱっぱっぱぱ〜ぱぱ! というイントロが印象的。右からマリンバのトレモロ。左からゴキゲンなピアノが聴こえてきます。イントロで華だった金管楽器は歌のすきまにちょっとしたオブリガード。コーラスがサビで入ってきますね。

ワンコーラスした後の感想のコード進行が好きです。

Ⅶ♭→Ⅰ→Ⅵ♭→Ⅴ。

筒美京平の洒脱なセンスを思います。

サビが最後に繰り返すところではコーラスの重唱。「デュル、ルル……」といった感じの発音でコーラスしていましたが、歌詞でハモってきます。

リズム隊(ベース・ドラムス)は16ビート。意外と細かい単位でプレイしています。

左のストリングスが右のマリンバと示し合わせたようにフレーズを合わせるところがおしゃれ。サビに入る前の折り返しのあたりなどにみられます。

歌詞

“また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは 話したくない”(尾崎紀世彦『また逢う日まで』より、作詞:阿久悠)

どんな気持ちなのでしょうか。なぜ話したくないのか? 伝えること、明かすことの自由はその人にあります。どんな心理が彼にそう言わしめるのか、興味が湧きます。

“ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して その時心は何かを話すだろう”(尾崎紀世彦『また逢う日まで』より、作詞:阿久悠)

ドアをしめる、名前を消すといったアクションは、合意のもとに別れることの象徴でしょうか。そうすることで、話したくなかったことすらも含めて自然に心が通うということなのか……? 意味はわかりかねる部分が残りますが、その分想像の余地も多いです。

“ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して”は、ふたりがいい雰囲気になっている最中のような、ちょっとエロい感じもしてロマンチックでもあります。“名前消して”は具体的にどういう行為なのかわかりかねますが、抽象度の高い詩的な表現かもしれません。名前がつくというのは、それの存在が認知され、そのアイデンティティが確立されたときに生じることではないでしょうか。その固有物(個人)を指し示すために、便宜上「名前」があることで意味を共有できるのです。“名前を消す”には、すでに確立された何者かであることをやめる、というニュアンスを感じます。そこには、変化を希求し成長していかんとする態度、心があるのではないでしょうか。

黒板に書き込まれた名前などを、黒板消しなどで拭い去る具体的な動作も“名前消して”という表現から想像の及ぶところ。観念的な表現にも具体的な状況描写にもとれるところが妙です。

“話したくない” “知りたくない” “ききたくない”

否定、強い打ち消しの形をした言葉づかいも、ポップソングの中ではしばしば聴き手に強い印象を残します。作詞の際、否定形を安易に使用したり、ましてや依存したりしていないかは作詞の際に気にするべきところでしょう、長く作詞活動をするのであればなおさら。

『また逢う日まで』では、なぜその事柄を否定するのか、否定形の先にあるその理由や心理の正体に対してリスナーに関心を抱かせ、誘う妙があります。

むすびに 歌のメリハリ、舞台に光

尾崎紀世彦の歌声のみなぎるエネルギー、圧倒するツヤと照りこそが、そのままこの曲のサウンド的なハナ(華々しさ)でもあります。この説得力ある歌声で“話したくない”と否定の語形を持ち出されると、もはやリスナーは抗えません。歌声の魅力に揉みしだかれ、脱力して主人公らの物語に傾聴するのみです。ツヤ・ハリのみでなく、ほろろとさせるメリハリがあります。

尾崎紀世彦の降臨するまばゆさの余白で、筒美京平の音楽の洒脱も要所に光ります。メロディラインの堂々たるや。主役に命を与え、舞台に光(そして影)を与える歌の創世者です。いずれも、崇めつつも近づきたい憧れです。

青沼詩郎

Wikipedia > 尾崎紀世彦

『また逢う日まで』を収録した『ゴールデン☆ベスト 尾崎紀世彦』

尾崎紀世彦『また逢う日まで』を収録したコンピレーション『また逢う日まで 逢える時まで』(ユニバーサル、2017年)。各メーカーが連動した阿久悠メモリアル企画の一環の一枚。この企画における各社の一枚を一覧できる記事を下にリンクしておきます。

Neowing>作詞家・阿久悠 メーカー7社連動メモリアルアルバム一挙発売

ご笑覧ください 拙演