Mr.Children終わりなき旅』(1998)。私がこの曲を初めて聴いたのは中学生の頃。それから高校生になっても聴き続けた。高校生の頃から大分(だいぶ。「おおいた」ではない。)たったいま、改めて聴いてみると、その転調の多さを実感する。

『終わりなき旅』Music Video。私が高校生のときは全容をちゃんと見たことのなかった映像。螺旋階段を降りた地下の遺構のような場所でメンバーが演奏します。遺構(?)の付近には少年の姿。3分台くらいから、ビリヤードのように球体同士をぶつけるシーン、崩れるトランプタワーの逆再生、何かの液体を抽出するようなシーンなど、意味深に見栄えする場面が多く登場します。エンディングは規模も壮大なグラフィック。地球が指でつまめる大きさの球体と重なって思えます。

要のEメージャー

曲の要になっている調はEメージャー。A・Bメロパターンがこの調で紡がれる。だけれど、イントロは要となるEメージャーよりも長2度上のF#メージャーではじまる。最初のAメロに突入するときに、はやくも転調するのだ。F#メージャー(イントロ)→Eメージャー(1Aメロ)。

曲中でいくつもの調を移ろうが、A・Bメロパターンを紡ぐEメージャー調は、エンディング付近のサビでも登場する。

『終わりなき旅』は転調してサビに行く曲で、1・2回目のサビの調はCメージャー。3回目のときはDメージャーへ転調し紡がれ、さらに反復するサビで長2度上がってEメージャーが登場するのだ。調としてのEメージャー調はA・Bメロですでに出てきているけれど、サビでのEメージャー調はラストのサビが初出となる。「メロから転調してサビに行く曲」であるのにも関わらず、メロで使った転調元の調が、あとでサビにも出てくるという特殊な構成なのだ。この意匠に、私は「旅」を感じる。

人間、いや、どんな生命も、生まれる場所は選べない。この曲の生まれる場所を冒頭の「F#メージャー」としてみる。そこから、自我を獲得する。これをAメロの「Eメージャー」とする。そこから1・2回目のサビで、Aメロからみて長3度下の関係にあたるCメージャーにいく。「新天地」とか「新境地」を感じる。主調から見て長3度下にあたる調に移ろう際の響きの特徴だ。

大サビ(メロでもサビでもない、変化の部分。たいてい、曲中で1度きりのみ登場する部分を指す)ではサビのCメージャーの同主短調のCマイナー(あるいはハナからE♭か)が出てくるが、すぐにCマイナーの平行調のE♭メージャーを感じさせる音階とコード進行を呈する。そしてFメージャー調で冒頭のF#メージャーのときと同じパターンを再現し、Fメージャー調のⅣにあたるB♭の長三和音からの長2度上行を3回経て(B♭→C→D→)EメージャーのAメロに戻る。転々として、原点に戻るのだ。

Mr.Childrenは1997年頃からこの『終わりなき旅』のリリースまで、一時休止していた。彼らの現実と楽曲の構造が重なる。Mr.Childrenが紋切り型のフィクションの量産に甘んじるバンドだったら、この傑作はなかったはずだ。命を削った真実から生み出されたシロモノ。自尊心と誇りを持ち直す過程の讃歌に思える。

7分超のサイズだが、夢中になって何度でも聴いてしまう。人生に無駄なことなんて一個もないと諭してくれる気がする。私の感動は私の勝手だが、人が心を震わせて生み出したものは、他人のものであっても心が共震するのだ。

人生は歌の糧

聴き直すたびに涙がにじむ曲が稀にある。私の場合はフランク・シナトラ『My Way』が一例。己のしてきたことを資源に生み出す厚みを感じる。

『My Way』を先例に、誰かのオリジナル作品であっても、『〇〇(アーティスト名や作者が入る)のMy Way』などとその作品を評したりアオッたりする表現に出くわすことが、たまにある気がする(CDやレコードの帯なんかにありそう)。そういう作品の多くは、作者らの人生の蓄積(それも、ある一定期間以上の幅を持つ蓄積)が資源となって、表現されたり表出したりしたものだと思う。

『終わりなき旅』をMr.ChildrenのMy Wayだなんて誰かの言葉を借りて言ってしまってはあまりに安直で、私の感動の猛抗議と不服申し立てに値する。

ただ、ある程度以上の範囲に渡る人生がリソースになることによってのみ生まれる素晴らしい曲が稀にあることは事実(もちろん、経験が必ずしも豊かである必要はない。若い人の、一瞬の感情の爆発が傑作を生むこともままあるだろう)で、そのひとつにMr.Childrenの『終わりなき旅』を推薦することに私は惜しみない。

もちろん、どんな曲だってその人の人生をリソースにして生まれるものだとも思う。私の矛盾は著しい。ただ、費やした資源量だとか、背景にある心身の負荷や労力が尋常でないからこそ、『終わりなき旅』ほどの感動を私にもたらしうるのだと思う。

歌は人の蓄積を糧に生まれる。そうして生まれた歌を燃料に、私は活力をもらう。音楽の循環だ(私もバトンを託さねば、との戒めも生じる)。

Mr.Children『終わりなき旅』リスニング・メモ

各拍のオモテを強調したエレクトリック・ギターのストローク。硬質な響きで1歩ずつ地面をとらえる歩調のようです。定位は右に全振り。左にもう一本、キャラクターの違うギターが聴こえます。ハーフ・ブリッジミュートでリズムを刻んだり、オープンなサウンドでコードの響きをブースト。サビ前はグリッサンドで引き締めます。

ボーカルは単一の線を基本にサビや大サビでハーモニーパートが加わります。百回聴いて百回新鮮に聴こえる歌唱です。歌詞の消え際にしっとりとディレイ。己に問うような落ち着いたトーンから高く転調したサビの最高音まで、歌手のすべてが余すことなく出ています。

奥まっていますが、ピアノがエレクトリック・ギターとコンビしてズンズンと歩を進めるようなストロークを重ねているでしょうか。AメロとBメロのあいだなどでオブリガードも聴こえます。他のパートとぶつからないようにか、帯域を絞った音作りに感じます。バンドの骨格の隙間を埋めすぎず、風通しを尊重して添うような味付けです。

ドラムスとベースが丁寧に8ビートを刻み続けます。一定のペースと理性を常に保ち、どんな時でも干渉しすぎず、かつ決して見放さず並走する存在が頼もしい。まるで旅人の足のための地盤です。

コードチェンジに沿っておおらかに響きを移ろわせるストリングス。バンドの背景であるにも関わらず、厚みと壮麗さで舞台に果てしない奥行きを与える功労です。大サビ(3:37頃~、歌詞“時代は混乱し続け”…の部分)ではエレクトリック・ギターが奏でるのにも似た、各拍のオモテを強調した刻みをみせます。

大サビ後の4:06頃~ではストリングスの旋律が視線を誘引。イントロでも登場したモチーフを奏でます。あちらではF♯調でしたがこちらではF調。眺望を得たような展開を思わせ、過去にも未来にも道が通じたような感覚を喚起します。順次進行と跳躍を組み合わせた旋律の音型が、身悶え、苦しみながら光の射す方を希求する主人公の心象のようで私の感動のボタンをタップ。

終わりなき旅 ストリングスのモチーフ 譜例



4:40頃~、最後のサビ。左寄りのエレキギターが歪みとサスティンのあるトーン。ボーカルに共に歩む同士が現れたような希望を与えます。チョーキングがうねりや揺らぎを発し、人の声のように聴き手の意識に訴えます。倍音が雄弁です。

5:47頃~、原点に帰るかのように至ったEメージャー調でⅠ→Ⅳm(E→Am)を繰り返します。低音は主音で保続。地平を感じます。移動ドで「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の上行音型を低いストリングスが反復します。階段を思わせる音型ですし、音階の音が揃っている様子が、旅でさまざまな場面を経てきた円熟味を醸します。対する高音域のストリングスはエンディング付近で徐々に狂ったようにうわずっていきます。The Beatles『A Day In The Life』のエンディングを思い出します。

調の移ろい

繰り返しますが、転調が多い。調の動きを整理します。

イントロ F#

ABメロ E

サビ C

2ABメロ E

2サビ C

大サビ Cm あるいはE♭

大サビ後の間奏(イントロと相似形) F

3Aメロ E

3サビ D→E 

(エンディング E)

大サビがちょっとふわっとしています。大サビに入る直前はGのコードで、Cmへのドミナントモーションっぽさがメロディからも感じられます。ところがそのあとすぐにF7を用います。これがFmであらば、Cmの自然短音階を感じるⅣ(Ⅳm)の感覚があったかもしれません。FmでなくF7であるがために、E♭調でⅥm→Ⅱ7の動きを2回繰り返しているような感覚が私の中で主張します。

後続の2度目のF7は次の小節(歌詞“誰の真似も……”のところ)でFmに移ろわせます。この動きも、E♭調でセカンダリードミナントとしてのⅡ7を固有和音のⅡmに移ろわせたような感覚があります。ここからFm→Gm→A♭→Gm……と動きます。E♭メージャーでいえばⅡm→Ⅲm→Ⅳ→Ⅲm……です。

Cm調ととろうがE♭メージャーととろうが、大サビのあいだは一度もはっきりとした帰結を示すことがありません。挙句の果てには歌詞“生きるためのレシピなんてない”のところではGmからD♭へ減5度跳躍。アクロバティックです。次いで短2度下行しつつ4度音の掛留、Csus4とCを介し、イントロと相似形のモチーフをF調で奏でるストリングスの間奏に連結します。まさに旅の混沌といった感じで、この混沌が、次ぐF調への帰結感をよりいっそう強め、視界を澄み渡らせ間奏を晴れやかに魅せます。長くおあずけにした帰結にありつく快感こそが、私の感動の一因なのかもしれません。

終わりなき旅 大サビ コード・メロディ譜例
Mr.Children『しるし』。Ⅱ7をⅡmに移ろわせる事例です。サビの歌詞“いろんな角度から君を見てきた”から、“そのどれもが素晴らしくて……”と移ろう瞬間(1:42あたり)にⅡ7→Ⅱmの進行がみられます。D♭キーですのでE♭7→E♭m。『しるし』はエンディングへ向かうサビで短二度転調、Dキーに変わります。

F#調で始まる謎

私の仮説ですが、冒頭のF#調のイントロは、ある程度メロやサビ、徐々に転調によってサビの音域が高まっていく構想が出来たあとで発想したアイディアなのではないでしょうか。

メロをEメージャー調で奏で、サビでCに転調する。やがて後半の方でサビは長2度ずつ上がっていき、ついには最初にメロを奏でたEメージャー調に追いつく。

これでまとめ上げれば、『終わりなき旅』はEメージャー調で始まり、Eメージャー調で終わることができます。冒頭と結尾を、なんらかの要素において(例えば「調性」)一致させるのは、構成の一例として非常に有用で、枚挙に暇がない綺麗な意匠です。

『終わりなき旅』の大きなサイズと曲想で「Eメージャー始まり、Eメージャー終わり」をしてしまうと、ひょっとしたら冗長になってしまうかもしれません。リピートして聴くとなおさらその冗長の危険は高まる可能性があります。

曲の骨子や構成が確かなものになり、それは壮大なものになっていった。ある線まで大きくなったところで、何度でも新しい気持ちで聴くことのできる音楽的な仕掛け、つまりF#メージャー調で曲を始めるという工夫を施したのではないでしょうか。

「原点に帰る」という表現も、枚挙に暇がないほどに頻繁に出会います。原点に帰る者は、原点にいたるまでの間の蓄積を持ったうえで原点に回帰します。つまり、原点に帰ったとしても、帰った本人は、一番最新の状態にあり、当然ながら、原点に当初いたときの自身とは別者なのです。同一人物でありながら、紆余曲折を経てそこに至る、最も進化した存在なのです。

そうした意図による意匠なのかはわかりませんが、私は『終わりなき旅』のオープニングがF#で始まり、Eメージャーでフェードアウトする作品で本当に良かったと思っています。現にいまもこうして、その思惑通りかは別に、今日もリピートして聴き続けてしまう私がいます。何度でも新しい気持ちで始めることができるのです。

青沼詩郎

Mr.Children 公式サイトへのリンク

http://www.mrchildren.jp/

『終わりなき旅』を収録したMr.Childrenのアルバム『DISCOVERY』(1999)

『しるし』を収録したMr.Childrenのアルバム『HOME』(2007)

Frank Sinatraのアルバム『My Way』(オリジナル発売:1969年)

『A Day In The Life』を収録したThe Beatlesのアルバム『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』(オリジナル発売:1967年)

ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『終わりなき旅(Mr.Childrenの曲)ギター弾き語り』)

ミスチル

ミスターチルドレン