弾き語り映像

8分のダウンストロークでウラ拍をプッシュしています。隠し味的にアップストロークで16分が入ります。足をすこしひらいてドカっとすわっています。構えたギターを上からナメたようなカメラ。ほかにも寄ったり回ったり聴衆を奥田民生の背中すかしに写したり多様な画面づくりです。真ん中で分かれたロングヘアーの奥田民生。ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬とよく似た髪型。こんな時期もあったのですね。観客のクラップもどこかけだるげに聴こえるのは曲の性格でしょう。おそるべし。最後にサビをくりかえすあたり、熱量も増し16分のアップストロークもはっきりしてきます。ラストはリタルダンドするかしないかくらいの重さをビートに乗せて4拍目ウラを打ってフィニッシュ。腕を上げる奥田民生、熱く応える観客です。

息子 (LIVE SONGS OF THE YEARS Ver.)

エレアコのストロークが奥田民生ですかね。右にエレキギター。前半はストロークしています。歪んだ音。間奏のソロからボトルネック奏法です。ポルタメントでアナログな線を描きます。歪み、ディレイかリバーヴ豊かな伸びやかな音です。後半はそのままボトルネックプレイでボーカルを引き立て後奏でふたたびリードプレイ。左にはキーボード。ストリングストーン。コーラス(人の合唱を合成して再現したようなトーン)が混じっている? と思わせる壮麗なサウンドです。ベースはメロで大胆な休符のしかたやちょっとしたボーカルとのユニゾンが巧いです。ドラムスはタンバリンを装着したペダルを踏んでいるでしょうか、クローズドハイハットにかぶってチャリチャリ……と16分で鳴っている感じがします。8分でペダルを踏むプレイをしてもふわっと浮き上がったときにタンバリンが鳴るのが16分に感じられるのでしょうか。最低限の人数でおこなったであろう奥田民生のこのライブで、タンバリンのみを16分音符で演奏するメンバーはいなかったと思います。あるいはクローズドハイハットを16で打っているところもあるのかもしれません。臨場感あるタムの音、硬質で響きのよいスネア。ボーカルハモリも演奏メンバーが兼任していると思います。

奥田民生 50th Anniversary Live“となりのベートーベン” 息子/Live feat.真心ブラザーズ

YO-KINGの声の違和感のなさがすごいです。奥田民生が上ハモパート。ドラムスは太いキックの音、フィルインのダイナミクスの細かい装飾プレイが巧いです。間奏に入る瞬間のかけ声「Hey!」が威勢良い。ソロのエレキギターのトーンは鋭いです。お祭りのような特別な雰囲気あるコラボです。エンディングのドラムスのタム回しにティンパニのトレモロストローク。びっくりしました。

曲の名義、概要など

作詞・作曲:奥田民生。奥田民生のシングル、アルバム『29』(1995)に収録。

メロディとコード

Aメロ。Dメージャーキーですね。第5音のラを同音連打します。16分のリズムで細かく。ぬったりとした曲調ですが意外とテキスト(歌詞)量があります。

歌い出して3小節目のⅤmコードが味噌。メロディにあらわれるドもナチュラルします。半音下げたⅶ(第7音)が出てくるとちょっとミクソリディアンモードのような不思議で神妙な雰囲気が漂います。奥田民生の作曲にⅤmは結構よく出て来ます。『The STANDARD』などそうですね。1〜2小節目では16分をこまかく打ちましたが3小節目からは8分音符、4分音符などをつかいます。密と疎の関係が1〜2小節目と3〜4小節目にみられ、対比になっていますね。

ミクソリディアンほか各モード音名一覧。ご参考に。

Bメロ。4分音符を等間隔で動かしていきます。1小節目のパターンをそのまま反復していますね。コードはEm→Gと変えます。ふたつのコードの構成音は似ています。(Em:ミ・ソ・シ、G:ソ・シ・レ。「ソ・シ」が共通音です。)

3〜4小節目は、小節の前の方と後ろの方で8分音符を動かし、小節の真ん中のあたりを空けるパターンです。Bメロでも、2小節単位でモチーフの性格を変えていますね。

5小節目では長い音符。サビに至るサインです。Gコードの第3音で、コードの根音(ソ)と調和した響きです。ですがDメージャー調にとってはⅣでサブドミナント。下属和音の中性的な緊張の響きです。先にネタバラシをすると、サビで部分的にCメージャー調を匂わせるのですが、GコードはCメージャー調の属和音(Ⅴ)。サビでの匂いがここに漏れています。さらにいえば、Aメロの時点でも用いているAmコード(Ⅴm)の響きにも同じことがいえるでしょう。Cメージャー調に所属する響きをちょい出ししつつサビに持って行っているのです。

サビ。Dメージャー調にとっての下属和音(Ⅳ)、Gコードを響かせてサビのアタマでDにつないでいるのですが、この時点ですでに「Dメージャー調感」が薄いです。1小節目4拍目にみられるドもナチュラルしています(半音下がっています)。次の小節でDmにコードチェンジ。DmはCメージャー調におけるⅡm、もしくはCメージャーの平行調・AマイナーにおけるⅣです。C・Amどちらの調にしてもサブドミナントの響きです。

あるいはDメージャーにおける同主短調のコードでもあります。つまり、ざっくり言うと調性がフワフワしているのです。

サビ3小節目でE7。4小節目でF。Cメージャー調でⅡm→Ⅲ7→Ⅳした、もしくはAm調でⅣm→Ⅴ7→Ⅵしたような進行です。

Fコードのあと、5小節目ではDmに行きます。サビの入りではDメジャーでした。微妙な響きの違いを織りなす展開です。そのDmが6小節目でGに進みます。これは完全にCメージャーにおけるⅡm→Ⅴの動き。ドミナント・モーションといって良いのではないでしょうか。期待の通りサビ7小節目でCに進行します。2拍ですぐE7へ進行してしまうところがまたフワっとさせます。8小節目ではFコード。Dメジャー調だろうとCメジャー調だろうとAm調だろうと、ちょっとフワっとさせるコードがここにおけるFです。なんだよ! ともんどり打ちたくなります。「息子」という、近いような遠いような複雑な関係を象徴するコードがここにおけるFの響きではないでしょうか。

歌詞

“半人前が いっちょまえに 部屋のすみっこずっと見てやがる おー メシもくわず なまいきな奴だ”(『息子』より、作詞・作曲:奥田民生)

食事するという本能。それに勝る、社会的な悩みや優先事項を得はじめたとき、ムスコは部屋のすみなど見つめて食事をあとまわしにするのかもしれません。家庭の外に、本人の重要事項があること。半人前でも、社会と接します。学校に行きながら生活する、などでしょうかね。そうした訓練を経て、いつしかより深く、本格的に自分の責任で社会と接していく羽目になるでしょう、多くの人は、きっと。例外もあるでしょうけれど。

“いじめっこには言ってやりな そればっかりはやってられないよ 君たちも大人になりな それだけ言えたらもうバッチリ 男”(『息子』より、作詞・作曲:奥田民生)

息子はやはり学齢の子なのでしょうかね。何歳くらいかはわかりません。学校で何かあったのかもしれませんね。いじめてくる人がいるのかもしれません。自分の意思を表明することで避けられるトラブルは多いでしょう(反対に生じるトラブルも)。自分の意思の表明をうやむやにすることで、いろんなストレスがあらわれてきます。大人も一緒ですね。私自身への箴言に思えてきました……。意思の表明ができたなら、。いじめっこたちの行動こそ、実は、それぞれの意思をうやむやにして流されたり安易なあやまちを選んだりした結果なのかもしれません。“君たちも大人になりな”は、それを戒め、指摘する一言なのでしょう。効くと良いのですが。

“俺なんかよりずっとイケる べっぴんさんにきっとホレられる もうそれだけは気合い入れてやりな” (『息子』より、作詞・作曲:奥田民生)

息子は、親同士のかけあわせ。親の良いところを併せ持ち、親よりより強く美しく優れた人になってほしいし、実際そのはずだと親は思うかもしれません。べっぴんさんにホレられることにだけは気合を入れなさいとは、実は男に本当に必要なたったひとつの素養をぬかるべからずと射抜いたアドバイスかもしれません。もちろん異性(べっぴんさん)にホレられることを男性の誰もが目指す必要はありません。もっと幸せや充実の形は多様でしょう。理想もいろいろでOKです。それはそれとして、です。べっぴんさんにホレられるような男は、行動や性格、所作のはしばしにまで魅力がにじみ出ているかもしれません。総合的に、自立して生き抜く力を持っている。あるいは、べっぴんさんとのパートナーシップによってそれを成立させうる人格・素養の持ち主。

抽象的にのみ言語化できる、高等なノウハウの集積の所有者になること。一朝一夕ではなれないそれを目指す際の的確なアドバイスのひとつが、「べっぴんさんにホレられることだけは気合い入れてやりなさい」なのかもしれません。もちろん、もっといろんな角度のアドバイスがあって良いと思います。奥田民生ソングらしい切り口を持ったラインだと思います。

“おなかがすいたらすぐ忘れるくせに”(『息子』より、作詞・作曲:奥田民生)

サビ前のライン。空腹は思考を奪います。生命の恒常が保障されて、はじめて高等なことができるのです。

Aメロでは、息子が食事よりも社会的な何かを優先させているらしい様子を描いていました。サビ前のラインは、Aメロのラインとどこか対立してもいます。

矛盾こそが人間らしさだとも思います。理性で、本能に勝る瞬間。本能に、理性が屈する瞬間。いろいろあって、人間なのです。

“ほうら 君の手は この地球の宝物だ まだ誰もとどかない明日へ ほうら 目の前は 透明な広い海だ その腕とその足で戦え”(『息子』より、作詞・作曲:奥田民生)

息子は、親の次世代を担います。親は息子らの未来を思う。誰も至っていない未来に届くのが、息子らの手なのです。託すしかない。貴重な手なのです。歯車になって、地球という機関が燃え尽きるまでの代謝を担う以上の何かをあわよくば成し得て欲しい。つづがなく生きてくれればそれで十分とも思いつつ、矛盾を息子ら(子供ら)にも向けるのが親かもしれません。

“戦え”は残酷な一言かもしれません。でも、そうすることでのみ生きられるのです。あるいは、ただ生きる以上に生きられる。矛盾したことを言っているでしょうか? 人間ですから……。

“透明な海”は、未来の見通しを思わせます。遠くまで澄んでいるからこそ、その距離におそろしくなることもあるかもしれません。見えても怖い。見えなくても(濁っていて何が潜んでいるかわからないのも)怖い……どうせ透明ならば、その目で見ろ! でしょうかね。

“ほうら 目の前は 紺碧の青い空だ 翼などないけれど進め”(『息子』より、作詞・作曲:奥田民生)

“紺碧の青い空”は、さきほどのラインで出た“透明な広い海”とともに、息子が対峙し、担う未来の余白を思わせます。「透明」とは違って、紺碧はさまざまなものが入りまじった深み、層の厚みを思わせます。深みや濁りの原因は、複雑に溶け合っています。ひとつひとつの正体は、すぐにはわからない。それらと対峙するこわさって、あると思います。そこを切り裂き、空を制する翼などありません。前の段のラインの“その腕とその足で戦え”を別の言葉で補足するラインでもあります。

“そうだ あこがれや 欲望や 言いのがれや 恋人や 友達や 別れや 台風や 裏切りや 唇や できごころや ワイセツや ぼろもうけの罠や”(『息子』より、作詞・作曲:奥田民生)

紺碧の複雑な青色。その成分の正体、雑多なひとつひとつを挙げ連ねるようなエンディングのラインです。息子が戦い、生き抜く上で遭遇するであろうさまざまな光景を人生の先輩が想起している。そんなシーンでしょうか。

押し付けるのでもなし。こんなことも、あんなことも、きっとあるよ。まぁ年増の独り言ですけどね。お前はお前の目で見なさい。きっといろんなことがあるよ。知らんけど。勝手になさい。強く生きてちょ。……そんな感じでしょうかね。

感想

歌詞、コードでモヤっとした人生の割り切れなさを描いているようです。ありのままを見せることが、親から息子への愛、祈りなのだと思います。それで息子が元気づけられるかどうかまでは知らないけれど、嘘をつかないこと、隠さないことがせめてもの誠意か。

フワっとした調性感。高くも低くもない声域を終始漂うボーカル(レ〜レの8度、エンディングのフェイク含めても9度くらいの声域で歌えます)。華々しさもないがどん底も避けて、まあまあでなんとかやって生きている親の背中のようです。

奥田民生のリリースをみるに、ライブでも長く大事にされているようです。私も自分で歌ってみたら、さらに好きになりました。割り切れないから、飽きがこないのかもしれません。

青沼詩郎

奥田民生 公式サイトへのリンク

参考Wikipedia>息子(奥田民生の曲)

『息子(アルバム ヴァージョン)』を収録した奥田民生のアルバム『29』(1995)

奥田民生のシングル『息子』(1995)

『息子 (LIVE SONGS OF THE YEARS Ver.)』を収録した奥田民生の『OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS』(2003)

『息子/Live feat.真心ブラザーズ』を収録した『奥田民生 生誕50周年伝説“となりのベートーベン”』(BD/DVD)(2016)

ご笑覧ください 拙演