詩の発表、収録アルバム『ごあいさつ』について

年輪・歯車』は高田渡のアルバム『ごあいさつ』に収録されている。ジャケットや歌詞カードに『年齢・歯車』と明示されているけれど、何かの間違いだと思う。誤植が広まったのか。国会図書館 リサーチ・ナビで『有馬敲全詩集 上』の『くりかえし』の「Ⅱ 180」のところに『年輪』とある

つまり、『年輪』は『くりかえし』という作品群に編まれた作品だと思われる。Wikipediaをみるに、1971年の発表作だ。

高田渡が『年輪』を曲をつけるための詩として取り上げたのは、私の思ったよりずっとスピーディだったのかもしれない。詩の発表から間もなく曲をつけたことになる。作品の初出が『くりかえし』で間違いなければ、の話ではあるが。

『歯車』作詩者の山之口貘は1963年に亡くなっている。こちらの方が古い詩なのだろう。『筑紫女学園大学・筑紫女学園大学短期大学部紀要第7号 稿本・山之口貘書誌(詩/短歌)』(松下 博文、2012年)によると『琉球新報(第2439号)』(1956年1月25日号)に『歯車』が掲載されたようだ。これが初出なのか。「自画像」改題「歯車」とあるのも興味深い。

・有馬敲『年輪』の初出が1971年の『くりかえし』である

・山之口貘『歯車』の初出が1956年の『琉球新報』である(おまけに当初の詩の題は『自画像』か)

この2点を仮定した場合、ふたつの詩には15年程度の隔たりがある。これをつなぎ合わせたところも慧眼である(後に改めて述べる)。もちろん有馬敲『年輪』も何かの雑誌への寄稿が初出の可能性もあるだろう。

アルバム『ごあいさつ』は1971年にキングから初めて出ているようだけれど、レーベル「ベルウッド」が立ち上がり、改めて1973年にリリースし直されたのか? 私の持っているアルバム(CD)背面には「オリジナル発売日:1973年11月10日」とある。ちなみにベルウッドの由来は「鈴木」で、レーベル設立を支えた人に由来するという。

生活の柄』『値上げ』『銭がなけりゃ』など私が大好きな曲を収録していて、他の曲も聴くほどに良く、私のお気に入りのアルバムのひとつになった。約50年前の作品がいま、私の意識にポカリと浮かんでいる。

年輪・歯車

https://youtu.be/6ga2fAB97R0

『ごあいさつ』の3曲目に収録された『年輪・歯車』は何が変わっているかって、有馬敲山之口貘という2人の詩人の名がクレジットされている。それだけならそれほど珍しくない。はじめてみたときは「共作?」と思った。これが違う。

・有馬敲『年輪』 
・山之口貘『歯車』

高田渡は、もともとある異なる詩人によるふたつの詩をつなぎ合わせて、ひとつの歌にした。この発想は私にはなかった。通常、2人が作詞(作詩)者にクレジットされていたら、「全編」を2人で考えた可能性もあるだろう。でも、前半・後半といった部分ではっきり分かれた分担もあるのだ。世の「共作」にはそういう風に、担当部分の境目が明確にうかがえるものもあれば、境目が混ざっているものもある。当事者たちのあいだでは担った部分をはっきり区別できるが、第三者にはわからないものも多いだろう。共作のやり方は自由だ。

年輪・歯車』は個別に生まれた詩をひとつにつないでしまったものであり、つまり共作ではない。高田渡がふたつを連ねてひとつの曲にしたために、単に名を連ねる結果になったというのみ。高田渡はミュージシャンであると同時にアクロバティックな編集者だ。カントクかもしれない。

年輪

ふと」という2音・2文字。すべての文頭にこれがつく。「ふと」を外しても意味が通じる。でも「ふと」がつく。これによる影響をあなたはどう感じるか。

「コンビニへ行った」

なんの変哲もない事実の紹介である。

「ふとコンビニへ行った」

…。目的もなしに行ったのだろうか。気持ちが赴いたような風でもある。軽い内容の事実でも、いくぶん違った印象をもたらす。じゃあ、事実の内容をちょっと重く(?)してみよう。

「結婚した」

あ、そうなんですね。おめでとうございます。

「ふと結婚した」

ええ!? 「ふと」するものなの? …あ、いえ。いいんです。めでたいですね。幸せになってほしい、ぜひとも。

と、このように(?)「えぇ?!」という意外をもたらしてしまう魔法の2文字が「ふと」なのだ。有馬敲の詩には、このように発想や目のつけどころがユニークで、リズムやことばの響きの妙味あるものが多い。

歯車

沖縄出身の詩人、山之口貘。彼の詩に曲をつけた『生活の柄』は高田渡の代表作として知る人も多いのじゃないか。

身につけるものは、やがてぼろぼろになって朽ちてしまう。自分の髪や皮膚はおそらくある水準の健康があれば勝手に代謝するが、身につけるものはそうはいかない。繕ったり新しくしたりしないことには、消耗の一途。「あっちの部分」を新しくしたり直したりすることにありついたかと思えば、別の部分が「必要」のシグナルを発する。修繕や新調を要する様子、「ぼろぼろ」という表現。で、修繕や新調を図ってほうぼうを訪ね歩くうちに、またこの前つくろったりリフレッシュメントしたりしたはずの「部分」がまた「必要」を言い出す。「生きる」とは終わりのない機関の稼働、仕事の輪廻。「歯車」の単語は詩篇中どこにも出てこないが、それを思わせる表現になっている。

音楽のつくり

表拍で根音・5度音などのベースラインを、裏拍で上声を響かせるスリーコード中心のギター伴奏に日本語の詩を合わせる。

曲はE♭メージャー調。メロディはミ♭~ドの長6度におさまる声域のみを使用。ヨナ抜きのペンタトニックスケールに♭(フラット)した3度音(ソ♭)を併用したメロディ。ブルージー、哀愁を感じさせるトーンに高田渡の歌声が命を吹き込む。

キセルのカバー

キセルは私の大好きな音楽ユニット。京都出身の辻村兄弟の2人。彼らは高田渡のカバーを多く発信していて、『年輪・歯車』のカバーは彼らのカバー集『Songs Are On My Side』(2015)に収録されている。ガット弦のギターで、ちょっとリッチにアレンジしたコード進行でお兄さん(辻村豪文)がカバーしていて気持ちいい。エンディング付近で反復する歌詞にオリジナルとの違いがある。ほか、キセルによる高田渡カバーは『SUKIMA MUSICS』(2011)に『鮪に鰯』『系図』が収録されている。

青沼詩郎

キセル 公式サイトへのリンクhttp://nidan-bed.com/

『年輪・歯車』を収録したキセルのカバー集『Songs Are On My Side』

有馬敲全詩集(2010年、沖積舎)

『山之口貘詩集 鮪に鰯』。『歯車』を収録している。初版1964年、新装版2010年、原書房。

参考:青空文庫

『年輪・歯車』を収録した高田渡『ごあいさつ』(1971)

キセルによる高田渡カバー『鮪に鰯』『系図』ほかを収録した『SUKIMA MUSICS』(2011)

ご笑覧ください 拙カバー

青沼詩郎Facebookより

“『年輪・歯車』
高田渡『ごあいさつ』(1971)に収録。
前半が有馬敲の年輪、後半が山之口貘の歯車、ふたつの詩は全然違うのにひとつの曲に構成されるとそのまま飲み込んでしまえる。ちょっと待てよとふたつを冷静に比べるといかにちがうかがわかるのだけど。曲(音楽)がことばを統べる性質っていかに強いものかを思う。”