酒の飲み方

時効だと思って告白するが、高校生のとき、高校の先輩に、学校の近くの居酒屋に連れて行ってもらった。そこで、たとえばカルアミルクみたいな、甘ったるくてとろとろした酒を飲んだ。ビールは苦くて旨さがわからなかったから、梅酒とか杏露酒とかそういった甘いのとか、炭酸の清涼飲料にちとアルコールが加わったみたいなものを好んで飲んだ。

図:梅酒に浸かった梅も酒のアテになる。

その時代(2000年代前半頃)は店側の年齢確認とか、ハンドルキーパーの確認とかが甘かった。今と比べるからそう思うが、当時はそれくらいゆるいのが普通だった。コンビニでも酒を買えた。当時未成年の私らが普通に買えてしまったのだ。もちろん、今でも、コンビニでの酒の会計時のレジのタッチパネルに表示される「20歳以上ですか」の問いに対して、実際の20歳未満者が「はい」のボタンを押して購入を遂行するハードルの高さがどれだけあるか知れない。今もじゅうぶん「ゆるい」部分があって、やすやすと買えたり酒の提供を20歳未満が受けられたりしてしまうことも多いのかもしれない。

酒の飲み方をヒトは学習する。自分がどんなコンディションにおいて、どのような種類の酒を、どのようなペースで、どれくらい飲むと、自分の状態にどのような・どの程度の影響を及ぼすのか。それを知るには、飲む経験を積む必要があるだろう。

大学生になって、仲間と居酒屋に行くのは自分にふさわしい酒量を知るのに良い機会かもしれない。「良い機会」なんて書くと推奨すべき行動みたいだけど、そんな機会はなくてもいい。酒をたしなむ必要もない。時代は変わった。2020年頃の新型ウィルスの流行で飲み会は減り、世の人が酒を楽しむシチュエーションは激変しただろう。私は自分が学生だった2000年代くらいにはそういう機会があったけど、2020年頃に20歳くらいだった人たちは事情が違うだろう。

こんな時代になったけど(急にざっくり)、年末や年始になると、こんな私とて多少、酒を飲む機会を意識する。私は圧倒的に家飲みが好きである。家飲み(宅飲み)ならば飲み代に、お店の家賃とかもろもろの運営費が含まれることがない。宅飲みは好きなように、最低限のコストで酒を楽しめる。経済を回す観点で私ほどツマラナイ人間も稀かもしれない。大人になったら、オモシロく経済を回すたしなみのひとつやふたつ覚えたほうがいいのかもしれない。私は違法に酒の提供を受けた高校生のあの頃と、さして変わっていないようである。多少は成長したいものだ。成長に、酒が関与する必要もないが。

図:宅飲みのイメージ

お酒はゆっくり飲むといい。アテ(ツマミ)をもつべきだ。アルコールの浄化(?)を助ける食べ物は案外ある。海のものがいい。貝類とか。魚の皮とか目玉とか骨とか内臓とか、ふつうは食べにくい部分を含めて食べてしまうのもいい。鳥の手羽元なんかの軟骨の部分をコリコリ食べてしまうのもおすすめである。食べたり、話をしたりしながら楽しむことで、酒量ばかりがやたらに増えてしまうのを防げるだろう。間違っても一気飲みとか飲み比べだとかいった無茶には興じないのが良い。成長しない私にでも、その程度のことは言える。酒のある時間や場を、その場にいる全員が快適に楽しむことだ。

飲み屋の描写と時代の差異

酒の楽しみ方はその時代の社会の姿を映す。働く若い人が街にいっぱいいる、そういう人たちをもてなす酒場も街にいっぱいある……そういう時代や場所もある(あった)かもしれない。今、私の目の届く範囲の社会の姿は、そういう風景とはだいぶ違ってきているように思う。世間知らずの私のいうことだから、酔っ払いの妄言みたいなものだけど(あるいは酔っ払いの妄言のほうがまだ正しいかもしれない)。

図:飲めそうな場所のイメージ

活発で豪勢に経済がまわる局所においては、居合わせた者同志が酒場をはしごして、酒を飲み比べるなんて風景もあるのかもしれない。ありふれたシーンかもしれないが、いまの私にとっては物語の中のような光景でもある。歌の中には、そういった物語が宿っていて、自分がそのとき生きている場所とは何もかもが違う世界に連れていってくれる。

小室等『のみくらべ』発表の概要、作詞・作曲者

小室等『のみくらべ』は小室等のアルバム『東京』(1973)に収録されている。作詞者:白石ありす、作曲者:小室等。

小室等『のみくらべ』を聴く

小室等を「フォークの父」だなんておおざっぱに知覚していると面食らう。小室等が音楽性豊かで幅のある素晴らしい「ミュージシャン」であるのを思い知る。ロックンロールである。

ⅠとⅣの和音がある割合を占めるシンプルさは多くのロックンロール的ソングと通ずるところもあるけれど、4小節のかたまりごとにシンコペーションした「リズムのオカズ」をはさみ、刺激と変化を加える。リズム的なオカズなのだけど、全体に上行形で、短2度でずり上がる部分を含み、高揚感を演出する。

途中で曲調が和風で悲哀のあるマイナー系の民謡調になる部分も音楽性豊か。和太鼓みたいな音も高い演出効果。ただのロックンロール的娯楽ソングに終止しない。音楽的な野心に富んでいる。

ファズなのかなんなのか、ざりざりと歪んだエレキギター。かと思えばブラスが果敢にオブリし、ストリングスが優美に風を吹かせる。エレクトリック・ピアノのじんじんと歪んだトーンが音のすきまに滲みを効かせる。

前奏と後奏にボリュームがある。歌詞のある部分はコンパクト。器楽に一定の比重があり、耳を楽しませるが、コンパクトだけどとばしていく剛気のある歌唱部分の景気の良さと対比になっている。こうした構成、音楽のもっていき方も含めて非常に好きな作品である。『雨が空から降れば』のような豊潤な情感や詩情にあふれるアコースティックな触感の傑作で小室等を認知していた私は、なおのこと面食らった。『のみくらべ』……バンド組んで仲間と飲酒して音楽談義したくなる快作。

小室等『雨が空から降れば』。フルートは優しく物憂げ。マリンバがコンコンと響き、降り注ぐ雨を思わせる。
吉田拓郎も歌った『雨が空から降れば』。『よしだたくろう LIVE ’73』より。彼独特の歌唱のリズムのメリハリにオリジナリティ。

後記

ロックン・ロール調の刺激に民謡や音頭のような古典的な哀調、コミカル・ソングのような趣もあります。めまぐるしく表情を変え、娯楽作品として見習いたい点も多いです。何より、『プロテストソング』などの作もあり詞や主題への気骨を思わせる小室等さんの「ミュージシャン」として楽しさにあふれる幅の広い面を思い知らされた衝撃が大きいです。

青沼詩郎

小室等 オフィス・キーズ オフィシャルサイトへのリンク

参考Wikipedia>小室等

小室等『のみくらべ』を収録したアルバム『東京』(オリジナル発売年:1973)

小室等『雨が空から降れば』を収録したアルバム『私は月には行かないだろう』(オリジナル発売年:1971)

よしだたくろう(吉田拓郎)『雨が空から降れば』のライブ演奏を収録した『よしだたくろう LIVE ’73』(オリジナル発売年:1973)