ライブツアー MUSIC MUSCLE 2019 鹿児島 

ライブでいかにこの曲が扱われているかが伝わってきます。

聴衆とサビを斉唱。お客さんを年代ごとにわけて歌わせるシーンで客層がわかります。40代が厚いでしょうか。

客席に降りて行って聴衆のあいだを縦横に歩きながらMCしたり歌唱したりします。

一台の手持ちカメラで収録された映像でしょうか。音の収録も、映像を収録する機材が兼ねているようで

カメラが近づいた人・もの・楽器・環境の音などがその瞬間大きくなります。

楽しい空気や元気の出る感覚を共有できるライブ映像です。4分半ほどの曲が倍の時間に。

曲の名義など

作詞・作曲:大黒摩季。大黒摩季のシングル、アルバム『LA.LA.LA』(1995)に収録。

大黒摩季『ら・ら・ら』を聴く

編成

明るいエネルギーに満ちたポップなサウンド。ライブでも再現しやすそうな編成です。ドラムス、ベース、オルガン、ピアノ、エレキギター、アコースティック・ギター……トイピアノもしくはちょっと音程のゆれたような調子のはずれたかんじのトーンにきこえる鍵盤サウンドはなんでしょう。

ドラムスの1、2、3、4拍目をきれいに強調するシンプルなエイトビート、ベースの強拍と裏拍を組み合わせたストロークがぐいぐいひっぱります。

ジャカジャカとアコギのストローク。エレキギターのアルペジオ。空間を広げエモを揺さぶるオルガン。ソロをとったりオブリガードするエレキギターのリードトーン。

お手本にしてよしな定石アレンジです。

ボーカル

大黒摩季の歌声のキャラクターが際立ちます。一息ごとのフレーズ尻のヴィブラートが強力。苦労をエネルギーに……悲哀を笑いに変えるような歌唱が魅力です。

バック・グラウンド・ボーカルにも濃くて埋没しないキャラのボーカルが聴こえます。メインと同じ高さで歌う男声もいるのでは? 大黒摩季本人によるダブリングもあると思います。厚いですが個々の線を活かしたシンガロングです。

最後のサビの終わり際、“ずっとずっと……”のところで大黒摩季のボーカルに深くディレイがかかります。時間に幅をもたらす演出が歌詞の“ずっとずっと……”の意思・感情を高めます。

構成

曲の構成……といいますか、Cメロの位置が面白いです。サクサクっと2コーラスを消化し、“ときがたつのはなぜ……”の大サビ(Cメロ)に接続。そのまま早くも3回目のサビ“らら、ららら……”です。

70年代くらいの7インチシングルレコード曲だったらこのまま最後の句を反復してアウトロ(後奏)すれば2分半〜3分くらいに達し、フィニッシュ…などと想像しますが『ら・ら・ら』では大サビ(Cメロ)後のサビ後にギターソロが来て、そのあと3コーラス目のAメロがはじまるのです。

構成を大雑把に書き出すと以下のような感じでしょうか。

イントロ→

1A→1B→1サビ→

2A→2B→2サビ→

Cメロ(大サビ)→サビ(2.5サビ?)→間奏(ギターソロ)→

3A→3B→3サビ→サビ反復→

アウトロ

Jポップらしいブロックをひととり揃えている感じですが、とても快活に各コーラスが進行していきます。

快活に曲が進行するコンパクトさ

ひとつには、Bメロが4小節プラス余白1小節の計5小節な点。

他の点についてももう少し細かくみますと、Aメロのおしり……たとえば1コーラス目では“恋愛中ってもっと楽しいと思ってた”の最後の「た」を発音したあと4拍ぶんののりしろがあり、そのままBメロに進行します。

またサビでは下の句“今日も明日もあなたに逢いたい”を発音しきるところまでで6小節。直後に2小節ののりしろがついて合計8小節で、そのまま次のブロックに進行します。

短くシンプルなカデンツをつらねて、あかるくさばけた曲想をまっすぐに伝えています。カデンツはいわば和音進行上の句読点のようなもの。簡潔で要点のまとまった質量あるフレーズ(あくまで和音進行上の、の意味で)を連ねているような感じです。

たとえばサビの和音進行を書き出してみます。

|Ⅰ|Ⅴ|Ⅵm|Ⅳ|Ⅰ|Ⅴ|Ⅳ、Ⅰ|Ⅴ、Ⅰ|

これを和音の機能、TDS(トニック・ドミナント・サブドミナント)に置き換えてみます。

|T|D|T|S|T|D|S、T|D、T|

頻繁にT(トニック)が出てきますね。句読点の頻度が高く、ワンフレーズ(和音進行上の)ごとが簡潔、と私が述べた意味がおわかりいただければ幸いです。

音楽センテンスが簡潔なのはもちろんこれといって珍しいことではありません。たとえばオールドなロックやブルースならなおさらです。90年代Jポップはいろんなものを消化してきて、バンドやシンガーソングライターの自作自演も増え、華やか・壮大・複雑な和音進行を含んだヒット・ソングも少なくないと思います。

そのシンプルさから、『ら・ら・ら』はみんなで歌える……シンガロングを意識して作られたのではないかと仮説したくなります。他者への意識・配慮・おもいやりは愛につながる要素です。

サビのメロディ “ら・ら・ら〜”

「ド・ファ」→小節線にまたがる4度跳躍。

「ド・ファ・ソ」→4度跳躍の反復かつフレーズの天井を長2度上げました。しかも次の小節にタイでまたがります。移勢のリズムで次のフレーズを呼び込みます。

「ド・ソ・ラ」→5度跳躍かつ移勢リズムの反復、フレーズの音程の天井をさらに長2度上げ。

「ド・レ・ファ」→1オクターブ上のドに飛び乗り、なおかつすぐさま音程の天井をさらに長2度上突き。かと思ったら長6度下行し調の主音(ファ)へ着地。

下のドをたびたびフレーズの出発点にする反復によって、安定・地平を認めつつ跳躍の華やかさを引き立てています。徐々に音域を広げていき急に落とすところも劇的です。

これにつづく“今日も明日もあなたに 逢えない”は8分音符の連打が中心、かつ順次進行。“ら・ら・ら”フレーズとの性格の違いが対称的で、これらが組み合わさったサビになっています。

前半の約4小節(ららら…の部分)の発想ですでに「勝った!」と私なら思うかもしれません。それくらい雄弁で陽の熱量を秘めた光るモチーフです。後続の小節はこの黄金のモチーフを掲げる台座のよう。

歌詞

“ら・ら・ら〜 何かやらなきゃ誰にも会えない”(『ら・ら・ら』より、作詞:大黒摩季)

上はCメロ(大サビ)後のサビの歌詞です。

何かを成し遂げないことには、たとえばですが、むかしの同級生たちに合わせる顔がない……私にはそんな気持ちがあります。かけらのようなものかもしれませんが、確かに自分の中に、現状の自分を小さくみる傾向があるのです。

私に、たとえば肩書きやプロフィールに書けるような実績めいたものが何かあるか?(いや、ないだろう。)

いつになったら、そういう「成果」のようなものが自分についてくるのだろう? 私は完成するのか? 私の納期はいつだ?

……いえ、いつまでたっても、私は完成することはないでしょう。

だからこそ、私は何かやろうとします。その上で、望んでなのか偶然なのか知りませんが、日々、誰かと顔をつきあわせながら、どうにかこうにか生きているのです。

何かやる。それで、ようやく、人に会える。『ら・ら・ら』が含んだ歌詞“何かやらなきゃ誰にも会えない”に、私はそんな思念を抱きます。好きなフレーズです。

“年月が経つのはナゼこんなに早いのだろう あっという間にもう こんな年齢だし、親も年だし、あなたしかいないし… ねぇ”(『ら・ら・ら』より、作詞:大黒摩季)

現実のリスナーの境遇にリアルに寄り添い、共感を湧かせるラインではないでしょうか。加齢は古今東西の普遍です。私が年をとれば、親もおなじだけ年をとります。あたりまえのことだけど、万国共通の悲哀です。人生の選択肢は日々刻々とせばまり、余裕を失うばかりか。たたみかけるように唱えた“こんな年齢だし、親も年だし、あなたしかいないし”のふしまわし・リズムがキマっているのは、この歌の主人公の現実的な切迫感に由来するのかもしれません。

後記

歌の人格(フィクション)と言い切れないほどに大黒摩季のお人柄が滲み出た人生折り返しアンセムか。

朝日新聞の生活面(2021年11月16日)に大黒摩季の取材記事をみつけました。たまたま最近『ら・ら・ら』を思い出したところだったので偶然でした。

自分の経験したリアルな苦境や困難と、そのソングライターの作風が無縁なわけはないと私は思います。

あからさまに自分を出すか、客観で自分とは遠い登場人物や表現に託すかはやりようです。実体験でなくとも、想像や考え至ったこともその人の一部だと私は思います。自分が持っているものしか、外には出せません。偶然や自己の外側にあるものを意図的に手繰り寄せる手法もあります。

悲哀を笑い飛ばすのは屈しない心です。いえ、心は弱くても、行動が助けます。「やる」ことで、私は人に顔向けできるのです。その顔は、いけめんじゃなくたって、なんの実績もネームバリューもなくたって、恥ずかしいことひとつない、ほんとうの私の顔なのです。

青沼詩郎

大黒摩季 公式サイトへのリンク

朝日新聞デジタル>「子ども産めなくなりますよ」 治療か歌か…、大黒摩季27歳の決断

『ら・ら・ら』を収録した大黒摩季のアルバム『LA.LA.LA』(1995)

ご笑覧ください 拙演