こんな私で、15年以上はバンドっぽい音の曲づくりをしてきました。だから、「過去作」みたいなものが溜まってきます。

ステイホームなこのごろでした。そのまんまゴールデンウィークになった感じで、いくぶんゆっくり過ごす時間もありました。それで、過去の自分のつたない曲の音源なんかを掘り出して聴いたりもしました。

下手だなーと思うこと、いっぱいありました。今の自分ならこうはしないな、と思うこといっぱいでした。うわ、恥ず! って思うことばっかりでした。でも、同じくらい、いえそれ以上に、残しといて良かったなと思いました。

大御所の人気バンドでもないのに、あらためてまとめ直して発表してもいいななんて思ったくらいです。無名のミュージシャンの「過去作」なんて、「あらためて聴く」のは本人くらいのものですから、新作と一緒かもしれません。

と、個人的なことをすみません。

そのときの自分にしかできないことがあります。

といいますか、なんでもそうですね。後回しにしたら、それをやるのは「後回しにした自分」です。「後回しにしなかった自分」がやったバージョンは、もう二度と生まれません。すべてが、「そのときの自分」にのみできることだった。そうなるのです。

Aをやらなかったら、Bがかわりに生まれていたのかもしれません。でも、AもBも生まれていなかったかもしれません。

あとになって、「うわ、こんなことやったなぁ」「こんなの、よくつくったなぁ」って、そのときの自分に思ってもらえるのは、そのときの自分が「やった」から。そして、自分以外にも多くの人にそう思ってもらうためには、「発表」する必要があります。

発表して、ほかの人に問う。仮に恥ずかしい過去でも、今の自分と過去の自分は違いますから、言い逃れすればいいのです。「そのときの全力だった」と。そんなのもいいかな。

お読みいただき、ありがとうございました。

青沼詩郎