フォークソング部の友達が好きだった『TOKIO』

高校生のときに私はフォークソング部に所属した。部室に好きな時に行くと、そこにはアコースティック・ギターが大量にしまってあるスチール・ロッカーがあって、電話帳みたいに分厚い歌本がそこここに積んであった。

ロッカーの中のギターから好きな1本を取り出して、好きに弾いて歌う。「部」なのだけれど、大学のサークルのような自由でつかみどころのないふわふわとしたコミュニティだった(一応、文化祭などで定期的な発表の機会はあったからそれが「部らしさ」の砦だったかもしれない)。

そのフォークソング部員の中には「懐メロ好き」を自認する友人がいた。その人が沢田研二の『TOKIO』を好きだと言って歌っていたのを覚えている。

ほぼ日

私はここで毎日音楽をネタにブログを書くようになって半年以上経つ。それより前には、糸井重里が主宰(というか社長)のほぼ日」サイトをネタに毎日ブログ(「note」への投稿)を書いていた。具体的に言うと、ほぼ日サイトのトップに毎日更新される糸井重里のコラムを読んで、思いついたり考えたり脱線したりしたことを綴るものだった。2020年5月に、音楽をネタに毎日記事を投稿する自分のブログサイトを始めた私はそちら(ほぼ日・糸井重里コラムを読んで毎日何か「note」に書く)をピリオドして、自分で立ち上げたこの音楽ブログに集中することにした。

TOKIO

糸井重里が作詞してヒットしたこの曲『TOKIO』を、自分が立ち上げた音楽ブログでネタにしたいという思いは前からあった。念願…なんてたいした記事にできるわけじゃないけど、今日は焦点してみることにした(…ここで、「思い出モード」の自分からバトンタッチ)。

「TOKIO」ってなんだ?! 『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(2018年、ほぼ日文庫)(P76~P81)にヒントがありました。

パリ経由で東京に帰る際のシャルル・ド・ゴール空港に、東京行きを示す言葉として「TOKIO」という案内表記があったのを糸井氏が見たそうなんです。疑問に思って同行の人に尋ねたら「ラテン語系の国ではそう表記する」と教えられたといいます。

当時、「東京」にはどこか野暮ったいイメージがあったそう。でも「TOKYO」と表記してもありきたり。それで「TOKIO」という表現に至ったんだそうです。空港で目にした、あの表記。つまり、「TOKIO」は東京のこと。東京への思いが詞になっているのだと思います。現実の東京のことであると同時に、理想や仮想も入っている。ここにあるようなないような、幻のようでいて確かに誰かさんんの頭の中にある街、「TOKIO」。

母という女

違う角度の話をします。糸井氏は父子家庭で育ちました。離婚によって、母親はものごころつく前に出て行っているそうです。

『TOKIO』には、

“TOKIO 優しい女が眠る街”(沢田研二『TOKIO』より、作詞:糸井重里、作曲:加瀬邦彦)

という歌詞が出てきます。

また、糸井氏は『MOTHER』というゲームの制作者です。

糸井氏がものづくり(広い意味で)に「女」や「母」をモチーフとして登場させるとき、私は複雑な思いを想像するのです。

父子家庭に育ったって、「母」や「女」という概念を育む経験は生きて行くうえでいくらでも得られるでしょう(なんらかの理由で離別しただけで、その存在がなくなったわけではありません)。知り合う人すべてに母があるわけですし、糸井氏が誰かをパートナーに選び、その人が子を生めば彼女も母になります。出来た子が女児だったら、その女児も大人になって母になるかもしれません。実際、糸井氏には娘さんとお孫さんがいるようです。

つまり、自身が父子家庭に育とうとも、母という存在、概念は必然的に築かれます。もちろん「母」と「女」は同義ではないでしょう。同時に、「母性」や「女性」は「母」や「女」のみが持ちうるものでもありません。いろんな人やものごとに「母性」「女性」は宿りえます。

話がまどろっこしくなりましたが、ご辛抱いただきありがとうございます。そうやって、父子家庭にあっても「母」や「女」がどういうものかは築かれるわけですが、一方で、多くの人が「同じ家庭に属して生活する、血縁上の母」とはどういうものかを観察した経験を持っています。その直接的な視点が欠けるわけです。

欠けるといっても、獲得しえないものではありません。それは、想像や思考、観察や発想が補う領分でしょう。逆説で、そうしたものが豊かになるかもしれません。「家庭の中に血縁上の母がなかった」からこそ、培われる観察や発想や思考・思慮の類いがあると思うのです。

私は、沢田研二が歌った『TOKIO』のそこに感じ入ります。

ちょっと飛躍したかもしれません。この曲は仮想と理想と現実の入り交じった「TOKIO(東京)」が主題であることは間違いないでしょう。ですが、そこには、それを描き出すモチーフのひとつとして「」があり、そこには「母性」もきっと存在しています。

「TOKIO」のどこかに私は眠り、あなたもそのどこかで目を覚ます一人。「TOKIO」は、現実の東京のみにあるとも限りませんし。

青沼詩郎

『TOKIO』(シングル版)を収録した沢田研二のベストアルバム『ロイヤル・ストレート・フラッシュ3』(1984)

『TOKIO』(アルバム版)を収録した沢田研二のアルバム『TOKIO』(1979)

古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』 糸井重里・古賀史健(2018年、ほぼ日文庫)

ご笑覧ください 拙カバー

青沼詩郎Facebookより

“41年前、1980年1月1日にリリースされたシングルが沢田研二『TOKIO』。
きのう私は高田渡の『生活の柄』を味わったのだけど、彼と同じくらいの年代のミュージシャンが気になって、真っ先に思いついたのがジュリー。作詞の糸井重里も同い年。高田渡は1949年1月1日生まれだけど年度的には学年が一緒(?)。彼も生きていたら全員72歳。
『TOKIO』作曲の加瀬邦彦はちょっと年上で、生きていれば80歳だけど2015年に他界している。彼が加入していたバンド、寺内タケシとブルージンズを彼が辞めた理由が「自分たちのバンドがビートルズの前座を務めることになったが前座を務めると警備上の理由で楽屋に閉じ込められてしまうため、客席でビートルズの来日公演を見られなくなるから」。極端だけど思い切った決断のある人、と思わされるエピソードだけれど、確かに「究極の選択」をふっかけられているようでもある。それくらいビートルズの来日公演はセンセーションだったんだろうと思うし、それが別格に尊敬する大好きなバンドならなおさら。
(ほとんど『TOKIO』の話じゃなくなっちゃった!)”

https://www.facebook.com/shiro.aonuma/posts/3523509844409331