私はギター・ヒーローの道からはつくづく逃げてきたなという実感がある。

小学校の頃、塾が同じの友人がいた。彼はB’zのファンで、松本孝弘が好きだった。彼は「松本さんかっこいい」(×100times)「青沼、ギターやろうよ」としきりに言ってきた。幼少期からピアノをやってきた私。ピアノの練習は好まなかったけれど、音楽そのものは好きだった。だから「いいよ(分かった、の意)」と返事をした。それで中学校への入学祝いと、5月の誕生日祝いを兼ねて親にエレクトリック・ギターを買ってもらった。

グラス・ルーツの製品で、ブリッジやナットの機構が複雑なチューニング・ロック式のものだった。5歳年上の実兄の同級生でギターをやっている人に案内してもらって、すすめてもらったギターだった。

しばらくギターをやって思ったのは、なんでこの複雑な機構のギターを最初の一本にすすめたのだろうという疑問だったけれど、それはチューニングの煩わしさから救われてほしいという願いからだったのかもしれないとも同時に思う。

ちなみに、チューニング・ロック式だからといってチューニングから解放されるわけではない。一度チューニングをして、ロックをかけると、いくらかそのチューニングが狂いにくくなるというだけのものだ。それは完全なチューニングの形状記憶というわけではない。

かくして私は、弦を交換する際にすべての弦のポール・エンド(弦のはじっこに備えられている、弦を引っ掛けてギター本体に固定するためのでっぱり。「でっぱり」の正体は小さなベアリングそっくりの金属片。そのリングを抱き込むようにギターの弦が巻き付けられて、弦のはじっこに「でっぱり」を形成している。ギター本体側に弦を通し、そのでっぱりが引っ掛かることで弦を「張る」ことができる)をラジオペンチやニッパーで切り離して、「でっぱり」を失った一本ずつの弦を固定するために六角レンチをくるくると回した。そうすることで、ポールエンドを失った弦のはじっこをギター本体側の駒のような部品が次第に強く圧迫し、弦を本体側に固定するという機構だった。

ジャパニーズ・ギター・ヒーロー松本孝弘に憧れた友達に誘われたうえ、また違った人物から薦められたグラスルーツ・ギターを手に入れて演奏をはじめた私。でも、たぶんその頃から私はポップが好きだったんだと思う。小学生のころ初めて買ったシングルはブラックビスケッツの『スタミナ』だったし、当時私は鈴木亜美のファンだったからテツヤ・コムロ・メイドの歌ものポップサウンドに浸った。

中学生のときに触れた布袋寅泰の『バンビーナ』には影響を受けた。とてもかっこよかった。曲は歌ものポップでもあったけどロックンロールで、ギターヒーローの布袋寅泰を味わえる楽しくて豪華で軽快で勢いのある曲だった。そのギターソロやバッキングを真似て私はグラスルーツ・ギターを弾いた。

高校に入って組んだバンド。最初は4人編成で、ボーカルがいるバンドだった。そこで私はギターを弾いた。で、ボーカルが脱退する。ベーシストが弾きながら歌ったり私が弾きながら歌ったりした。そのうち、なんとなく私はギターヒーローのほうよりも、ギター・ボーカルのほうに比重がうつった。もちろん、テクニックとエフェクターを使いこなし、ギター・ヒーローかつボーカリストの道をいくひともいることと思う。ギター・ヒーローの定義が演奏とエフェクターの使いこなしの技術のみだなんてことも夢にも言わない。ただ、なんとなく私はそうならなかった。プレーンなギターの音が好きだ。歪んだ音でも、アンプで歪ませた音が好きだった。

そんなわけで、ヴァン・ヘイレンのことも、存在は知っていたし、何曲か聴いたり、いくらかアルバムをさらっと通して聴いてみるくらいのことはしたことがあったけれど、深く、聴き込み、影響を受け、自分を強く変化させるようなことがこれまでになかった。

ヴァン・ヘイレンの名を思ったとき真っ先に浮かぶのがこの曲だ。

ギター・ヒーローの文脈でこの記事をつづっているにしては、イントロのシンセのサウンドの印象が強い。曲の中盤以降にギター・ソロがあるし、なんとそのあとにシンセ・ソロもあって、そのいずれをもギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレンが演奏している。朗らかな表情で、軽やかに、さもごく簡単なことかのように彼は弦を押さえ、はじき、指を滑らせる。鍵盤の上で彼の指が躍る。

今出会わないのに比べたら、今出会ったのでも遅くない。

ヴァン・ヘイレンの光がむこうにずっとある。

青沼詩郎

『Jump』を収録したVan Halenのアルバム『1984』