最近のマイブーム。「○○年の音楽」を検索すること。そして、ヒットしたらしい作品を聴くこと。「○○年」はなんでもいい。

たとえばまず、身近な人を思い浮かべる。ある程度年齢(年代)がわかる人がいい。で、その人が、たとえば14歳くらいだったのは○○年だというのを割り出す。別に「14歳」でなくてもいい。その人が多感だったであろう時期、いわゆる思春期がいい。世の中への関心と、自分自身への関心のはざまで濃密に鳴り響いた音楽はなんだったのか? そういうものを私は知りたい。その人が多感な時期を過ごした時代の世の中に、どんな音楽があったのか? それを知ることで、その人を知る手がかりが得られる気がする。それをしたら、実際にその人と話してみて、多感だった頃にどんな音楽を聴いたか答え合わせをするといいだろう。そう思いつつ、まだ実際にその機会は得られていないけれど……最近はじまったばかりの「マイブーム」なのだ。

でもこれは財産になると思う。調べた経験(されど検索)、曲を聴いて社会の光や影を知ったり、その時代を過ごした人たちについて想像を膨らませたりした経験は宝物だと仮説してみる。

ちょっとヤらしい話。その人の年齢から察するに、「きっとこんな音楽で当時を思い出すんだろうな」というのをあらかじめ知った上で、「俺、この歌最高だと思うんですよ」なんて、私自身が音楽活動をしている事実にかこつけてさりげなく切り出す。するとわざといやらしく表現してみれば、きっとその人が「釣れる」だろう。話題に食いついてくれる可能性が高いんじゃないかと思う。それで話を広げていくと、自然ななりゆきでその人やその人の過ごしてきた時代、世の中について話を引き出せるんじゃないか。その人が、それまでより心を開いてくれるんじゃないかな、なんて思う。

ロックを私は好きなのだけれど、最近音楽ブログを毎日書いていて思うのは、「ロック好き」はごくマイナーな存在だということ。どんなに胸が張り裂けんばかりに心動かされた私的神曲であっても、ロック好きでない人はほとんど知らない、というパターンが多い。そもそも、

・自分自身で楽器を演奏する人。
・日常生活に、「歌う」という行為が高頻度で含まれている人。
・もっといえば、単に「音楽を聴く習慣がある」人。

というのは、いずれもマイナーだ。それをしない人の方が、割合としては圧倒的に多い。

私は童謡が好きだ。ロックを好きな気持ちが空回って、なんとなく寂しい気持ちになったときは童謡畑に赴く。童謡の、広く歌われることを視野に入れて紡がれるメロディや歌詞は心に染みる。、

毎日利用している、音楽配信のサブスクリプションサービス(Apple Music)に、(なんと安易なことか)今日は「童謡」と入れて検索してみる。

見つけたのが、これだ。(YouTubeで探し直した)

タイトルもすごいし、歌手名が……? そう、俳優の吉岡秀隆。彼は子どもの頃から活躍していたのだ。

曲がすごい。イントロの多国籍チャンプルーななんともいえない風合い。拍子が変わって、歌がはじまる。レゲエのようなアップビート。でも歌謡曲然とした哀愁とエモがはじけている。

子どもの社会はせまい。家庭内と、隣近所でおおむね完結する(もちろん直接的な範囲に絞ってだけど)。ミクロな社会での人間関係から生じるドラマを『山口さんちのツトム君』は描いている。歌詞の、放置された三輪車の描写がせつない。ここで私の涙腺は守りを崩した。

作詞・作曲者はみなみらんぼう(1944〜)。1971年頃〜作詞・作曲で活躍をはじめたフォークシンガー。1973年に『ウィスキーの小瓶』で歌手デビュー。太くコシのある歌声が力強く包容力があって優しい。

私は今これを聴いて、私の大好きなミュージシャンたちに通ずるものを感じた。私には私的神曲がたくさんある。私の頭の中のそいつらは、私が新しく何か音楽を聴いた時、自らに通ずる匂いを察知するに私にプッシュ通知してくる。通知をクリックして中身を認めた私はうなずく。やはりお好きですねと神曲同盟。同盟はちゃくちゃくと規模を拡大している。今日わたしの頭の中に吹いた風は、みなみの風だ。

らんぼうさん、私はファンになりました。

山口さんちのツトム君 ミクロ聴き比べコーナー

吉岡ひでたか版『山口さんちのツトム君』。奥歯に詰め物でもあるような発声が愛嬌メーターを振り切る。みゃうみゃうと鋭くねじれるギターがアクセント。

川橋啓史版『山口さんちのツトム君』。テンポがより軽調。ストリングスの表情に大人からの抱擁の目線を感じる。

余談 歌声の個性を決めるのは、いかに声帯以外か

幼い歌手の声をいくつか聴くに、その声色はよく似ている。もちろん将来の方向性を嗅ぎ取るくらいの差異はある。こういう方向に大成しそうだななんて思わせてくれる良い例はミヤジ(愛称で失敬)こと宮本浩次氏の『はじめての僕デス』(オリジナル:1976年)の歌唱。未来(現在)の姿や功績を知っているバイアスでそう思うだけかもしれない。私は安易だ。

幼い歌手の話にもどそう。いくつかの幼い歌声を、どれも似ているなと感じる事実に思うのは、「いかに歌声の質の決め手となるものが、声帯そのもの以外の部分にあるか」ということ。

声帯自体の音だけを取り出して聴くことは難しいが、ブワブワいっているだけの醜い音なのだという話を聞いたことがある(出典を失念して申し訳ないが)。

大人になると、当然体積がふえる。体がおおきくなる。声帯部分のみのグラム数が増えるよりもずっと、筋骨内臓脳髄血液など、声帯以外の部分が増える割合は「爆増」とでもいいたくなる程度だろう。

声帯以外の部分が、声のキャラクターを決める。

このことには、ほかの根拠(せいぜい私がそう主張するタネ、という程度だけど)もある。たとえば金管楽器の発音体は人間の唇だ。唇のあいだを息が通って、唇がこまかく「ヴィー」と震える(あえていおう、みすぼらしくて頼りない)音こそが、金管楽器の美しく黄金色に輝く音色の源である。虫が羽ばたく音にたとえてバジングと呼ぶくらいだ。つまり、発音体以外の部分が音を美しくしている。

この理屈が声楽においてもまかり通る。顔面はじめ身体のあらゆる空間や細胞、体組織。それらの質、量、状態ほかによって声の質が決まる。声帯そのものの音が声の音色を決める割合は、少ないと私は思う。もちろん声帯がちゃんと震えていないと体組織にまで響きが伝わらないであろうことは釘を刺そう。

大人になるにつれて増える知識経験。情緒の複雑さ。これは声帯からはじまる体組織の声の旅に掛け算をほどこす。あるいは、声帯の振動を生み出すものこそ精神かもしれない。精神がゼロを1にして、体、声帯、体と通って最後にも掛け算をほどこす精神。声はソウルなのだ。魂だね。

宮本さんの『はじめての僕デス』

後年の宮本さんのパフォーマンスを先に知っているから私はもはや偏見なしに鑑賞できない? それにしても個性的で江戸っ子魂的な肝の大きさを感じる歌唱。『はじめての僕デス』発表時の宮本さんは当時10歳くらいだった計算になる。「幼いこどもは、声の質を大きく左右する要素がまだ少ないからどの子の声もある程度似ている」なんて私の軟弱な主張が吹き飛ぶ。まぁ、10歳はけっこう大きい子かもしれない。

それはそうと、幼児の声でも親は自分の子の声をよく認識する。人間の耳は良いのだ……ということにしよう。

青沼詩郎

みなみらんぼう Webサイトへのリンク
https://rambow.jp/

川橋啓史『山口さんちのツトム君』以外にも、小室等『雨が空から降れば』、神崎みゆき『あの雲にのろう』、倍賞千恵子『風の子守歌』、宮本浩次『はじめての僕デス』などを収録しており私的神曲率高の『(復刻盤)続NHKみんなのうたより 名曲100歌~<1969-1977> 思い出の歌たち』(2021)。4時間31分、CDは4枚組。神々の箱庭かよ。

吉岡ひでたか(吉岡秀隆)が歌う『山口さんちのツトム君』を収録した『よい子の童謡ベスト』

川橋啓史が歌う『山口さんちのツトム君』を収録した『みんなのうた45周年ベスト曲集~北風小僧の寒太郎/山口さんちのツトム君~』

『ウィスキーの小瓶』を収録した『みなみらんぼう全曲集2020』

ご笑覧ください 拙演