所在なき年頃
尾崎豊さんの『十七才の地図』という名アルバムがあります。その収録曲で歌われた内容は、その年齢・年代の人が感じる特有の所在のなさ、あらゆるコミュニティからのはみ出し者であるかのような疎外感、あらゆる徒党への疑義や反抗心ではないでしょうか。
いっぽうこちらの安達明さんの歌った『十七才のブルース』は質感こそぜんぜん違いますが、そうした所在なさげな気分に由来する哀愁についていえば通ずるものが見出せるでしょう。時代が違っても十七才のアイデンティティにはそうした孤独感がついてまわるのだと思います。
安達明さんの『十七才のブルース』には何やら社交ダンスの音楽などに用いられていそうな独特のリズムの質感、パターンがあります。これって音楽スタイルの“ブルース”なの? と問えば、それは全然違うのでは? と思います。〜ブルースだとか、〜ブギウギだとか、特定の音楽スタイルを冠した曲名を持っていても、内容や質感の実際はそのジャンルや音楽スタイルとは不一致であるケースは多いでしょう。既出のジャンルと己の今まさにこの瞬間に表現する思想心情・感情のズレこそ、悲哀の父であろうとこじつけてみます。
歌詞を書いた吉岡治さんは『おもちゃのチャチャチャ』の補作詞をした方です。“チャチャチャ”こそ、社交ダンスで使われていそうな音楽スタイルですね。
作曲の市川昭介さんは演歌の大家で数多の門下生を輩出しています。
十七才のブルース 安達明 曲の名義、発表の概要
作詞:吉岡治、作曲:市川昭介、編曲:大西修。安達明のシングル(1966)に収録。
十七才のブルース 安達明(『安達明 ゴールデン☆ベスト』収録)
非常に柔和な声色が魅惑です。ひゅっと力を抜く、そして伸びたロングトーンで優美なビブラートがかかる。しゅっとした美少年ふうの風貌がうかがえる“ゴールデンべスト”のジャケ写ですが、育ちのよいおぼっちゃまのような、品性の高い歌声をしていらっしゃいます。
バリトンサックスか何かなのでしょうか、思わず吹き出して笑ってしまいそうになるくらい爆裂な存在感のあるサックスの音色が大人びています。大人ぶりたい、大人あつかいされたい十七才、大人の一歩手前の少年の嘆きの写し身なのでしょうか。左定位のエレキギターのリードプレイと息をあわせてシンクロします。エレキギターの音色の機微がまたすこぶる良い。
右側定位のハーモニカもまた泣かせます。これも音の切れ際や立ち上がりなど演奏の機微が良いのです。歌詞が「どこからくるのか 淋しさが」と唱えるところで「おいらのこと呼んだかい?」とでも言わんばかりにその孤独な面構えを己のアイデンティティの看板としてハーモニカが出てくる。そうそう、おいら(寂寥)はお前に会いたかったのさ。
「こんな淋しさ 消えちまえ」とぶっきらぼうで投げやりな言葉づかいがまた少年じみていてリアルに響きます。品が良さそうに見える安達明さんが歌うから振れ幅が見えて良い。結局ティーンエイジャーのはみだし者の自負に由来するぶっきらぼうさは普遍なんだと思わせます。
右のほうに「ジャー・ジャジャ」……というパターンを繰り返すギターのストラミング。音の景色が変わってもこいつだけは恒常的にそばにいる。少年にとっての街乗り自転車みたいな相棒感。
ズウンと深い音色のベースはコントラバスタイプのものなのか。カツっとリムショットするドラム全体の音は引き締まっていて、空間に残響してもいたずらに他のパートをマスクしたりしません。
「セブンティーン」の「セブン」を歌うところで3連符の譜割りになり、「ブルゥーーーーー……スゥウよ〜」と、「ブルース」のところに籠った孤独なやり場のないあばれだしそうなぶっきらぼうな気持ちの強さを表すかのように音価が大きくなります。
「縞のマドラス」の単語が小物使いとしてアクセントになっています。私は聞き慣れない名詞でしたが、インドの地方名に由来するマドラスチェックなるファッションの柄ものがあるようなのです。マフラーか何か、君が身につけていたものなのか、あるいはスカートやワンピースやシャツなどの柄が「縞のマドラス」である可能性もあるかもしれません。
青沼詩郎
日本コロムビア>安達明プロフィール
『十七才のブルース』を収録した『安達明 ゴールデン☆ベスト』(2012)