一縷のクスリ

あまりにもシンプルなメロディと和音の進行に乗せてシビアで際どい鋭さをもった言葉を放ち、私をドキっとさせる……そんなマーシー(愛称で失礼します)のソングライティングの特長が本曲にもうかがえます。

とはいえ、率直で色付けのない目でみれば至極当たり前の指摘です。世の中でまかり通っていることって、さまざまある個人の事情や環境や資質や条件ときに形状などの具体の細部をないがしろにして丸めた総論にうなずきを与える風習や習慣である場合がなんと多いことか。そうした疑義や横暴さをまっすぐに穿つ心地よさが本曲以外の作例にも亘って真島さんのソングライティングには頻繁にうかがえるでしょう。

本曲の最後は「今はちょっと楽しむとき ちょっと笑うとき」のフレーズで結びます。突き放す厳しさもあれば、ただ同じ地平でお祭り騒ぎに加担し踊りを楽しむのみの横並びの仲間だという同胞意識、慈愛を感じもします。この楽曲の本題、魂柱をシンガロングするカタルシスこそが本曲の充足感の素性の一面だと思えます。人生はさながらお祭りです。

どんなに失敗しても、「死ぬわけじゃあるめぇし」と視野をひろげ、凝り固まったピントをほぐすアドバイスによって声かけの対象を安心させる慣用句がしばしばあると思います。その寛容表現をかるく笑い、あるいは視野をさらに広げる指摘で覆すのが「最悪でも死ぬだけだから」。助言のつもりで「死ぬわけじゃない」うんぬんの寛容表現を話者は放ったかもしれませんが、具体的な事情や思い悩むこちらの心情の機微を何も知らない見地でよくぞ「死ぬわけじゃない」なんて言ってくれやがる……こっちは本当に死んでやろうかと検討するくらいに思い悩み苦しんでいるのに……というカウンターが思い浮かびます。そんな人に対しての声かけとして、真に刹那だとしてもわずかな安らぎを、一縷の光の差金となる慈愛の言葉こそが「最悪でも死ぬだけだから」ではないでしょうか。

そんな真に正直で視野が広く深く鋭い助言をもらえてこそ、はじめて「そりゃそうだ」と己の視野の小ささ・ピントの凝り固まった危うさを認知・自覚し、緊張がほぐれて「(フフッ)」と笑える……今はちょっと楽しむとき、と己の生活にうなずきのひとつを与えられるのではないでしょうか。

ハイロウズのオリジナルアルバムはしばらく入手が難しいものもあったかもしれませんが、このたび2026年3月25日に再発されました。この機会に聴いてみてはどうでしょう。

21世紀音頭 THE HIGH-LOWS 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:真島昌利。THE HIGH-LOWSのアルバム『HOTEL TIKI-POTO』(2001)に収録。

THE HIGH-LOWS 21世紀音頭(アルバム『HOTEL TIKI-POTO』CD収録)を聴く

だ・だ・だ。ダダッ・ダダ……。タイトなリズムのバンドに、甲本さんと真島さんのハーモニーが浮かぶ対比に感動します。

ギター、ベース、オルガン、ドラム、すべてのパートのリズムが協調しています。ベースフレーズの上行音形のパターンを受け取ってオルガンもちょっと似ているけどちょっとアレンジを効かせたパターンを折り返し後から唱えはじめます。オルガンは保続(ドローン)の役割にまわることも多い楽器(音色)ですが、本曲ではリズムに加担しているところも好ポイントです。

和太鼓とドラムセットトラックの棲み分けあるいは共同関係も的確。日本あるいは琉球的なダンスミュージックの精神を受け取った、いまこの瞬間・21世紀の讃歌。お祭り騒ぎによって狂乱することなく、音楽作品としての理性的な構築美を感じもします。三線の音色が非常に豊かに収録されていて、中央付近から左右に渡るようにバンドの空間に調和とつながりをもたらす存在感が頼もしくかつ友好的です。CDのブックレットをみたけれど、和太鼓トラックや三線トラックの演奏者が誰なのかわかりませんでした。気になりますね。

最後のほうの「今はちょっと楽しむとき」に至ってはシンガロングでボーカルラインの光が最も強くなります。そうだよ。なんか知らん、個人のうらみつらみや社会や世界のビョーキもいろいろ日々あるかもしらんけど、このお祭りを楽しむ一瞬を誰もが心に持ってるんだぜ……と私は感動します。お祭りの瞬間が強引に重なり、協調を強いられずとも良いのです。それぞれに、心のなかに、永遠かつ一瞬の「音頭」を持てば良いのです。Have a fun time!

青沼詩郎

参考Wikipedia>HOTEL TIKI-POTO

参考歌詞サイト 歌ネット>21世紀音頭

↑THE HIGH-LOWS↓へのリンク 公式サイトでも再発情報が報知されています。

『21世紀音頭』を収録したTHE HIGH-LOWSのアルバム『HOTEL TIKI-POTO』(2001)