休みも歩みのうち

”しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる”(『三百六十五歩のマーチ』より、作詞:星野哲郎)
おのれの意思によって進むことで獲得できるものがしあわせである真理を、楽しくも厳かに、悲哀とウィットをもって描く歌詞が尊いです。また努力や労力のうち、実りすなわち確実な前進に結びつくのは1/3(さんぶんのいち)である、というような箴言を提示してもいます。がんばってがんばって積み上げた仕事の66パーセントほどが水に流れたり崩れ去ったり手に残らなかったりしても、それが普通なんだからな! おれもがんばるから、おまえもがんばれよ! という激励に思えて胸熱な歌詞です。
”人生は ワン・ツー・パンチ 汗かき べそかき 歩こうよ あなたのつけた 足あとにゃ きれいな花が 咲くでしょう”(『三百六十五歩のマーチ』より、作詞:星野哲郎)
ワン・ツー・パンチという語彙はそれだけで破格の雰囲気をまといます。パンチが破裂音であることもでしょうし、ワンoneとくればツーtwoが来る予定調和も鑑賞者の快楽につながるのでしょう。
ワン・ツー・パンチという語自体は、ボクシングに由来するものでしょうか。ジャブとストレートを組み合わせた、最小限にして必要十分の技の単位だと思えます。性質の異なるものの組み合わせが、それぞれ単独で発動するときの効用の合算値を上回る効果を発揮する掛け算の凄みを思わせもします。それはもちろん、誰かと誰か、あなたとあなたのかけがえのない人など、人間のパートナーシップが掛け算のような幸せの総量や成果につながることを表現しています。どこを見ても胸熱な歌詞ですね。
”腕を振って 足をあげて ワン・ツー ワン・ツー 休まないで 歩け”(『三百六十五歩のマーチ』より、作詞:星野哲郎)
前時代的に感じるのは、「休まないで 歩け」というフレーズです。働けば働くほど、努力すれば努力するほど、(三歩のうち二歩はさがってしまうのだとしても)おのれの差し出した力に比例して、個人が、家が、社会が潤い成長した時代を象徴して思えます。現代においては、休みの取得は権利である、その自由を阻むのにつながる方針、態度、価値観はブラックであるという前提がおそらく表層でしょう。
そこの差異(ジェネレーションギャップ)を感じるのは正直なところですが、これもものの考えようです。つまり、休むことについても積極的な態度・思想心情が込められており、体力精神力を要する仕事に備えて必要なだけ直前に休んでおくこと自体も歩き続ける行為のうちに含ませて語れば、実際には心身の休息をはさんでいても、休まないで歩いていると解釈できるのではないでしょうか。
休息の本来の意味とは、ダラダラと自堕落をむさぼることではなく、その本質は時代や考え方・価値観がある程度変遷しても通ずるものがある、根底の精神で共鳴ができる真理を思わせます。やっぱり歌詞のどこを見ても深いですね。それでいて、語彙や歌の質感自体は極めて簡潔でシンプルで大衆的です。
三百六十五歩のマーチ 水前寺清子 曲の名義、発表の概要
作詞:星野哲郎、作曲:米山正夫。編曲:小杉仁三。水前寺清子のシングル(1968)に収録。
水前寺清子 三百六十五歩のマーチ(『水前寺清子全曲集〜熊本城・三百六十五歩のマーチ〜』収録)を聴く
水前寺清子さんの声がすばらしいです。ちょっと鼻にかかったような独特の響きの特徴がある上で、どんな闇も照らすような強く明るい響きが絶大です。演歌のバックグラウンドをおもわせる独特の「こぶし」のような、エレキギターでいうところの歪み感みたいな質感もあって、歌声にエッジと輝きと愛嬌のすべてが同居しています。華のある歌手です。
ティンパニーのⅰとⅴのオルタネイトストロークにあわせてハンドクラップが重なり、水前寺さんのワン・ツーの掛け声。私のなかに棲む全人格が彼女につづいてマーチングに参列します。どこまでもいってやるぜ。
チーチチーチ……とスウィングしたライドシンバル。パラパラと小太鼓がふりそそぐ。ドラムキットではなく、オケやブラスのパーカションパートのスタイルを感じます。また、左側定位でカカカカカカ……と、非常に甲高い音色の小ぶりのつづみ(鼓)みたいな音色がフィットされているのがアクセント。和物楽器でしょうか。多様なキャラクターがひとつのサラダボウルにまとまっていて、あなたがどんな個性の持ち主でもかまわないんだよ、一緒の時代を歩いていこう! と受け入れてもらっている感じがします。器が寛いです。
歌メロディをちみちみとしたいかにも演歌トーン然としたエレキギターがトレースします。ストリングスやサックスもつぎつぎにリードボーカルメロディのトレースのバトンを渡しあって、常になんらかのパートが水前寺さんのリードボーカルメロディと息を合わせてシンクロしてユニゾンしているのです。この協調ぶりにも、ワン・ツー・パンチの観念、審美的な強さが漂います。
3番までの歌詞でちょっとずつ、ことばの印象面で光や影のコントラストを変えながら、しあわせの真理を描いていきます。しかしテーマはずばりひとつ。希望の光はおなじほうから指しているように思えるところが、この時代の強さ・特徴を象徴しても思えます。
現代は、光(光源。希望や理想・将来像の象徴)の強さやそれが所在する方向も、人によってさまざまという感じがします。2026年(この記事の執筆時)の価値観においては、この『三百六十五歩のマーチ』のような傑作は、時代背景的にどうしても生まれえないと思えてなりません。
青沼詩郎
水前寺清子のシングル『三百六十五歩のマーチ/真実一路のマーチ/ウォーキングマーチ』(2003年。オリジナルは『青空の唄』を収録したEPで発売年は1968年)
『三百六十五歩のマーチ』を収録した『水前寺清子全曲集〜熊本城・三百六十五歩のマーチ〜』(2018)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】休みも歩みのうち『三百六十五歩のマーチ(水前寺清子の曲)』ウクレレ弾き語り』)