4グラムの砂 ザ・ゴールデン・カップス 曲の名義、発表の概要
作詞:鈴木健、補作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦。ザ・ゴールデン・カップスのシングル『本牧ブルース』(1969)、アルバム『ブルース・メッセージ ザ・ゴールデン・カップス・アルバム 第3集』(1969)に収録。
砂時計の砂を量ったことがない
“ぼくの心の 白い砂時計 なぜかこのごろ 重たくおちるよ わけもないのに 悲しみをうたうよ それが生きてる しるしのようだよ 生きてることってどんなことなの 教えておくれ 砂時計 ぼくの心の さびた砂時計 町を歩くと 重たくおちるよ”(『4グラムの砂』より、作詞:鈴木健、補作詞:なかにし礼)
砂時計の砂が何グラムなのか取り出して量ったことがないのでわかりません。4グラムなのかな。
継ぎ目のないガラスに包まれていますよね、砂時計の砂って。あれ、どうやって製造するのでしょうか。考えたことがありませんでしたが不思議なものです。
計ったこともないし、計ったら何グラムなのかもわからない、砂時計の砂とその重さをタイトルに掲げたところが妙です。
もちろんそれだけで妙であれば、みんなが量ったことがなさそうだし何グラムあるのかも知らなさそうなものをタイトルに掲げて考案すれば柳の下のドジョウでしょうか……それも、やってみようとすると案外むつかしいのかもしれませんが……。
4グラムという具体的な数字そのものには、それほど大きな意味はないと思えるのです。しかしそれでもこの歌は3グラムじゃダメだし5グラムでもダメな気がします。不思議なものです。
情緒や諦観、世を憂い、儚く思う心情。感傷。楽曲『4グラムの砂』にはそういったフィーリングが通っています。そのフィーリングと、4グラムという数字は絶妙なバランスをとりあっているのです。
4グラムは軽いです。そこが儚い。では3グラムや5グラムはどうか? やはり同様に軽いでしょう。ブラインドテストで、目隠しして手に乗せられた砂が3グラムか4グラムか5グラムかを当てられる人は少なさそうです。一度、3・4・5グラムそれぞれの重さを知覚させてもらってから(手に乗せて試して)ブラインドテストに及べば結果は違ってくるのかもわかりませんが……。
それほど微々たる差異であるにもかかわらず、4グラムであることはやはり重要なのです。
30キログラムと40キログラムと50キログラムではだいぶちがいます。蟻んこにとってはおそらく、3グラムか4グラムか5グラムかの砂の量の差異は甚大な違いです。
それくらい、緻密で繊細な目盛りの物差しが適切、という尺度でヒトの心もまた繊細で緻密なのです。この楽曲のタイトルが“4グラムの砂”である必然性も、意匠の適確さも、そうしたヒトの心の機微の解像度を表現している点が確かな理由なのだと思います。
ペンタトニックスケールを用いたAメロのボーカルメロディが静かな哀愁を……そう、ぴりっと緊張感をもって水面を凪いだままコップを持ち歩くような情感を描写します。イントロのエレキギターのモチーフもペンタトニックスケールの哀愁がふんだんに漂っています。ペダルを用いた感じのトーンですね。
Bメロでボーカルのペンタトニックスケールのはしごを外し、景色を変えている。静かで、センチメンタルな地平を持っているにも関わらず、音楽にメリハリを与えて動きを出した作曲面も秀逸です。
間奏でトランペットがリードし、2Bメロの再現でそのままトランペットがアテンドしたままカウンターメロディを添えます。2Bメロ後のAメロの再現に入るとトランペットが抜けて、後奏でまた入ってくる……ウーと静かにうなるバックグラウンドボーカル、かと思えば盛大に開放的な発声で字ハモ(歌詞のあるハモリ)を見せる……性格の違う多様なトラックの采配で音景を展開させる気持ちよさ。心の風通しは良さそうです。だからこそ、さらさらと砂のようにこの手指をすり抜けてしまうのですが……。
作詞は公募だというから驚き。補作詞をほどこしたのがなかにし礼さんとのことです。何者でもない白い銃座からの自由で柔軟な着眼点が私の心を射抜きます。
青沼詩郎
『4グラムの砂』を収録したザ・ゴールデン・カップスのアルバム『ブルース・メッセージ ザ・ゴールデン・カップス・アルバム 第3集』(1969)