50歳になってから歌うラブソング 友部正人 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:友部正人。友部正人のアルバム『奇跡の果実』(1994)に収録。
友部正人 50歳になってから歌うラブソング(アルバム『奇跡の果実』収録)を聴く
このまま60歳になっても70歳になっても続いていきそうです。
ウクレレみたいにコロコロした可愛い乾いた草のような音色はマンドリンでしょうか。ⅠとⅣの繰り返しで歌詞を乗せて走ります(これでいいのです……!)
バイオリン(フィドル?)が麗しい音色で50歳の気品を演出します。ポコポコとピチカートしているところもあるでしょうか。アルコとの音色の落差があります。
アコギがつつましやかに絡みます。よく聴くといたのかと知覚するさりげなさです。
ピヨン、ビヨンと口琴の類。アイヌならムックリですね。世界中にあるさまざまな口琴の数・種類はすさまじいものがあるのを「小学館の図鑑NEO 音楽」を開くと実感します。口琴の音色は何を考えているのかわからない異国の部族みたいな、感情を超越した特異な存在感を私に覚えさせます(もちろん、たとえばアイヌはじめ口琴をもつさまざまな民族の方が何を考えているのかわからないと言いたいのではなく、言語の細部のニュアンスの共有とかそういう次元を超越した印象を覚える音色だといいたいだけです)。
途中から「キック」と呼ぶにふさわしく、床を足で踏み鳴らしたようなアタックと響きが聴こえてくるのをヘッドフォンで認知しました。ペチペチとクラップの音もきこえてきます。そこらにある、使える音を出せる手段や物を動員して「輪」をみるみるうちに顕現させているような身軽さを覚えます。
マンドリンのコロコロとかろやかな音色と、友部さんの中低域に広がる声の響きがお互いをケアし合っている印象で好バランスです。ハーモニカがちょっと入るのがいいですね。どこでもすぐ歌って、輪をつくれる。そんなレパートリーである気がします。
50歳の節目はたとえば20歳の節目にともなう感慨などとはかなり違うであろうことを想像します。これを書いている私はまだ40歳の節目もこれからですからひと世代とびこえた先輩の感慨が“”50歳”にはあるのかもわかりません。
この歌、50歳の僕から20歳くらい(たとえばの年齢です)の僕に向けてのラブソングなのではないかとも思えます。
ここにあるのは君へのラブソング あの頃は歌にメロディーがなかったし 今はここに 君がいない 明日ぼくは 50歳になるのさ
『50歳になってから歌うラブソング』より、作詞:
50歳……に限りませんが、一定量の人生を経て後年になってから昔の自分に心の底からアドバイスしてやりたい教訓を得ることもままあるでしょう。ですがそれを数十年前の自分に直接言ったところで、きっと響きません。自分で試して、自分で実践したときの景色を知って、体感をして、初めてある学び・気づき・教訓を得るのです。その結論だけを先にもらってもたとえば「地球は丸い」と言われてそうですかと返すしかない人のように、想像が及んでいないのです。地球が丸いと事実を知っていても、その感慨が心の底から自然に引き出されるストーリーを持たないものにはその事実を吐き出す心の底からのひと言に共感しかねるのです。若いことの一面でしょう。
一方で、ストーリーを引き出せるかどうかとは別の次元でわけもわからず感動にふるえることもあるでしょう。それも若いことの一面かもしれません。
若いときの自分への親愛のまなざし……と仮定して想像をふくらませてしまいましたが、君という自分以外の人格がちゃんといて、その人への想いを綴っていないともかぎりません。
いずれにしても、今はすぐに会えるような状態にないふたりの間で、主人公が抱く一方通行の祈りのような儚い趣と同時に、シンプルに今この瞬間を一人だろうとなんだろうと楽しんでいるのを思わせる言葉と音楽です。愛想があるし、難しい道理や理屈抜きに弾んでいます。
50歳になってから歌うラブソングと主題しつつも、何歳でも変わらない想いなんだろうと思います。
青沼詩郎
参考歌詞サイト 楽器.me>50歳になってから歌うラブソング
『50歳になってから歌うラブソング』を収録した友部正人のアルバム『奇跡の果実』(1994)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『50歳になってから歌うラブソング(友部正人の曲)ウクレレ弾き語りとハーモニカ』)