六月の雨 小椋佳 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:小椋佳。小椋佳のシングル(1971)。

小椋佳 六月の雨(ライブアルバム『遠ざかる景色』収録)を聴く

ダイナミクスのある歌唱、ストリングスの抑揚が奥行き深く記録されています。小椋さんの歌唱は平熱でジェントルな印象。『白い一日』つながりで井上陽水さんとのミュージシャンシップを思い出しもしますし、歌唱もちょっと天から下界をのぞきみているような独特でミステリアスな雰囲気がおふたりのあいだに通じているような気もしますが、個人的には井上陽水さんはひやっこい青、小椋佳さんはあたたかなオレンジという感じがします。しかし無敵で高貴な香気漂う歌唱にシビれます。

さわさわとドラムのリズムがシンバルの音色とともに、怪しげなオケの和声とともにほぐれていくようなエンディングがドラマティックで彩度が際立ちます。

六月の雨の呼吸

“六月の雨には 六月の花咲く 花の姿は変わるけれど 変らぬ心を誓いながら いくつ春を数えても いくつ秋を数えても 二人でいたい

そよ風は見えない 幸せも見えない 愛の姿も見えないけれど 見えない何かを信じながら いくつ春を数えても いくつ秋を数えても 二人でいたい”(『六月の雨』より、作詞・作曲:小椋佳)

12月の晴れには12月の太陽が昇る…なんだかいろいろ言えそうな気もするフレーズです。雨は命の水。雨が降って根も茎も葉も張り、花が咲く訳です。

花は刹那のもので、年を越す花などまずありません。その季節のそのころ合いにだけ咲き、次の年に命をつなぎ、送る儚いもの。

誓ながら…と歌うところで声量もパンパンに張り詰めます。誓う意志の強さがぎらつき、照り返すようです。

オケも種々の楽器によるモチーフがダウナーにだらんと首をもたげ、ブルージーを体現します。

2番はとにかくもう形らしいものがすべてくずれていきます。とにかく何も見えない……目に見えるものにすがってはやりきれない。でも、1番と2番共通の意思、「二人でいたい」に集結していくのです。

六月の雨とくれば、長い。雨量もしっかり降る。空間は不透明に(そこらじゅう雲の色)になって、テレビの中かスマホの中か心の中か絵画の中か…はたまた歌詞の描く情景の中なのか、そんなようなものばかりに深く沈みこんでいく以外ないのです。そんな気にさせるのが、六月の雨という名の残酷。そこで見た、二人でいたいという意志。それに光を投げる7月や8月が来るものと信じて、信念のために長い息をゆっくりと吐いて吸う。これが六月の雨の呼吸です。

青沼詩郎

参考Wikipedia>遠ざかる風景

参考歌詞サイト 歌ネット>六月の雨

小椋佳倶楽部へのリンク

『六月の雨』を収録した小椋佳のライブアルバム『遠ざかる風景』(1976)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『六月の雨(小椋佳の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)