歌いだしのボーカルモチーフの反復が印象的です。みふぁ♯そしれーみどー(“あまい口づけ”)…といった感じでしょうか。順次進行と跳躍を併せ持つ、多面相でなかなか奇抜なモチーフです。井上陽水さんの特異な個性を、つめたい質感の透き通ったサウンドが時代を象徴して思えます。
コーラスがかったようなギターが左右で広がりを出します。ドラムスのキックの音が非常に生々しく肉迫します。どうやったらこんな音で録れるのでしょう。
口笛をイメージしたトーンの間奏のメロディはボーカルモチーフの再現。寂しげで哀愁が噴出しています。
ストローク、すなわち楽器のリズムがひかえめで、とても余白が多いアレンジに思えるのですが、どうしてこうも湿潤で豊かな響きがするのでしょう。シンセ・キーボード系の非減衰系の音がさりげなく支えているのでしょうか? 湿潤のイメージどおり、残響をほどこしたウェットな処理のたまものでしょうか。
湿潤といいましたが、サウンドからは、さえわたる透明感、ひりつくほどの寒気すら感じます。財産や人間関係など、あらゆる人生の豊かさから切り離され、遠ざかってしまったすかんぴんな主人公を想像させるさみしいサウンド、それを私の頭の中に念写する(したつもりはないでしょうが)井上陽水さんの歌唱の磁力たるや、妖怪級です(失礼)。
“恋のうたが 誘いながら 流れてくる そっと眠りかけたラジオからの さみしい そして 悲しい いっそ やさしい セレナーデ”(『いっそセレナーデ』より、作詞:井上陽水)
アタマで考えて…といいますか、ハウトゥをトレースしながら既存曲の焼きまわしを増殖するようなソングライティングで狙って生み出せるような歌ではない、やわらかくとらえどころのない、型のないところに、液化したどろどろの魂を直接テーブルの上に滴下したような芸を感じます。とらえどころのない、それでいて粘り気の強い、こだわりもプライドも超越した井上陽水さんのがらんどうの情念のようなものの映り込んだ楽曲は、彼の「はんこ」のようなものだと私は思っています。
青沼詩郎
『いっそセレナーデ』を収録した井上陽水のアルバム『9.5カラット』(1984)