おおおー。エンディングのエレキギターソロ、もっと長く聴いていたいくらいです。ちょっとコンプ感のあるストラトキャスターっぽいペケペケとした伸びのあるサウンドが良いですね。
ピアノ、アコースティックギターのベーシックにストリングスが出どころをわきまえて絢爛さ・華をだします。管楽器ソロもいいですね。ミュートがきいた表情のあるトーンです。
間奏のふわっとするコードがいい。Bmキーですが、同主長調のⅢm→Ⅱm→Ⅳ→Ⅳmとステップして元のBmに戻る。でもそのままセカンダリ・ドミナントにすりかえて次のサビ頭はEm。Em→A→Dと4度の間隔で進行し、Bmの平行調のDメージャーにおける逆循環のような進行に接着します。
マイナーが主調だと、こういった、調の部分部分のすりかえがとても自由な印象です。もちろんメジャーキーでもいくらでもできると思うのですが、ついやりたくなるソングライター的な気持ちを勝手ながら「分かる」気になります(そんな安易に分かられるようなものではないかもしれませんが)。
マイナーキーでトニック・サブドミナント・ドミナントみたいな調のなかでの進行を律儀にやると、どうにも臭くなりすぎます。強烈すぎるのです、マイナー臭って。ですからマイナーを主調で綴り始めても、曲のなかで響き、調性感が転々とする秀作(大衆的な商業歌)は多く存在します。
ソングライターは伊勢正三さんですね。イルカさんの必携のヒット『なごり雪』も該当します。伊勢さん・大久保一久さんのデュオ、「風」によるセルフカバーもあります。
“窓の外は雨 雨が降ってる 物語の終りに こんな雨の日 似合いすぎてる”
“誰もが物語 その1ページには 胸はずませて 入ってゆく ぼくの部屋のドアに 書かれていたはずさ 「とても悲しい物語」だと”(『雨の物語』より、作詞:伊勢正三)
安易に憐憫に浸る感じはリスナーにとっていけすかない地雷にもなりうるリスキーな歌紡ぎかもしれませんが、お手本にするなら伊勢正三さんでしょう。雨のモチーフに心情を映す、わかりやすさと比喩の高み・表現のいれこみ方・シズル感の塩梅が絶妙です。「似合い……すぎてる」といった言葉のはめ方がリスナーの注意を歌いおわりまで引きつける妙。
心の領域の境界を「ぼくの部屋のドア」と表現。パーソナルなスペースは、立ち入る者をえらびます。立ち入る者は、主人公とそのレベルの関係を築いた人でしょう。関係は壊れるときにエネルギーを奪います。関係を前提にまわり、成立していた暮らしを打ち替えなければならないからです。
そのリスクへの覚悟があってすべての関係が築かれるわけではありません。多くは、なんとなく始まる。気付いたら、関係が始まっているのです。空模様が変わって、あらら?ってなるみたいにですね……。
ヒトはじぶんに都合のよい情報、求めている情報を無意識にえらびます。それ以外への認知を薄くすることで、アンテナの感度を保っているのかもしれません。
あなたの部屋に立ち入ることへの好奇は、部屋のドアにかかれた「表札」なんてものを、いとも簡単に見落とさせるのかもしれません。
青沼詩郎
『雨の物語』を収録したイルカのアルバム『植物誌』(1977)
『イルカ アーカイブ Vol.2 「イルカ・ライブ」「植物誌」~ちいさなアルバム~』(2013)。アルバム『植雑誌』とライブテイクをバンドル。
風の『雨の物語』を収録したベスト集『Old Calendar〜古暦〜』(1979)
ご笑覧ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『雨の物語(イルカの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)