藤圭子 新宿の女を聴く

作詞:石坂まさを・みずの稔、作曲:石坂まさを。編曲:小谷充。藤圭子のシングル(1969)、アルバム『新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて』(1970)に収録。

夕焼けのかおりがぷんぷんします。夜の歌……っぽくもあるのですが、出勤前の蝶が諦念と希望のはざまでたくましくおのれの人生を歌っているような潔さを感じます。

藤圭子さんのドスの効いたブルース歌手のような迫力ある声が圧巻です。説得力……なんてうすっぺらい言葉で評するのも憚られる存在感。油断したらナイフでズバっと心を切られそう。でも失恋したら朝まで酒に付き合ってくれそう。そんな、ほっとけないしほっとかない愛嬌と凄みの両面を持ち合わせて思えます。

楽団の音が良いですね。こまかくうごくベースがリーダー格を漂わせます。ドラムスの定位が右側いっぱいに振ってある印象で、ライドやスネアのプレイがほとんどです。たまにスネアのリムショットがコチッコチッと品よく聴こえてきます。

トランペットの夕焼け感といったらないですね……あれ?、これポルタメントする箇所がありますしトランペットでなくトロンボーンでしょうか。金管の種類の区別もあやふやな私の耳の粗雑さに嫌気がしますが、とにかく素晴らしい。金管ってなんでこうも夕焼けの黄金色感を与えてくれるんでしょう。過去にもこのブログシリーズに似た様なことを書いたことが多い気がします。ビブラフォンもこれに加勢して、なにかが終わるアノ感じをぱたぱたとうちわで送るみたいに漂わせます。閉店の音楽、「蛍の光」……「別れのワルツ」のあのビブラフォンの印象が他の作品にまで染み出すのでしょうか。

左ではカーッと私の好物の小物楽器、ビブラスラップが鳴ります。大滝詠一さんの作品を聴いていてもしばしば出会います。私はカスタネットやタンバリンやトライアングルやビブラスラップや……とにかくパーカッション小物が大好物のようです。

ビブラスラップの近くでフワーっとなにかがせりあがる、ピーピーと鳴る気配を感じます。オルガンもいたようです。エンディングでやはり盛大にせりあがる雰囲気をかもすストリングスですが、楽曲の大半では存在を薄く感じ、私はエンディングまで見逃していました。どんな動きをしていたのでしょう。

エレキギターが右に耳を引くオブリ、左にリズムでしょうか。チャッと短くカットするプレイがまた品がよい。スネアのリムショットなのか混乱させます。

愚を抱擁する街

“私が男に なれたなら 私は女を 捨てないわ ネオンぐらしの 蝶々には やさしい言葉が しみたのよ バカだな バカだな だまされちゃって 夜が冷たい 新宿の女”

(『新宿の女』より、作詞:石坂まさを、みずの稔)

所有物みたいな表現がグサリとくる、圧倒的に印象を残す歌い出しです。サビを象徴するリフレイン、「バカだな」のインパクトも至極強い。藤圭子さんのダイナミクスと機微、質感の振れ幅で聞かせる歌声がこの言葉を語るのです。生の声にしかきこえない。現実に、この主人公がリスナーの前に立ち現れるのです。嘘ひとつない人格。ほんとうにこんな人が、新宿のネオン街にいるのが目にみえるようです。これに共感する、似た境遇の人が数多いることをおもいますし、「ネオン街ではたらく蝶」の境遇に立ったこともないしなれそうもない私であっても、まるで自分がそうなったようにこの主人公たる人格の波長が私の心と共振してきます。歌手の霊感があふれる。藤圭子さんの類稀なる資源。表現の技術といえばそれもそうでしょうけれど、もうそういうものを超越したところの魂の光とでもいうくらいしか言葉を尽くせない自分が歯がゆいです。一緒に飲んでくれ。

青沼詩郎

参考Wikipedia>新宿の女

参考歌詞サイト 歌ネット>新宿の女

ソニーミュージックサイト>藤圭子

アルバム『新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて』(1970)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『新宿の女(藤圭子の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)