喪失感の原風景
音楽の話ができる友人知人が身近な環境にひとにぎりでもいるのは幸せなことです。最近音楽好きの方に教えてもらった話は、中村とうようさんの0点レビューの話とか、ブラジル音楽のこととか、ジャズやウード奏者の音楽のこととかでした。会話のなかで出たことばが「ブラジルダーデ」。
サウダーデという、日本でいうところの「わびさび」みたいな(だいぶちがうけど、他の言語の人がニュアンスをつかむのにはコツや知識が入りそうなもの、という意味で。)ことばがポルトガル語にあるそうです。ポルノグラフィティが『サウダージ』という楽曲を発表していますが、あの楽曲タイトルのもとになっている言葉ですね。
サウダーデの正確な意味については検索するなりに委ねます。
それでも、意味やニュアンスが盛大に歪んでいるのを承知で私のイメージを話すと、「そこにないものを想う」「かつて存在したがいまは目の前にないものを慈しむ・愛しくおもう・さびしくおもう」「哀愁」といったものです。
そう、日本語で私の持つ感覚でいうと哀愁が近い。いえ、正確には全然違うかもしれなくて、私の勘違いや誤解釈かもしれません。
哀愁は、私は自分で楽曲制作をしていて自作についてたびたび感じたり主題にしている……自分の人生の命題みたいに思っているところがあります。
ブラジル音楽、なかでもたとえばボサノヴァみたいなものを聴くとしましょう。
えもいわれぬ、静謐さの向こうがわに漂う、一抹のさびしさ・せつなさのようなものを私は思います。
平静にしていて、おしゃれで、落ち着いている。だからこそ、激情を乗り越えて来たような、人生の文脈の深さ、由来の深淵さを鑑賞者に自ずと感じさせるのです。
そんなサウダーデや、私がおもうところの「哀愁」という観念と接点のあるもののブラジルバージョンの言葉こそが「ブラジルダーデ」なのだと、そのときの会話で私の心が着地したものです。ブラジルの人の由来も深淵で、奴隷として連れてこられた、……つまり故郷が、ホームグラウンドが目の前から遠く消えてしまっているようななか、新しい土地で自分の暮らしを築いていくことを強いられた人、あるいはその限りでないがさまざまな由来を持つ人が交雑した背景をもつ場所だと私は想像しました。そこに生じる哀愁が、その根源が、たとえば『イパネマの娘』の歌唱のむこうに兆す美しさの正体なのじゃないかと。
話はかわって、ものすごいさびしさや喪失を与える、かなしくてせつなくて美しい物語の記憶が絵本『スノーマン』(ゆきだるま、The Snowman)です。レイモンド・ブリッグズ作。
子供の頃に私はこれにふれていました。大人になってからも、自分の財布であらためて絵本を買い直したくらい好きというか、嗜好を超えた思い入れのある作品です。
ゆきだるまと飛び回って、しこたま楽しい華やかな思い出をつくって……この上ない幸せのさなか手を振って一度わかれて眠りについたのちの朝、昨夜幸せな記憶を一緒につむいだはずのゆきだるまは溶解。こんなことって……
ゆきだるまの顔面付近をなしていたはずのものが、支えを失って力なくこぼれているシーンを想像するに涙が勝手に滲みます。
これの歌唱部分、歌がまたなんともせつなく、空を切るように真っ直ぐで純朴で美しいのです。
ああ、いまは目の前のその形はないけれど、この胸のなかに、目の奥にしまわれている記憶が呼応するものが私の中にある……と思うかたわらで思い出す作品『スノーマン』なのです。
Peter Autyの歌唱を聴く
ピーター・オーティさんのまっすぐな発声がひたむきで、純朴な少年少女性をおもわせます。何も知らない……といいますか、雪だるまが溶けて形を失ってしまう近い未来を想像しないイノセントさと言いますか……もちろんそれくらいのことを想像する知性があることを否定できる材料なんて私にはありません。ただひたすらに、歌声が物悲しい。Dmの調性、和音のなせる物悲しさに尽きるのかもわかりません。
ストリングスの細かい刻みがどこかわさわさと、未来に隠された不安を演出します。まっすぐなボウイングで長く音を伸ばしてもいいんじゃないの?と思うところで、あえてボウイングを細かくダウンアップさせます。
低域から上まで、管楽器弦楽器打楽器。フルオーケストラな感じで意匠が高い。
ピアノとハープもいるようです。さらにオルゴールを思わせるチラチラしたトーンはグロッケンなのでしょうか。16分音符で微細な上行音形をピアノとハープとグロッケン(?)がリフレイン。さらっとしていますが、両手のマレットでグロッケンを演奏するには相当忙しそうな音形です。これグロッケンなのかな?
夢のような時間をおえて、さらっと着地してしまいます。物語は、まだ結末がまっているのです。
楽しく最も盛り上がるシーンのはずなのに、この物悲しい短調なのは……その朝の予兆のようでどこか残酷でもあります。
ですが、自然の摂理であり真実の予言である。形あるものは支えを失うのです。世界に、遠く、広く散っていく運命を少年におしえます。
青沼詩郎
アニメーション・フィルム『スノーマン』(1982)Prime Video
レイモンド・ブリッグズの絵本『ゆきだるま』 (1978年、評論社)
『The Snowman』by Howard Blake。サウンドトラック、ピーター・オーティの『Walking in the Air』歌唱、英語のストーリー語りのオーディオ(「おはなし」バージョン)を収録。