曲についての概要など
作詞:中島淳彦、作曲:江上徹。六角精児バンドのアルバム『石ころ人生』(2014)に収録。
六角精児バンド ディーゼルを聴く 凪をシェアして舌鼓
ぽつねんとした六角さんの歌声が素朴です。愚直な感じもしますし、自分の人生の不器用もうまくいかない無念も後悔もそのうちいくらかが表に滲み出たりダダ漏れたりしてしまう無情を嘆くみたいな……。
「味がある」の評で濁してしまってはお粗末。俳優さんとして六角さんを認知していましたが、音楽もたしなまれるのですね。音楽はつくづくその人そのものだと思うのです。俳優であることをその人のうちに含めた、六角精児さんという人が私にはこの楽曲『ディーゼル』を通して垣間見える気がします。
私は父から、六角さんの『ディーゼル』という曲があることをおしえてもらいました。NHKか何かの番組で、六角さんが旅をするものがあったようです。それにこの『ディーゼル』が用いられていて、父が知ったよう。父が番組を録画していたものを、食卓を囲んで一緒にみたことがありました。そのときに『ディーゼル』がその番組に使われていたような気がします。
フォークを愛する態度がうかがえるスタイルですが、メインの伴奏ギターがナイロン系ですね。ぽろぽろとスリーフィンガーっぽい奏法ですが、金属弦と違って音色がやわらかです。穏やかなサウンドで、歌声がよく映えます。
ブレイクしたときにふわっとボーカルの残響感がただよいます。シンプルな編成、わかりやすいスタイルの音楽ですが録音物として丁寧につくってあるのを感じます。
盛り上がるサビが後半に一回だけ。いさぎよい楽曲構成。ハーモニーのボーカルが入ってきて、楽曲に熱量を吹き込みます。ずっとじわじわと来る調子でしたが、旅のハイライトシーンの到来です。“缶ビールを少し”……がハイライトというところがなんとも良いですね。平穏な日常の延長にある、小さな幸せ、悦楽を思わせます。あるいは、それと表裏一体の諦観、力なさ。これまでにどんな激動の時期を戦ってきたのかを想像させます。この旅のこの地点に至るまでを想像させる妙味がありますね。こういう主人公を友人に持ってみたいと個人的には思います。飲み友達になりたい。
バンジョーがリズミカルで軽快。プァーと艶とエッジのあるサウンドを添えるのはサクソフォンでしょうか。いずれも主人公(メインボーカル)を尊重していて、調和を感じます。最高に気の利いた飲み友達同士が、人生の束の間の凪をシェアして舌鼓を打ちうなっている。そんな趣を感じます。あぁ、飲みたい。
鉄旅の滋味
“故郷の名を告げる 車内放送 カラダが急に重くなる このまま降りずに 通り過ぎよか あ~少し くちびるかみしめる 海岸線は故郷へ向かう道 負けたんじゃない 逃げるんじゃないさ ほんの少し 弱くなっただけ”
(『ディーゼル』より、作詞:中島淳彦)
旅というのか、強い意思をもって出たのでもない列車の「なりゆき」でしょうか。公共の乗り物は、自分の足を動かしたり、アクセルを踏むなどの操作をしなくても、乗客を目的地(停車駅)へと連れていきます。その単なる事実が、主人公の揺れる心をさいなむのです。
ふるさとに帰る気持ちとはどんなものなのでしょう。私は東京に生まれて東京に育ったもので、いまも在京。上京するとか、ふるさとに帰るとかいう気持ち、感慨の機微を知りえないのが、人生の致命的なハンデ……は言い過ぎかもしれませんが、私にないものを知りたがる気持ちの対象たりうるのです。
主人公がどんな状況なのか細部までは想像するのみです。ただ、先に述べたように、意思を固く決めてこの列車に乗った、というよりは、ふらっとそうしてみた、その結果、見事走る列車に揺られて故郷の名のもとにやって来てしまった、という感じがします。
固い意思や鉄の体で、英雄のようにふるまえる人ばかりではない。むしろそれは異常といいますか、レアケースでしょう。コトコトと鉄道の至る先ざきに触れながら、地道にいく人生、ときに行ったり、出戻ったりしながら立体になっていく人生を思わせる滋味深い演奏と楽曲です。
青沼詩郎
NHK>六角精児の呑み鉄本線・日本旅 私の記憶の中にある六角さんの出演する鉄旅番組はこれだと思います。
『ディーゼル』を収録した六角精児バンドのアルバム『石ころ人生』(2014)
ご寛容ください 拙演 ディーゼル(六角精児バンドの曲) ギター弾き語りとハーモニカ