夏の歌の入り用

以前にもこのブログサイトで書いたことの繰り返しになりますが、高齢者の方が日中を過ごす場所で演奏の機会をいただくことがあります。

そうしたところで演奏する曲目は季節にかなったものが好ましいです。誰が好ましいと決めたわけでもないのですが、あらゆる出自の方が場を共有するなかで、通じ合えるものをと心がけると季節にかなったものを選ぶのがひとつの(最大の)解になるわけです。

日本という国は四季がはっきりしておりわかりやすいせいなのでしょうか、季節について、気候についての話題でしたら、会話の相手がどんな出自でどんな近況や心情にある人であっても、まずコミュニケーションの初手に期待される十分な水準として通じ合える可能性が高いです。

同じ日本のなかでも、もちろん北から南から東から西から海の底から山のてっぺんまであります。日本とひとくくりにしても場所によってさまざまですから、日本というだけで四季がはっきりしておりわかりやすいといってしまうのはひどく乱雑な扱いであります。

季節の歌をさがすのに歌本は有効な選択肢であり、教育芸術社『歌はともだち』は私の愛用です。自分が実際に学齢期に使った古い版に加えて、近年の版も大人になってから買い直しています。曲目が入れ替わっていたり、当時と同じ曲目が残っていたりするところに、時代に淘汰される歌・残る歌を識別するヒントをもらいます……とまでのおおげさを言えるほどでもないのが実際ですが「へえ(あの曲が消えて、この曲が新しくあらわれたな)」と思うものです。

いわゆる歌本はシーメロ譜(Cメロ譜:コード・メロディ譜)を採用している場合が多いと思います。これは言葉(歌詞)の情緒やわびさびよりも、どの発音をどんなタイミングとどんな音程で演奏するのかが明瞭にわかることを重視した形態といえます。

ひらがなで、ひとつひとつのおたまじゃくしの直下に歌詞が書いてあり、何を歌っているのか、どんな意味の言葉を歌っているのかがわかりにくい表現形態がCメロ譜です。その弱点を補完しようと図るものなのか、合唱曲集や歌本などには、ときに譜面のかたわら(ときには跳躍した別のページ)にタテ書きで日本語の歌詞だけを連ねて書いた部分を掲載しているものもあるくらいです。

ふだん私が会話で使うものに近い言葉づかいで書かれた歌詞であれば、Cメロ譜で総ひらがなで起こしてあってもある程度歌の言葉の意味を譜読みと同時に読解しやすいですが、ふだん私が会話や記述形式でつかう言葉と乖離した言葉づかいで書かれた歌詞をこのCメロ式の総ひらがなで起こされるとお手あげです。は? 何言ってんだこの部分、と。「○×▲(私のふだん遣いとかけ離れた単語や言葉づかいを代入)ってなんだよ!」と、ときにイラつくほどです。歌メロディにあてはめられてしまうと、抑揚やアクセント、ひどければ区切れを感じさせる部分までもが単語が本来もつそれとかけはなれた当てはめられ方をする場合がしばしばあります。それが、私のふだんづかいの言葉とかけ離れた言葉づかいであればもはや意味を瞬時に汲み取るのは絶望です。

「私の普段の言葉づかいとかけ離れた」をもっと直接的にいいましょう。つまり、古い言葉づかいで書かれたものは意味がわからないのです。「○×▲ってなんだよ!」というイラつきはほぼこのケースになります。古い言葉づかいを、Cメロ譜のオタマジャクシ直下に書かれた日には精神が崩壊しそうな絶望的な気分になります。

ですが、ひとたび、歌詞の言葉を、漢字を適切に使った原形でみることができれば、ああ、そういうことを歌っていたんですね、素晴らしく情緒的な美しい歌です!と心がほどけた気分になりますし、そうした古い言葉を現代の言葉づかいで解説したネット記事など読もうものなら、なおさら「なるほど。今の人も昔の人も、似たような花鳥風月に心をときめかせたり、人恋しく想ったりしていたんですね」と聖人(想像です)のような浄化された気持ちになります。私とはなんと甚だゲンキンで浅薄な人間なことよ……。

われは海の子 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:不明。文部省『尋常小学読本唱歌』(1910)掲載。

われは海の子 配信で聴ける音源 ピックアップ

ボニージャックス 『ボニージャックスの日本の唱歌』(1997)収録

曲の立ち上がり、再生が始まったか……?と疑問に思わせるオープニングは波の音です。ハープがかろやかに、なでるように優しく音域を風のように渡ってグリッサンドしていきます。

オカリナのリードが素朴です。オーケストラの花形のハープ、かたや孤独な詩人が森の中で吹いていそうなオカリナ(どんなイメージだよ)の飛距離が私を混乱させますが調和しているから世界はひとつだなとつくづく思わせます。

ピアノの表拍の和音のストロークがコンコンと消化される毎日のように降り注ぎます。エレキベースやチェロ、コントラバスはいませんので根音の表現はもっぱらピアノです。

ボニージャックスは男声グループですので、もっぱらピアノによる伴奏が男声のための音域スペースを風通しよくあけてくれています。もちろん録り方やミックスのしかた、音量の決め方によるでしょうが。フレーズ尻あたりにかなり低い音域まで下がるバスボイスがやや左サイドから聴こえます。

風通しのよい低域にはホルンもよぎります。ハープとは同じ舞台にいそうな楽器ですが、一方でなんのアニメの影響なのか高原や草原をもイメージさせるのがホルンです。実際角笛(つのぶえ)として、牧畜などの作業にともなう合図のための楽器という出自もたしかにひとつあるでしょうから、草原や高原のイメージはアニメ作品などによってあとづけされた歪曲されたものでは決してない……とは思います。そうした草原・高原のイメージと、オカリナのイメージは比較的接着がよいように思います。なるほど、これがオカリナとハープの飛距離をいくらかつないでくれているのかもわかりません。

柔和な男声のハーモニーが、パート別に定位をいくらかわけて密着しすぎないように配置しています。

波の音と風の疾走するようなハープによるエンディングで、オープニングと対にして額縁におさめます。良い編曲です。私の安易な検索で編曲者がどなたかわからないのが惜しい。CD買えばブックレットでわかるかな。

参考歌詞サイト 歌ネット>われは海の子

“いみじき楽”とは“すばらしい音楽”と教育芸術社『歌はともだち』(5訂版・176頁)では解説されています。海辺に立ってきこえてくる音はどんなものでしょう。波と風の成分が多いかな。あとは生き物でしょうか。主に鳥かな。雄弁な音楽がそこに流れているのを思わせます。

青沼詩郎

参考Wikipedia>われは海の子

『われは海の子』を収録したボニージャックスの『日本の唱歌』(1997)

私が子供の頃から学校教育で使われている『歌はともだち』、現在(この記事の執筆時:2024年7月)は6訂版まで出ているのですね。

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『われは海の子(唱歌)ウクレレ弾き語りとハーモニカ』)