まえがき 曽我部さんの選曲するシティ・フォーク
曽我部恵一さんが「シティ・フォーク」のテーマで選曲したコンピ『シティ・フォークの夜明け~URC Selection Compiled by 曽我部恵一』が2024年11月27日に発売(参照リンク>音楽ナタリー>曽我部恵一が選曲したURC新作コンピ発売、テーマは“シティ・フォーク”)。
“輝きを増すものもあれば、古めかしくなったものもある”、“もういちど自分の部屋で聴きたいURCの歌たちを集めた”(ライナーノーツよりの引用の抜粋、参照リンク)と曽我部恵一さんのコメントが発表されています。(※アングラ・レコード・クラブ=URC)
この曽我部さんが選曲したコンピの収録曲目で、私の使う音楽サービスや購入できる既発売の円盤などで聴けるものは早速いくつか聴いています。
URCというくくり(案内)にしたがって聴いていくだけでも私の気に入る確立が高いです。なんでなんでしょうね。やはり曲を作る人や、それを出す人が関わり合ってURCという一帯を成すわけですから、そこに気風や作風や哲学が反映されないわけがないのです。人の関わりの中で生まれ、世に出る仕事に滲み出る審美観があるのです。
その一帯からさらに私の敬愛するアーティストでミュージシャンでシンガーソングライターの曽我部恵一さんが選曲した(より抜いた!)のですから、“もういちど自分の部屋で聴きたい”という率直な曽我部さんの言葉が私の腹にもまっすぐに落ちます。
今日のこの記事の焦点にする五つの赤い風船『これがボクらの道なのか』も、上記の曽我部さん選曲コンピの1曲です。
これがボクらの道なのか 五つの赤い風船 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:西岡たかし。五つの赤い風船のアルバム『巫OLK脱出計画』(1970)に収録。
五つの赤い風船 これがボクらの道なのか(『MONUMENT 五つの赤い風船ベストアルバム』収録)を聴く
西岡さんの喉のむこうの腹の底から立ち上がるみたいな歌声に心の底からの声を聴きます。上のハーモニーボーカルが女声です。藤原秀子さんの歌唱でしょうか。ふたりの声の軽い嘆きを浮かべるみたいな調和が聴き心地良いです。
右にアコースティックのベースがボンボンと深い響きと重みを与えます。中央付近にジャカジャカとリズムを鼓舞するアコースティックギター。奥まった音像でピアノがヤケクソかというくらいにときに猛烈につんのめったリズムを添えます。右にはスライドプレイのアコギが滑ります。ドブロギター:リゾネイター系の楽器でしょうか。
中央付近〜右に重みの多いサウンドの分布のなか、左にハーモニカ。これがいてこのバンドのこの曲のサウンドが完成します。泣き上げ、いくら枯れかかっても潰えない思念を現代に繋げます。
歌詞(メッセージ)を読む
保守と革新の答え
PUFFYの傑作に『これが私の生きる道』がありますが、『これがボクらの道なのか』は問いかける主題です。
人には保守的な心があります。このまま、つつがなく、今日までの再生産を明日もしていきたいという意思です。
慣性というのがあるのが物理(物の真理)です。ここに居続けているものは、明日もここに居続けるのが一番楽なのです。でも、動き続けている者は、そのスピードで明日も動き続けるのが一番楽なのです。
動きつづけるにしても、同じ方向に動き続けるのが楽であり、別の方向へ舵を切るとなると、その角度が深いほどに別のエネルギーや工夫や知恵や下準備が必要になります。あるいはコントロールの手技や高い精度の反射神経です。
このままでい続けたい、楽に明日も、今日までの再生産をしていきたい人にとって、『これがボクらの道なのか』などと問われるのはひどく面倒でしょう。そんなの問われるまでもない。今日までの間違いを指摘するようなことを言わないでくれ、これまでもなるべくしてなってきたし、なるようになってきたんだから、事をあらだてる必要があるはずがない。明日も自分には今日までのポジションが保証されている世界線を揺るがすんじゃないよ、と。
蓄積するもの、同じ環境を循環させ続けることでより高い質で大きな規模のものを生産できるように発展することは希望的ですし、向上心のたまものです。それは望ましいことだと私も思います。
このままの力加減だと、再生産はしりすぼみになり、やがて淘汰されてしまう。だから、今日からで遅くないから、力を加える量をごくわずかずつで良いので増やしていこう。そうすることで、この恵の循環は保たれるどころか、ゆるやかに発展していくのが望める。その転換点がある日ふとしたきっかけでやってきます。それを問う言葉が、『これがボクらの道なのか』なのかもしれません。
みんな与する“若い力”
荒い風に吹かれても続くこの道を
僕らの若い力で歩いて行こう
今も昔も変わらないはずなのに
なぜこんなに遠い
ほんとの事を云って下さい
これが僕らの道なのか
『これがボクらの道なのか』より、作詞:西岡たかし
五つの赤い風船のほかの作品、あるいはもっと大雑把な見方での物言いを許せば、当時くらいの年代のフォークの流行の内外で「若い力」は唱えられがちな観念だったと私は観察します。
若い力は、若い人だけのものでしょうか。実年齢が若くなくても、そのふるまいや行動する力、その振れ幅や範囲が大きくて、「あの人はいつまでも若いよね」と称えられる人もしばしばいるでしょう。
あるいは、「若い力」を発揮して見える人を直接に支えることがなくても十分、誰しもが「若い力」に与しているのです。「若くない人」や「若くない力」があるからこそ、「若い人」「若い力」を知覚できるのです。それ以外があるから、そのものが成立する。これはあらゆる物事に通底して云えることです。
もっといえば、「若くない人」や「若くない力」なんてないんじゃないかな。だって、直前の段に述べたように、誰しもが「風が吹けば桶屋が儲かる」程度には絶対関与しているのですから。
『これがボクらの道なのか』の問いは、みんなの問いなのです。楽曲が初めて発表された年からたくさんの時間が経っても、私は部屋で聴きたいし、聴いてよかったと思えるでしょう。
青沼詩郎
『これがボクらの道なのか』を収録した五つの赤い風船のアルバム『巫OLK脱出計画』(1970)
五つの赤い風船『これがボクらの道なのか』ほかを収録したコンピ『シティ・フォークの夜明け~URC Selection Compiled by 曽我部恵一』(2024年11月27日)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『これがボクらの道なのか(五つの赤い風船』)