STILL LOVE HER(失われた風景)TM NETWORK 曲の名義、発表の概要
作詞:小室哲哉、作曲:小室哲哉・木根尚登。TM NETWORKのアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』(1988)に収録。
TM NETWORK STILL LOVE HER(失われた風景)(アルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』収録)を聴く
永遠の12月の輪廻がパッキングされています。毎冬に聴きたいですね。
宇都宮さんのボーカルは発声がまっすぐで、音程もリズムもまっすぐで、かつ質感も質量もあります。幅広い音楽をやるグループに、これほど何にでもコミットし、曲想を実直に伝え、増幅する素晴らしいボーカリストは稀ではないでしょうか。
ベースがやわらかくふくよかな羽毛ベッドのようにあたたかく、包容力のある質感です。小室さんによるSynthesizer Bassであるとクレジットされています。シンセイザーの音をキーボードによって演奏したパートということでしょうか。リズムの切り方などにもニュアンスがあります。(コンピューターなどの)内部系の音色を用いるときでも、かならず自分の「手打ち」で演奏するという小室さんの制作にまつわる話を聞いたことがあります。きっとこのベーストラックもそうなのでしょう。もはや、4本の弦が生で振動した音であるかどうかは些事です。小室さんの“手打ち”がTM NETWORKというバンド(グループ)のアンサンブルの個性であり決め手になっていると想像します。
このやわらかくふくよかなベースに、カツっとしたドラムトラックが好ましい。スネアの鋭く響きのあるトーン。ハイハットのチッチキチッチキ……という、歓喜や馬の翔ける足取りを表現するようなリズムが楽曲のグルーヴの分割を司る肝になっています。チキッと短く歯切れ良くタンバリンが輝きを添えます。
ハイハットのなす分割にたわむれ、響きを広げるのがラテンパーカスです。冬の寒さや寂しさが染み渡る情景を描く楽曲ですが、ラテンパーカスなのです。ペコパコと情熱をものす楽器でもあるのに、この曲につかわれるとなぜだか私は涙顔、せつない情動を誘われます。
ジュンジュンと広がりがある、レンジの広い倍音豊かなシンセサイザーの音色がリズムとハーモニーの両方の要素をそなえ、かつシンプルなモチーフを提示します。楽器や生の音の肉体性を遮ることなく、都市の構造体を思わせます。あくまで主人公は人間です。
ピアノの豊かな音が金賞。Wikipediaページにベーゼンドルファーのピアノだと書かれています。複数のマイクで収録した複数のトラックの定位を振り分けて広げたのか、一方向からではなく心のありかからそのまま轟き、漏れ出たような豊かな音色と方向性を感じられるのがヘッドフォンでの鑑賞の美味しいところです。コードストロークで響きのボディを出しもするし、オブリガードやおかずを入れて空間・視界に枯れた木の葉の滑落をよぎらせるような趣もあります。ブラボーなピアノが名曲構成の要素の一翼を担います。
間奏のハーモカが泣きです。ハーモニカといえば、もっぱらブルースやフォークでリスナーの印象をかっさらう楽器です。もちろん、あらゆるスタイルのちゃんぽんである大衆音楽においてオールマイティ、リズムもハーモニーもメロディも出せる万能楽器であるのはいちプレイヤーでもある私も深く理解しているのですが、殊に、シンセサイザーを頻用した都会的なサウンドで大衆音楽の潮流をかっさらった印象の強いTM NETWORKというグループのレパートリーにおいて、まさかこれほどまでに人間の情感が、肉体の生理感覚が如実に顕現したようなハーモニカが用いられてこのような美曲を成しているとは心底驚きです。かじってみた、ようにその扱いや演奏のハードルの低さから用いられがちなのもハーモニカという楽器の一側面ですが、『STILL LOVE HER (失われた風景)』におけるハーモニカはもはやこうなることが運命づけられていたかのような審美を携えています。ポケットのなかから出てきたテンホールズハーモニカが、永遠に輪廻する都会の冬の哀愁を高らかに謳いあげます。
宇都宮さんのボーカルに付された残響は都市のアスファルトや構造物にこだまする肉体(人間)のむなしさを私に覚えさせます。
シンガロング、バックグラウンドボーカルによるヴァースのボーカルモチーフ。女声が含まれており、楽曲の多様性と器の大きさをなおいっそう確かにし、パーソナルな恋愛の叙事詩であるのを同時に思わせます。
エンディングの歌詞を見てください。
歌をきかせたかった
愛を届けたかった
想いが伝えられなかった
枯れ葉舞う 北風は きびしさを増すけれど
僕はここで生きてゆける
『STILL LOVE HER (失われた風景)』より、作詞:小室哲哉
過去形でくくられる語尾。主人公の願いは、きっと未完結。孤独も受け入れます。そこでシンガロングのバックグラウンドボーカルです。
1人でがんばっていても、心のなかに、関わってくれる人、これから出会う未来のすべてがいるかのようでグっときます。
孤独なんだけどみんなでいるんだと。都会ってそういう場所であり、主題の“失われた風景”なのでしょう。失われたとしても、心にあるのだから、本質的には失ってはいないはずです。肉体が朽ちたときに残るものは?
喪失は徐々に進むものなのでしょう。その進行とともに、新しく生まれるものが培われます。完全に忘れ去られて、世界から“風景”が消失する頃、もう寂しくないよと……そんな無常な気づきをくれます。
Aメージャーキーを地盤に、B♭キーにあがってボーカルのテンションを増したかと思えば、曲中でまた元のAメージャーに戻る……そしてまたB♭に上がるという構成がユニークです。コード進行はⅠ、Ⅳ、Ⅴを多くの場面で頻用しており、シンプルな響きと展開が、昂った感情から一歩ひいた平静な視野を思わせ、転調がシンプルなパーツを基調にした音楽的語彙の聴き心地に清涼感をもたらします。
くるりによるカバー『STILL LOVE HER (失われた風景)』(『TM NETWORK TRIBUTE ALBUM -40th CELEBRATION-』収録)を聴く
オルゴールの箱の中に迷い込んで出会った景色みたいです。巨大な記憶の容れ物でしょうか。
プログラミングの手法を盛大に用いた作風だと思いますが、一つひとつの音色につくづく細心が行き届いており、やわらかく温かで耳心地のよいテクスチャが協調します。いわゆるアナログっぽい音です。プログラミングで音を生じさせる直後の段とか、ミックスする際とかマスタリングする際とか、音にそうしたアナログの匂いをつけることのできるプロセスは複数存在すると思います。どこの段階でどのような処理をすれば、このようなやわらかくキュートな音像ができるのでしょう。きっと、すべての段階で心が注がれて成立するファンタジーなのでしょう。
チリーン、チリーン、チリーン……と金属系の音が輝かしく、かつ音がまろやかです。グロッケンやビブラフォンを想起するのですが……オルゴールの音なのでしょうか、あるいは複数そうした“金属系”が入っているのか。
こんこんとマリンバのトーンが冬の空気の乾いた質感を演出しますがこれもまた耳にやわらかい。
ビヨーンとピアノの残響がリバースするような音が長く糸を引きます。ピアノのリバースなのか?あるいはアコーディオンなどなのか。あるいはシタールの音もフィーチャーされていますがそれ系のドローン音なのか。
音数が多く、協調しあいますし、たわむれるように純心にコラージュを愉しんでいるみたいでもあります。くるりの作風ですと『コトコトことでん』を思い出させます。
くるり的技術力の面でこうした思い出す既出のレパートリーはありもするのですが、曲を愛し、歓喜しているのを感じるのが私まで嬉しくさせます。くるりはそれこそTM NETWORKの音楽が社会や娯楽音楽の世界をかっさらった同時代世代だというのですから、今回のカバーに参加する喜びや栄誉のありがたみ、そして原曲へのリスペクトはいっそうなみなみならぬものであろうと、楽曲の外側の世界についてまで余計な想像を寄せてそれ込みでいっそう感慨深くなる「ただのファン」な私もいます。
青沼詩郎
参考Wikipedia>STILL LOVE HER (失われた風景)
参考歌詞サイト 歌ネット>STILL LOVE HER (失われた風景)
『STILL LOVE HER (失われた風景)』を収録したTM NETWORKのアルバム『CAROL 〜A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991〜』(1988)
TM NETWORKによるオリジナル、くるりによるカバーの両方の『STILL LOVE HER(失われた風景)』を収録した『TM NETWORK TRIBUTE ALBUM -40th CELEBRATION-』(2024)