少年 浅川マキ 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:浅川マキ。編曲:山木幸三郎。浅川マキのアルバム『MAKI II』(1971)に収録、シングルカット。
浅川マキ 少年(『シングル・コレクション』収録)を聴く
浅川マキさんの歌唱の孤独な響きは永遠です。
バンドは不思議な音景。左にアルペジオのアコギ。右には鍵盤ハーモニカでしょうか。オープニングとエンディングもこの鍵盤ハーモニカ。ぱっとオケが消えて唐突に鍵盤ハーモニカのエンディングが印象的。
ドラムとベースの音が太く、広い面を感じます。スネアはカツっとリムショットが歯切れよい。
左のアコギのアルペジオのほぼ同じくらいの位置(定位)にフィドルがかぶってきます……いえ……これは、フィドルをイメージしたヴァイオリンの音色でしょうか。なんだか、いわゆる「フィドル」と少し違う音色に聴こえるのは私の気のせいでしょうか。
この民謡的フィドル(?)もあるかと思えば、まっすぐに糸を引く優美なチェロが雄弁。このチェロは品があってクラシカルな雰囲気です。
鍵盤ハーモニカ。チェロ。フィドルだかヴァイオリン。アコギ。さびしい響きの独特なリードボーカル。脳が混乱する個性的な音景です。
浅川マキさんの声に、ダブリングはいりません。……いえ、もちろんそういう作品があってもいいとは思います。でも孤独な単一の線が好いのです。彼女の声に、群れをなすことは必要としません。独りがいい。独りだからいい。独特の魅力があります。
お近づきになっても、いくつの夜を飲み交わしても、どんなに親しい友達になっても、おれとおまえは孤独だよなと通じ合えるのが浅川マキさんの歌唱に私が感じる人格です。孤独であるのを分かち合える。それって素敵で特別です。
歌詞 孤独を分かち合う友
夕暮れの風が ほほをなぜる
いつもの店に 行くのさ
仲のいい友達も 少しは出来て
そう捨てたもんじゃない
さして大きな出来事もなく
あのひとは いつだってやさしいよ
何処で暮らしても同じだろうと
わたしは思っているのさ
なのにどうしてか知らない
こんなに切なくなって
町で一番高い丘に駆けてく頃は
ほんとに泣きたいぐらいだよ
真赤な夕日に船が出て行く
わたしのこころに何がある
『少年』より、作詞:浅川マキ
どこで区切ろうか? この詩は区切っては駄目な気がしました。
とりとめもない日記のようでいて、正直で、素朴で、観察と感情に素直な言葉の連なり。しゃべるように、話すように私服の手触り。
自分の心になにがあるか、自分がわからなければ誰もわからないはずです。でも友達がそれを教えてくれることもあるでしょう。孤独な人は自分で自分の味方すらできないこともあるのです。孤独だから。自分の味方に自分がなれるのであれば、それは真の孤独ではないのではないでしょうか……私は屁理屈でしょうか。
だから、お前はこういうやつだよと、お前の心はこう見えるよと、ソトから言ってくれる友達は「孤独仲間」なのではないでしょうか。
情景が、自分の心と響きあうことで、自分の心を教えてくれることもありそうです。それは、ときに“真赤な夕日に船が出て行く”情景かもしれません。
引っ越しを生業としているのじゃないかというくらい、引っ越しを人生のルーティンの一部にする奇特な人が時に作家などに稀にいる気がします。浅川マキ『少年』がそんな人格かどうか知りませんが、“何処で暮らしても同じだろうと わたしは思っているのさ”は、場所や環境の固有の性質にとらわれない普遍の真理を理解している人の感慨に思えます。理解はおおげさかもしれない……受容しているのです。
どこで暮らしても同じだから、転々としても根を張っても肯定の対象です。
お前は孤独だから、お前が思うようにしかできないのさ。お前がその町にいようってんなら、私がボトルのひとつやふたつ下げて会いにいってやる。その町が転々と変わっても同じことだよ。
そんなふうに語りかけられている気がします。
青沼詩郎
『少年』を収録した浅川マキのアルバム『MAKI II』(1971)
『少年』を収録した浅川マキの『シングル・コレクション』(2020)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『少年 (浅川マキの曲) ギター弾き語りとハーモニカ』)