まえがき 大きな輪と心の奥底の点
12月8日はジョン・レノンの命日です。『Happy Xmas (War Is Over)』(ジョン&ヨーコ&プラスティック・オノ・バンド・ウィズ・ザ・ハーレム・コミュニティ・クワイア、1971年)という名作のイメージや衝撃的な彼の命日のイメージが手伝ってか、年末が近づくほどにジョンのイメージが私の中で毎年膨れるのを繰り返し、輪廻します。
オノ・ヨーコとの共作かつ“4歳から12歳までの30人の子供たちからなる”というハーレム・コミュニティ・クワイアを迎えた(参考Wikipedia>ハッピー・クリスマス(戦争は終った))輪と調和の大きさが魅力のレパートリー『Happy Xmas (War Is Over)』もあれば、たった3人の演奏メンバーによる録音で個人の心の奥深くまで沈み込み率直な叫びを掬い上げる傑作『Mother』もあるジョン・レノン。今回の投稿では後者を聴きましょう。
Mother John Lennon 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:John Lennon。John Lennonのシングル、アルバム『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』(1970)に収録。
John Lennon Mother(『John Lennon/Plastic Ono Band』収録)を聴く
“Mama don’t go
Daddy come home”
たったこのふたつのラインを繰り返す、ここに至るためだけに築かれた意匠でしょうか。
ピアノボーカル、エレキベース、ドラムス。三人のメンバーで同時に演奏して再現できるシンプルさ。私の理想の形式美のひとつです。
ドラムスがリンゴ・スター。ベースのクラウス・フォアマンはビートルズの『リボルバー』のジャケット画を描いた人(淡白でシンプルでシュッとした描線が印象的なロック史上名ジャケットのひとつです)。
シンプルかつ、対比の効いた歌詞を淡々と聴かせます。
母さん。父さん。僕はあなたを欲した。必要とした。でもあなたはそうじゃなかった。
“Mama don’t go
Daddy come home”
エンディングで繰り返すこの二行。英語力の怪しい私の勘違いで、最初、見誤ったニュアンスを感じてしまいました。
「母さん行かないで、父さんが帰ってきてしまうから。」
という感じのニュアンスを想起してしまったのです。たとえばですけれど、暴力をふるうお父さんだったら子供は怖いし、怯えるし、独りでその父親と対面するのは怖いですよね。そういう家庭背景を思いついてしまったのです。
父さんが家に帰る、だったらDaddy comes homeとなるかな? 命令形だったら、Come home, Daddy!とか、Daddy, come homeとか、カンマを入れて書くのでしょうか。ボーカルミュージック……音楽なのですから文法の細かいことへの引っ掛かりは忘れた方が吉かもしれません。純粋な想い、母と父のある家庭を望む子の声を映します。
子供の目線の歌だと思うと、歌詞の口調もなるべく平易で、ひょっとするとこの曲においては幼いくらいのほうが意匠的なのかもしれません。あるいは、子供の頃をふりかえる、辛い過去を持つひとりの大人の男の言葉だとするのなら、その限りでもないでしょう。
ボツ、ボツ……とキックドラムの音色がぽつねんと浮かびます。曲の後半にかけて、キックの頻度とグルーヴが複雑に変化します。ベースは大きくは変わず、マイペースを保つ印象です。ピアノは後半にかけて、ごく低い音域で5度音を強調した鈍重なまでの質量感を出します。苦しみや不安を噴出させるようなピアノの低音の重み。人数の多い緻密な編成・アンサンブルだったら避ける、濁った響きかもしれません。悲壮、沈痛さの噴出でしょうか。
“Mama don’t go
Daddy come home”
の繰り返しで、ボーカルが絶叫へとうつろいます。マイクを覆い尽くす声量、近さでわめきちらします。悲痛なのですが、不思議と音楽的なサウンドなのはアナログ的な録音環境・機材によるコンプレッションの賜物なのか。抱きしめたくなるシャウトです。
わめいている子供が胸のなかでひざをかかえて、ずっと大人になったおとこの心のなかに棲んでいるのを思わせます。誰もが、なにがしかの子どもを包含した大人である……そんな真理の的を突くシンプルな編成によるサウンド・演奏、言葉・メロディが聴き手の心と接合します。
青沼詩郎
『Mother』を収録したアルバム『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』(1970)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『Mother(John Lennonの曲)ピアノ弾き語り』)