ミルク・ティー 遠藤賢司 曲の名義、発表の概要
作詞:うらたのぶこ、作曲:遠藤賢司。遠藤賢司のアルバム『満足できるかな』(1971)収録。
遠藤賢司 ミルク・ティー(アルバム『満足できるかな』収録)を聴く
冬の長い陽がいっぱいの坂道で
あなたとわたしは黙って影をみてたわ
わたしのしてあげた事といったら
たった一杯のミルクティーを
飲ませてやった事だけ
もっと優しくしてやればよかったわ
冬の長い陽がいっぱいの坂道で
わたしとあなたは黙って影をみてたわ
あ〜もっといっぱいのミルクティーを
飲ませてあげればよかったわ
だってあなたがそんなに早くそんなに遠くへ行くとは
思わなかったから
『ミルク・ティー』より、作詞:うらたのぶこ
遠藤賢司さんの実際の人物として、愛猫家のイメージがあるのです。それと、「ミルク」というモチーフの組み合わせのせいか、『ミルク・ティー』で歌われる“あなた”が私には猫に思えてしまう。猫に与えるなら当然ミルクティーでなくミルクでしょう。あるいは、猫にわざわざ牛乳を与えるのも、絶対ダメとはいいませんが猫の健康にとって絶対必要なことでもない気もします……話が音楽からそれました。
猫の寿命のほうが人間より明らかに短いですから、“あなたがそんなに早くそんなに遠くへ行くとは 思わなかったから”のラインも、私に猫と人間の関係を想像させます。もちろん“あなた”が人間であってもそのようなことが起こってばかりの日常ではあるのですが……
“遠くへ行く”は字面の通り、観察者から見えないくらい離れるというだけのことでもあります。必ずしも逝去することを表現するとはいえません。けれど楽曲の儚さ、あやういほどの繊細さが、私により絶対的な遠さを感じさせます。絶対的な別離・遠距離であるほどに私に逝去を強く想起させてしまうのです。
作詞の「うらたのぶこ」さんはほかの作詞歴について不明です。遠藤賢司氏のサード・アルバム『嘆きのウクレレ』のジャケット画がうらたのぶこ氏によるものだとWikipediaに書いてあります。また、遠藤氏の元パートナーであるとも(参考ブログ記事>縞梟の音楽夜噺)。
アコギを弾き語るミニマル編成。D♭メージャー調。半音下げチューニングのギターでローコードのDポジションで演奏したように思えます。やわらかなタッチのアコースティックギターのサウンドが儚く繊細な曲想の基盤です。柔和なタッチでまっすぐな8ビートのベースを出しながら、高音弦で少しトップノートに動きを出します。これみよがしなメロディでなく、背景に調和する程度の動きをギターで出しながら、エンケン特有の、そう、「声を張らない」ときのエンケン特有のモニャモニャっとしたか細い声でふわふわと歌唱します。コードと最低限のビートをギターで表現しながら、伴奏の背景に歌詞のことばと情景をリアルタイムでコミットさせていったような歌です。詞をもらって(得て)、それを見ながらその場でギターを弾きながら歌って作ったような歌(ボーカルメロディ)。
遠く離れてからあれこれすれば良かったと気づくのです。それが視界にあるうちは、その状態が恒常になるからでしょう。変化には繊細な生き物が人間です。どんな生物もそうかな。猫だって植物だってそうでしょう。恒常と変化への順応が生命活動の本質であるとも思います。
青沼詩郎
『ミルク・ティー』を収録した遠藤賢司のアルバム『満足できるかな』(1971)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『ミルク・ティー(遠藤賢司の曲)ギター弾き語り』)