師も走る
あんまりお金をたくさん得られることを重視した生き方をしていないので、自己成長のためにいろんなことをがんばっています。
自己成長にはお金の見返りがともなうものではないかとツッコんだあなたはスルドイ。スルドイなんて思っている私はやっぱり、そもそも価値観が見当違いなのかもしれません。成長したらそれだけ報酬や収入もついてくるのは当たり前だろう、と……自分で書いていて頭が痛くなってきます。
師も走る、というほどに犬も猫も忙しいのが師走というものです(違う?)。
私とあろう者も私なりに日々走っています。いろんな方面にいろんなことに奔走しているので、私も一丁前に「師」になったものだとしみじみ思います(違う?)。
(万年ペーペーだから走っているつもりなのですけれど)
気らくなものさ かまやつひろし 曲の名義、発表の概要
作詞:山上路夫、作曲:かまやつひろし。かまやつひろしのシングル(1971)。
かまやつひろし 気らくなものさを聴く
かまやつさんの作品は、その作品の多さに比べるとサブスクで聴ける音源がごく限られています。おのれの軟派さに目をつむって、ここはひとまず検索に頼る。
かまやつさんの歌声は時間のせせこましさを超越します。ま、いっかと思わせてくれる。締め切りがある? 納期がある? 約束の時間がある? 守るべきタイミングが日々あるのも生活の普遍です。それを尊重する方針、優先するのも結構。というかそれの遂行によって、人々の社会が回るのが事実でしょう。
……でも、いいじゃないですか。
人間なんて所詮、口から入れて尻から出すだけの「筒」ですよ。筒に向かって約束の日時を叫んだって、からっぽの筒のなかに響くだけ。気持ちの良いことです、響くというのは。響きは音楽家の最たる大好物なのです。私はなんの話をしているのか(音楽の話だよ!)。
右からギスギスしたトガったエレキギター。ブスブスとスピーカーコーンが破損したままうなっているみたいな凶暴な音色なのに、暖色なのです。あたたか。
左には極楽の象徴、スライドギター。比較的軽めなサウンドに聴こえますが、ペダル・スティール・ギターでしょうか。
アコギのストラミングがザキザキと食用旺盛。ベースの音色は深く広がりがあります。
かまやつさんのリードボーカルがダブル。ここぞのおいしいところでハーモニーに旋律が分かれます。真っ直ぐで素朴な発声なのですが、ここぞのところで長く伸ばした音尻をビブラートというのかトレモロというのか、強烈に揺らしてこぶしを利かすような独特のクサみ・うまみづけのある歌唱に芸風が宿ります。
なんだかイントロのギターのフレーズとか、ビートルズの曲にこんな感じのあったような。かまやつさん作品は概して同業者の手技の映し取りが巧妙です。
小坂一也が歌った気らくなものさ
スライドギターとリードギターの定位がかまやつ版と逆の定位かしら。
かまやつ版の激しさと比べるとエレキギターの音のカドに愛想とマイルドさがあります。
コンパクトな編成のかまやつ版と違い、スタジオミュージシャンのストリングスが入ります。
ハーモニーパートのボーカルにかまやつさんが入っていやしないか。
小坂さんのひとなつこい純朴そうな印象の歌唱は、かまやつさんの純朴さや人懐こさとは似ているようでまたちょっと味わいが異なります。歌ってつくづく、人柄そのものだと思うのです。嘘がつけない。嘘をついているなら、ついてるなりの歌声になるからすぐわかります。求めに応じられるタイプの人の歌もすぐわかる。群衆のならう方向へ溶け込むことのできる人の歌もすぐわかる。反対に、溶け込むのが苦手な人、皆が右を向けば向くほど自分は左が気になってしまう人の歌もすぐわかります。
小坂さんの歌も、かまやつさんの歌も……そうですね、右を向くたくさんの軍勢と、それに反抗する少数の左向きの軍勢……のなかで、右でも左でもなくこちらを向いてニコニコしている人の歌です。……どんな喩えやねん(自分で書いておきながらよくわからん)。
お読みいただき、ありがとうございます。
厳しい師走も音楽聴いてニコニコでいたい。
青沼詩郎
Monsieur Kamayatsu Forever | ムッシュかまやつWEB記念館へのリンク
『気らくなものさ』を収録したかまやつひろしの『どうにかなるさ アルバムNo.2』(1971)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『気らくなものさ(かまやつひろしの曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)