The Kids Are Alright The Who 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:Pete Townshend。The Whoのアルバム『My Generation』(1965)に収録。シングル曲(1966)。

The Who The Kids Are Alright(アルバム『My Generation』収録)を聴く

ロック史名曲100選みたいなのがあったら入れときましょう。これはすばらしいと思います。

率直に改めて聴いて驚くのが、サウンドの新鮮さです。いえ、ぶっちゃけ音は古い。ぶすぶすいったスピーカーが限界をこえてダダをこねているみたいな、ある種のテリブル・サウンド的な趣もあります。むかしのアナログテープで録音したりミックス・マスタリングしたりする音。爆音鳴らしてもテープ・コンプレッション(というらしい)して、デジタル的なイヤな歪みにならない。ギターにエフェクターを挟んで音をブーストするみたいな、臨場感と迫力と熱量とサスティンが増したような音になる……バンド全体の音がもうそんな感じ。それって、むしろ、アナログテープで録音する時代の次以降の時代のヒトが、こういう音こそがカッコ良くて理想なんだとこぞって求める音そのものじゃないですか。私にとってもそうです。だから、古臭いのに新しい。それって時代を横断するサウンドだし、音楽の鑑だと思います。

ギターの響きひとつとっても爽快で新しい。12弦ギターとかを使っているかどうか特定しかねますが、きらびやかで開放弦あるいは1〜3フレットくらいまでの低いフレットのポジションの音色の倍音がキラキラ出ている感じ。

主音がずっとドローン(保続)して鳴っているみたいなサウンドが新しいのです。

もちろん(12弦ギターを使えばなんでも新しいなんて道理はないし)保続音自体はクラシック音楽の時点でも登場するのでぶっちゃけ新しくもなんともないのになぜ私はそれを感じるのか。ギターやベースやドラムを数人の若者が携えてブチ鳴らし、この瞬間の肉体と心の弾みを宙に放り投げるロックバンドのスタイル自体は当時においてはそれだけでもかなり革新的でしょうが、おおむねシンプルなコード進行になりがちなその形式の音楽において、ドローン(保続音)などいうクラシック音楽の時代からあるような音の響きの綾に意欲的(実際それを意識したかどうかはわかりませんが、渾然一体とした感性や審美観の自律性として)……つまり別の価値観や様式観のサウンドをおのれの率直な感性で取り入れて見えるから私は新しさを感じるのです。

歌詞ひとつとっても新しい。恋やらなんやらを歌うのが大衆音楽のまず基本のきです。つまり、オレにはあの娘で、あの娘にはオレ。オレはあの娘にぞっこんだし、あの娘にはオレをぶち抜き愛してほしい。それがまず大衆歌あるある。

でもザ・キッズ・アー・オールライトの歌詞はなんか違う。オレはいまいるところを離れて、次に行くべきみたいだ。あの娘はオレがいなくても大丈夫。ここにいるクソども(おっと歪曲……“The Kids”)は「オールライト」さ。次の場所に行ったオレも、オレが背をむけたあの娘もそこにいる奴らも、みんなそれぞれの道を歩む。それ自体もオールライトだし、それが一番の自然で理想の形なんだよ……ピート・タウンゼンド氏のもつ多様な歌人格の一人が私にそう諭しているような気がするのです。ただのロックの様式に浸りたいんじゃないし、懐古趣味にふけりたいのでもない。オレはオレでいたいし、オレでいるためのすべてのことを最善の努力で続けて走るだけなのさ。そのための爆音で、そのためのギターでべースでドラムでバンドなんだよ!!

という観念や思想の塊を、スピーカーがブッ飛んで音をあげているのになおもジェット機で空を切り裂くような彼らのサウンドから感じるのです。機翼が太陽を反射してキラキラしているぜ。最高かよ。

青沼詩郎

参考Wikipedia>ザ・キッズ・アー・オールライト

参考歌詞サイト JOYSOUND>The Kids Are Alright

『The Kids Are Alright』を収録したThe Whoのアルバム『My Generation』(1965)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『The Kids Are Alright(The Whoの曲)ギター弾き語り』)