『ばかのうた』『ただいま』との出会い直し 星野源、細野晴臣の共作
俳優もやるし踊るし、インストバンド・SAKEROCKのメンバー。その人が今度はソロアルバムで歌ったと。そんな星野源の新しさを当時の私は過小に受け取ったらしい。2010年に『ばかのうた』が出て、身近な人にすすめられて私はそれを聴いた。冒頭の数曲、『ばらばら』『グー』などから受け取ったいくつかの印象。素朴で土っぽい匂いがした。それらのみで、なんとなくそのアルバムをやりすごしてしまっていた。
先日、ツイッターを見ていたら気になる本の情報が流れてきた。新しく出るものだ。それも今月17日(2020年12月)発売。『細野晴臣と彼らの時代』という本。
リンク先のサイトの試し読みをクリック。
すると、星野源と細野晴臣のエピソードが書いてあった。
かつて私が、ちょっと味見した程度で過ごしてしまったアルバム『ばかのうた』には、星野源と細野晴臣の2人が共作した『だたいま』が入っていたのだ。気付かなかった…というか、当時のアホウで見る目ナシの私の関心に引っかからなかったのかもしれない。一度くらいは「聞き流した」はずだと思う。その時その瞬間の自分の関心に引っかからない情報を「無」にしてしまう自分を思う。
ぐだぐだ書いたけど、この機会に、今になってやっと、この曲『ただいま』と出会い直すことができてよかった。
風の行く先、顧みる郷土
星野源のリズムやピッチの感性には独特のものがあると思う。これは、2010年に『ばかのうた』が発売されたばかりの頃に私が感じたこととも共通する。「土」を感じた。全然カンケイないかもしれないけれど、灰っぽさというか、なんだかまるで、たとえていうならアフリカみたいな遠い大地の土のような質感を感じたのだった。自分(私)とはちがう風土・気風を持った命が発する音、声。うまくいえない。そんな感じ。
ヒラウタが日本語、サビが英語。どこか遠くのそれと、家の周り数メートル……身近な生活圏の空気を同居させたような感覚。到達点から郷土を顧みるような、その旅程が全部含まれているような、特別かつ普遍の歌。星野源にとっての憧れの人物・細野晴臣と彼が同じフィールドに立った感慨が生んだ曲なのかもしれない。
憧れの成就を想像して、私もここを出発したくなる。わくわくの詰まった、優しくて懐かしい、愛らしいサウンドが詰まった素敵な歌だと今思う。
青沼詩郎
メイキングビデオ。「黒人が歌ってるみたいに聴こえた」というミュージシャンの発言…それ、私も感じたことだ。
『ただいま』を収録した星野源のアルバム『ばかのうた』
『ただいま』を収録した細野晴臣の『HoSoNoVa』
『細野晴臣と彼らの時代』(文芸春秋)著:門間雄介
ご笑覧ください 拙カバー
青沼詩郎Facebookより
“星野源のファーストアルバム『ばかのうた』(2010)。
細野晴臣の働きかけで、彼が主宰するレーベル・デイジーワールドからリリースされた星野源のボーカル・アルバム。
星野源の依頼で、彼が作詞したものに細野晴臣が作曲したのが『ただいま』。
星野源の細野晴臣にまつわるエピソード、あるいは細野晴臣の星野源にまつわるエピソードとしてそのあたりの経緯、また2016年に40年ぶりに行われた細野晴臣の「中華街ライブ」で二人が共演したことなどが掲載されている17日発売の『細野晴臣と彼らの時代』(著:門間雄介)が気になる。
アルバム『ばかのうた』は知っていたけど、『ばらばら』『グー』など冒頭の数曲の印象を築くのみですべてを深く聴いてはいなかった。
星野源と細野晴臣による共作『ただいま』というトピックがあったのにも関わらず、リリース当時の私の関心の範疇は狭く、このトピックについてもきちんと認知していなかった。先に述べた『細野晴臣と彼らの時代』の公開されている「試し読み」でそんなことを知って、いま改めて興味を抱いた。最近の私はようやく音楽入門者になったと自負している。
曲『ただいま』はそんなお二人の作とだけあってか、音楽的な意匠が細かい。星野源の歌のピッチやリズム、グルーヴはかなり独特なものがある。これには詞先での共作という制作方法ももちろん影響していると思う。歌の乗せ方がむつかしい。星野源の細野晴臣への思いが表現された歌詞、だとも。
ヘビロテして聴いた。音楽ツウな曲だし、そこがいいと思った。”
https://www.facebook.com/shiro.aonuma/posts/3479950028765313