まえがき

東京の都市に実在する景観としての「一本道」もあるかもしれませんし、行ったきりで一度きりの人生をも思わせる主題としての「一本道」であることを思います。 

収録アルバム『にんじん』のジャケット被写体は……阿佐ヶ谷に実在したというおでん屋さんのご主人?!なのでしょうか。

一本道 友部正人 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:友部正人。友部正人のシングル(1972)、アルバム『にんじん』(1973)に収録。

友部正人 一本道(アルバム『にんじん』収録)を聴く

はじめて思ったことをはじめて思ったまんまに、今この場ではじめて弾き語りをしたかのように感じる演奏です。このういういしさと正直さが尊いです。同時に無情感で私の胸の浴槽がいっぱいになってしまいます。

厳しい都市の普遍を歌っているようにも思えるのに、でもやさしさや心の安らぎも同時に存在しています。田舎であろうと都市であろうとそれは関係がないかもしれません。

華美に飾ろうとするほどに虚栄が服を着て歩き始めます。しかしすべての服を脱ぎ捨てて駅前を闊歩されても周囲の人は目のやり場に困ってしまいます。最低限の社会との折り合いは必要なのです、服を着る程度のことで十分なのかもしれませんが……。

アコースティックギターの弾き語り。4拍の各表、ダウンのストロークを中心に、16分割のいわゆる「裏の裏」を引っ掛けてリズムのニュアンスを出します。ダウンのみで8分割する意識で、16のウラウラをアップをやさしいダイナミクスで引っ掛ければこんなニュアンスのアコギが弾けると思います。Eキーですがカポをつかってちゃきっとした軽いきらびやかな響きを尊重します。2カポとかでDのローコードで弾けばこんな感じになるでしょうか。

ハーモニカの枯れた軽いフィールが儚いです。Eキーに対してAメージャーのハーモニカを使ったらこんな感じの響きが出せそうです。セカンドポジションですね。

友部さんの声が胸に刺さります。“あの娘の胸に突き刺され”との言葉通りに、私はあの娘ではないにせよ私のなかにいるであろう「あの娘」の仮想上の人格に歌声が突き刺さります。誰しも、その歌の主人公や、その歌の主人公が想いをささげる対象自身でなくても、そうした人格に近い人格を心にいくつも持っているもので、そうしたたくさんの人格を持つほどに、歌への共感は豊かになるものです。

しゃがれたような、今さっき昼寝から覚めたらもう夕方を迎えてしまっていたみたいな怠惰な経過を自覚した瞬間に襲いくる後悔を叫ぶみたいな歌声がせつなく響きます。

「しんせい」はたばこの銘柄ですね。「お銚子」はとっくりなどの酒器のことでしょうか。都市の無情さを叫んだかのように思えば、ふと幸せの知覚を描きます。

どこへ行くのかこの一本道

西も東もわからない

行けども行けども見知らぬ街で

これが東京というものかしら

たずねてみても誰も答えちゃくれない

だから僕ももう聞かないよ

お銚子のすき間からのぞいてみると

そこには幸せがありました

幸せはホッペタを寄せあって

二人お酒をのんでました

その時月が話しかけます

もうすぐ夜が明けますよ

(『一本道』より、作詞・作曲:友部正人)

中央線沿線や阿佐ヶ谷に実際にある一本道を思い浮かべて歌っているのでしょうか。阿佐ヶ谷の駅前の商店街も長く長く行けるイメージがありますがそのことなのかどうなのか。

一本道を行ってしまうと、引き返すのにもひと苦労です。そのままどこへ行こうか。商店街もどこかで尽きて、おまつりみたいな人の賑わいもどこかで切れるのです。そのとき一人になって、何が残っているのか。そのとき胸にあるのが本当のしあわせかもしれません。

夕焼け、と序盤で歌った部分に、最後のほうでは幸せという言葉が当てられているのが印象的です。

昼間はハイライトタイムの象徴でしょうか。それが過ぎて、やがて人々が孤独や寂寥を意識し始めたときに、手をつなぎあっているもの。それが幸せなのだと考えさせます。

青沼詩郎

参考Wikipedia>一本道 (友部正人の曲)にんじん (友部正人のアルバム)

参考歌詞サイト 歌ネット>一本道

友部正人 公式サイトへのリンク

『一本道』を収録した友部正人のアルバム『にんじん』(1973)

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】感傷と心象 一本道(友部正人の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)