まえがき
三和音の構成音以外がボーカルメロディにも伴奏にもふんだんに含まれるユーミンの旅情あふれる美曲です。実在のレストラン、ドルフィンを訪れて楽曲のイメージを重ねてみたくなります。
海を見ていた午後 荒井由実 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:荒井由実、編曲:松任谷正隆。荒井由実のアルバム『MISSLIM』(1974)に収録。
荒井由実 海を見ていた午後(アルバム『MISSLIM』収録)を聴く
“山手のドルフィンは 静かなレストラン”(海を見ていた午後より、作詞:荒井由実)
ここで起きている機微を、訪れる人の心を、みなまで言うことなく、ただ観察にしたがった情景をそっと置いていくことで聴き手に想像させる静謐な印象のサウンドが審美です。
ユーミン(愛称で失礼します)のリードボーカルが極めてソフトで繊細です。儚い。リップノイズの細部までもが視える、耳元でささやきを聴くような高解像な声の音像です。リードボーカルと書いてしまいましたがボーカルトラックはたったひとつのみ。バックグラウンドやハーモニー、ダブリングもなく、孤独な輪郭です。肌にレストランの空気が直接染み込むような緊張感があります。いえ、感性の集中力とでもいうのかな。
イントロから印象的なエレクトリックピアノの強いトレモロがヘッドフォンで聴くとくすぐったいくらいです。強いゆらめきに、ユーミンのボーカルの歌い出しが入ってくると安心します。エレピの音色の強いゆらめきは、心の揺らぎの権化でしょうか。ゆらめきが強いとはいえ、逸脱してどこかへ行ってしまうのとは違います。あくまで我が胸の内にあり、という感じで、崩壊しない自我の輪郭を持っています。
チキリ、とものしずかにタンバリンが鳴く。自転車のベルのような、あるいは飲食店で店員さんを呼ぶのに卓上に置いてあるチンベルのような澄んだ音色がすこしむこうのほうのテーブルから鳴るのが聞こえてくるみたいな距離感。
ラテンパーカスの熱量もかつてないくらいに静謐、平静です。情熱的だったいくつかのシーンが胸のなかにしまい込まれているみたいです。
シンセ・キーボードのポルタメントするカドの丸いイノセントな純朴な音色がさびしげにmonophonicの線で海に空に浮かびあがります。カモメの軌道のようです。
ときおり、バイクだかモーターボートのエンジン音にも似た、機械的な音がドップラー効果するみたいに景色の中をよぎります。これ、なんの音なのでしょう。歪んだエレキギター、あるいはファゴットなどのダブルリードの低い音にもちょっと似ていますがしっくりくる音色が私の記憶と照合しません。バス・ハーモニカっぽくもあります。シンセ・キーボードで出した音なのでしょうか。
いま、ひとりでいるレストランの景観。それから、たびたび来た……誰かをともなってやってきたときの景観。そのときの心情や、いまこの瞬間の心情を直接的に綴る言葉は多くありません、というかほとんどない。観察や情景を淡白に……というか、感情と距離をもうけて綴ることばのなかに、奥に、向こうに、ある想いを聴き手に読み取らせる、想像させる余白が気持ち良いのです。
窓の内側にいて、空気も時間も止まって思えるみたいな静謐さが尊いです。
青沼詩郎
『海を見ていた午後』を収録した荒井由実のアルバム『MISSLIM』(1974)
One Afternoon By the Sea
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】“ドルフィン”の記憶 海を見ていた午後(荒井由実の曲)ピアノ弾き語り』)