まえがき
桃井かおりさんのアルバム『Show?』をしめくくる感傷深い曲想、桃井さんの儚げな歌声が印象的です。
若草恵さん(桃井かおりさんのアルバム『Show?』の星勝さん編曲作以外の編曲を担当)について、演歌における作編曲歴が割合を占めるかのような言い方を動画(↑のリンク)の中でしてしまいましたが、訂正申し上げます。演歌の作編曲歴が多いのはもちろんですが歌謡曲、ポップス、またボーカルものにとらわれず劇伴、放送音楽などジャンルにとらわれず非常に豊かで幅広いキャリアをお持ちの方です。不勉強で失礼しました!
逢瀬 桃井かおり 曲の名義、発表の概要
作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお。編曲:星勝。桃井かおりのアルバム『Show?』(1982)に収録。
桃井かおり 逢瀬を聴く
https://open.spotify.com/intl-ja/track/6DgCVKi8D5eVPm8eV2Xd5z?si=88627ff211ad41d1
目の前に肉体を持って存在していたとしても、実体を疑ってしまう……煙のような、明らかにそこにある存在感。場に影響をもたらす事実もはっきりしているのに触れられない、触れたら脆く崩れ去るかあるいは指の隙間から無限にこぼれ落ちてしまいそうな桃井かおりさんの歌声が儚いです。
対照的に、来生たかおさんの声の重心の低い安心感は無限に身上相談を受け付けてくれそうな頼もしさ、質量感です。オクターブ下で同じメロディラインをシンクロ・ユニゾンしますが、たとえば同じ道筋を通ったとしても旅の内容やその記憶がもたらす印象ってこうも変わるものなのか!と目を見張らせるほどに、両者の個性の間にははっきりとした個性があります。わずかに来生さんの歌唱が、桃井さんの儚さに歩み寄っているような印象も受けるのがAメロ付近の歌唱です。
そしてこの両者の歌声の距離感が尊く、ずばりこの歌の内容の表現として適切な意匠になっています。
”少なめでいい 逢える時間は
甘く 余韻にゆれて せつない程の
長い睫毛を 指でなぞった
あなたとの 風景のワンショット”
”恋は 渇いた風にしましょう
あまり湿った馴合いは 危険だから”
(『逢瀬』より、作詞:来生えつこ)
べたべた触れすぎない距離感が尊いのです。
距離があると、近づいたらどんな解像度の知覚が得られるのか想像を掻き立てます。それを得た時、がっかりしたり幻滅したりするならその二人の関係はそれまでなのでしょうか。
そこまで立ち入らないからこそ、ずっと尊く思える関係と、べたべたさわれるくらいの距離に行ってもなお必要としあえる関係って、それぞれまったく別物だと思うのです。そしておそらく、私にはそうした多様な関係のどれもが必要なのだと思います。それをこの『逢瀬』という歌は教えてくれます。
ぽろんぽろんとハープがかおる編曲が儚い。何がはじまるのか?というイントロの転々としつつ妖しげなギターの響き。来生たかおさんの名刺ともいえそうなヒット曲『夢の途中』の編曲を担当したのも『逢瀬』と同じ、星勝さんだと今検索してみて気づきます。なんだかこの何かがはじまる期待と不安の両方を高揚させる導入に、通ずる作風を勝手ながら覚えます。
アルバム『Show?』をつるっと通して聴くと、ちょっとスナックにいるような気分にもなるのですが、アルバムの最後に配置されたこの『逢瀬』が凛として瑞々しい後味です。若草恵さんが10曲中7曲、星勝さんが10曲中3曲の編曲を担当されています。すべての作曲が来生たかおさん。収録曲のうち7曲の作詞が来生えつこさんです。
私にとって女優さんとしての認知が圧倒的だった桃井かおりさんですが、音楽作品の経歴も豪華かつ豊かなようで、注目すべき豪華な顔ぶれとの作歴がままある様子。引き続き色々漁ってみたく思います。
青沼詩郎
『逢瀬』を収録した桃井かおりのアルバム『Show?』(1982)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】わずかな接触の機会の価値 逢瀬(桃井かおりの曲)ギター弾き語り』)