まえがき
“この橋を渡る時 街はぼくたちを いつも呼んでるよ 明るくさざめき”(『ロマンス』より、作詞:山上路夫)
恋は感性を豊かにします。恋だけじゃなく、憧れや尊敬、愛もその持ち主を詩人にするものでしょう。静物や土地が人のようにふるまって思えるのは、恋の対象や豊かな感性をもたらしてくれる恵みへの感謝の思念の表れなのかもしれません。 ハモったマンドリンのトレモロが可憐に降り注ぎます。ベースが木管楽器あるいはいくつかの管楽器が交雑したような独特のアタックと音色をしていて楽曲のキャラクター形成に絶大な効果をもたらします。ストリングスがピチカートやアルコで曲の構成・展開に沿って的確に雰囲気の演出を変えていきます。全編にわたりボーカルレイヤーの力強さ・儚さの振れ幅、翳り・光りをみせ、エンディング付近でのソロボーカルをよりいっそう際立たせます。 演奏や歌唱・アレンジに込められた豊かな音楽性や叙情が、彼らのルーツを辿る切符のようにさらなる好奇心のヴァイブレーションをくれます。
ロマンス ガロ GARO 曲の名義、発表の概要
作詞:山上路夫、作曲:堀内護。編曲:大野克夫。ガロ(GARO)のシングル、アルバム『GARO4』(1973)に収録。
ガロ GARO ロマンスを聴く
ふわっとちからの抜けた繊細なメロの歌唱が清涼です。ボーカルの重なった織り、綾は緻密で、ストリングスの壮麗な響きとの調和が神々しい。グモっとしたベースのアタックに、デシっとしたスネア、ボツっとまとまった質感のキックがコンビしてアクセント。たまにとどろくドゥンというフロアタムの響きが深遠です。
アコギが左にいて、右にもいるでしょうか。そう、アコースティックな楽器のウワモノが中心になっている素地がボーカルのレイヤーのはかなさが映える一因でしょう。エレキギターの歪みのリードやオブリ、カッティングなどのリズムがいたらだいぶ印象が違うはずで、この楽曲の耽美な曲調にはエレキギターを排除した優雅な雰囲気が貢献していると思えます。エレキギターを使わないこういう方針があるのだと、お手本として覚えておきたいですね。アレンジ(編曲)は大野克夫さんです。
生楽器中心のアンサンブルは風通しがよく、骨組みの間に・上方に繊細な響きのための空間が確保できるのです。ピアノダウンストロークがはずみます。
弦楽器のピチカートのハリのあるテンションの強さが水をはじくようにりりしい。
エンディングでパンとたたいたら幻術や催眠が消える、霧が晴れるみたいに唐突に音がとまり、ストリングスのまとっていた残響だけが儚くしかし深く留まります。耽美です。
青沼詩郎
参考Wikipedia>ガロ (フォークグループ)、ロマンス (ガロの曲)
『ロマンス』を収録したガロ(GARO)のアルバム『GARO4』(1973)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】恋慕がみせるもの ロマンス(ガロ GAROの曲)ギター語り』)