まえがき 世界の窓は空でつながっている
赤い鳥のサウンドはずっと新しいのです。一方で、どこにもない特異な素材からできているわけでもなく、あくまで音楽の古今東西の文脈の中から抽出して組み合わせた音楽性であるのを思います。その精神や意匠にうかがえる趣向がフォークのアイデンティティと合致するように思えます。土の上で脈々と育ち、継承されていく歌です。通常は一定範囲の地域や国でそうしたフォークソングが醸成されていくでしょうが、赤い鳥のそれは、世界中が頭の上の空でつながってカクテルされたように、どこの地域の歌にも思えるし、どこの地域のそれとも合致しない創造性を感じるのです。
山本潤子さんのリードボーカルの質感を表層に、ボーカルグループとしての底力も抜群です。
『忘れていた朝』はメジャーセブンスの響き、ストリングスやホーンのアレンジが組み合わさっておしゃれですがそこが儚いです。水のようにつかみどころがなく……主題の「忘れていた朝」の通り、自分の胸元にずっとあるのに、それがゆえにどこにもないような気がしてしまう……頭の上にのせたメガネをうろうろと探して回る、なんて喩えではあまりに軽薄ですが、そういう身近に起こりうるありふれた光景の向こう側の抽出を試みているように思えるのです。
大小さまざまな音価をうまく組み合わせて展開に変化をつけていくリードボーカルのメロディの意匠に唸ります。
忘れていた朝 赤い鳥 曲の名義、発表の概要
作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦。編曲:川口真。赤い鳥のシングル、アルバム『竹田の子守唄』(1971)に収録。
赤い鳥 忘れていた朝(アルバム『竹田の子守唄』収録)を聴く
右のほうでアコギのアルペジオが細い。ずっとシックスティーンの分割でピックがこちこちと弦を撫でます。左には対になるアコースティックギター、コードをばらんと、ゆったりとしたリズムでストラミングを置いていきます。そしてピアノがぱらん、ぽろんと緩急をつけて響きをつけて風を動かしていく。このウワモノトリオの響きの組み合わせが楽曲『忘れていた朝』の独特の儚く淡い色調の印象を形成していると思います。
右のほうの定位でチェロがときおり目立ってきます。高音パートのストリングスは左寄りの定位に感じます。1コーラス目が終わったところのトランペットの類の音色が非常に柔和で、しかし音形はリズミカルです。流れるような印象の楽曲の中間地点に、聴き心地の起伏をつける妙味があります。
ベースがズモ、ズズ……と16分割のウラウラをひっかけながら表拍の存在感を演出していきます。
チキチキチキチキ……とタンバリンのまさかの32分割には目を見張ります。些細なことかもしれませんが、タンバリンを32分割で用いるポップソングに出会うことは稀なので心躍ってしまいました。楽曲『忘れていた朝』の独特の儚い印象はこのタンバリンの解像度も一役買っているところでしょう。
“忘れた朝を 二人ここで見つけたよ 愛の国を探して 二人して来たよ 言葉など今いらないさ この夜明け 見つめる時に ここですべてを 二人で始めようよ”(『忘れていた朝』より、作詞:山上路夫)
平易な語彙だけでロマンを演出する作風に山上路夫さんを感じます。言葉も含めて音楽なのです。一語一語の意味の匂いを風にとかし、語のまとまりの文章の意思を土に埋め、章がなす一編の綴りの態度を空に浮かべます。フィクションでありながら、どこにでも起きて、数百年でも繰り返されてきた愛情の営みをイメージさせます。
忘れるには、もともと存在する必要があります。なかったものを忘れることはできないのです。
個人の体験である必要もないでしょう。誰かが経験して、世の中に残してきたこと。残そうと積極的な意思によって刻まなくても、何かしらの影響がすべて、風に、土に、空に溶けているはずです。
そうやって忘れられている何かを一つずつ朝に抽出しながら目を見つめ合い、私もあなたも同じ船にのって時空の海を旅しているのだと想像しませんか。
このコーヒーを飲んだら、また1日が始まるのです。
青沼詩郎
『忘れていた朝』を収録した赤い鳥のアルバム『竹田の子守唄』(1971)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】世界の窓は空でつながっている『忘れていた朝(赤い鳥の曲)』ピアノ弾き語り』)