天真爛漫に流動を映す
かろやかな印象の楽曲で、くるりの作歴にみられる特長と照らし合わせると私が思い出す系譜は『特別な日』という楽曲です。そちらはジェイアール京都伊勢丹の創業20周年の節目に寄せてとの依頼で書かれたものとのこと。一方こちら『landslide』は2012年頃にはもとになる楽曲が存在したそうで、作曲時期にはふたつの曲の間には5年くらいの開きがあるのかもしれません。
そして意外だったのは、この2曲がどちらも同一のアルバム『ソングライン』に収録されているという点でした。近い作曲時期に、その時期特有の手癖や思考の癖の慣性を活かしてえい、やったれ!と書いたものが、どこか共通性のあるグルーヴ感や曲想をまとうということはしばしばあると思いますし、それがそのソングライターの作風の一部でもあると私は考えますが、どうやらこの2曲は前述した通り、作曲時期にいくらかの開きがあるようなのです。にもかかわらず、少なくとも私が通底する何か(かろやかや肌触り、といったところでしょうか)を感じるということは、これはもうある一定の時期特有の手癖や思考の癖といった狭い領域における傾向ではなく、岸田繁さんというソングライターの恒久的な得意の型(呼吸、などと喩えてみても良いでしょうか)なのかもしれないと思い至り、一人鼻息を荒げて悦に入っている私です。
非常に軽やかなタッチを感じるのは、アコースティックギターのストロークやタッチの軽いリズム楽器の類の功労でしょう。バンジョーやマンドリンといった、そのかろやかな音色が特長の撥弦楽器もそこに貢献しています。
そしてそうしたかろやかな印象に奥行きを与えるかのように、管楽器や擦弦楽器が前後のバランス感をもって楽曲に豊かな景色を描きます。ベースもソリッドボディでなく、アコースティックのコントラバスタイプのもので演奏しており、懐の深い印象で、躍動するウワモノの足元にふくよかな質感をもたらします。
ボーカルメロディの譜割りは16分割で細かい躍動感とリズムの素地がふんだんに含まれています。たとえば吉田拓郎さんや長渕剛さん、友部正人さんなどの楽曲にみるようなボーカルリズムの割り付けの特長にも通ずるものを感じもしますが、それにしても本曲『landslide』が至って流麗な印象なのは、ダイアトニックスケールに対して親密なメロディであり、順次進行や細かい跳躍に積極的で天真爛漫さを覚えるからです。数多のフォークミュージシャン(とはあまりにも粗暴な括りではありますが今日のところは論旨の補強のために見逃してください)らの傑作群のボーカルメロディに頻出する、愚直なまでの同音連打の音形は『landslide』にはあまり見られません。流動することに寛容で慈しみ深い態度を感じるのです。和声にも西洋音楽的な転回形や経過の低音位が効果的に用いられています。Cメロ(歌詞が「季節は巡り……」となるところ)に入るところの、ⅳの低音上のⅤの和音(Ⅴ7の第3転回形)などは「くるり印」と敬意をもって称したくなる、まさに流動に対する悟りを思わせる響きです。
landslide くるり 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:岸田繁。くるりのアルバム『ソングライン』(2018)に収録。
くるり landslide(アルバム『ソングライン』)を聴く
歌唱がやわらかい。これも流動への慈しみのまなざしだと思えます。可憐です。
何度かこの曲にふれては時間をおくあいだ、私の記憶に形成される表層の印象はかろやかな印象だったのですが、やはり両耳をヘッドフォンで覆って聴くに、音数が豊かであり、かつそれぞれが機能しあっています。
ピアノの優美な印象、メランコリックでうっとりするような角のまるい甘い響きが極上。三柴理さんによる演奏です。そしてやはり、リズムを細かく分割したり低音位を担うパートがそれぞれにあるからこそこのピアノが優雅な部屋の空間をふわりと横切り、浮かぶことができるのでしょう。
小型の撥弦楽器、マンドリンはそのチャカチャカっと甲高い質感がよく出ています。管弦楽器が長い音価で和声を担ったり、歌詞のふとした2小節程度の切れ目にリズムの分割を細かくしたりと空間把握とそれに応じた振る舞い分けのバランス感に秀でるさまよ。コントラバスのベースもただふくよかなだけでない、ばちん、べらんとグラマラスなつやある質感と動きに富む様子が透明感を持って伝わってきます。
“こんな所で また会ったな 微笑み返す 影も無く 廃線のホーム 焼け跡の街 君に会いたい ただ伝えたい もうすぐ冬が やってくる 雪の降る街 点る電灯 着の身着のまま 溢れ出す人 街は賑わい 言葉は空に 吸い込まれては また冬になる”(くるり『landslide』より、作詞・作曲:岸田繁)
季節感を大抜擢する曲想ではなく、季節がおのずとめぐるさまにやわらかかく惹きつけられる視線を描き、冬にいたる様子を描くところが立冬の頃、秋から冬にかけてこの曲を聴きたくなる一因です。
廃線のホーム、焼け跡の街。かつて人の営みがそこにあり、外的な要因か何かによってその営みが中断され、時間が経過した頃合いを描くよう。自然と微笑み合う幸福を取り戻すには、経過する時間がまだもう少し必要である、あるいは人々の営みを絶ってしまった外的な要因の影響があまりにも甚大すぎて、向き合うとか受け入れるとかの次元にない、ただ営みが絶たれたあの瞬間から、己のなかの時間だけが停止している様子を思わせもします。
慈しみぶかく柔和な質感の歌や演奏のなかに無情な現実世界の時事が包摂されているところも、この楽曲がただのおとぎ話でなく、現実の観察に準拠した詩である側面を思わせます。
ちなみにlandslideの直訳は地滑り。スラングには「ボロ勝ち(大差にて勝敗がつく)」といったニュアンスもあるようです。
青沼詩郎
『landslide』を収録したくるりのアルバム『ソングライン』(2018)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】天真爛漫に流動を映す『landslide(くるりの曲)』ギター弾き語り』)