ディストピア感たちこめるすごろくゲーム
空虚なマイナーコードのギターからはじまり、さまようように平行移動ポジションで4度下行のマイナーコードを反復しながら「俺」をカメラが写していきます。「無用になったっていうことか」どんな状況か分かりかねますが、目的を消し炭にされて放り出されたような喪失感と無力感。シュールともハードボイルドとも思えますがあるいはそれ以外の「からっぽ」を描きます。感情をくり抜いた枠型のようなおとぎ話が、葬儀屋、黒い車などといった象徴的なモチーフとともに展開されます。メージャー(希望)へのモーションかと思わせぶりなコードの動き(Am調におけるD →Eの動き)を経て、またふり出しのAmに戻り無力なスゴロクゲームが続く、かのよう……。
からっぽの町 ゆらゆら帝国 曲の名義、発表の概要
作詞:坂本慎太郎、作曲:ゆらゆら帝国。アルバム『ゆらゆら帝国のめまい』(2003)に収録。
ゆらゆら帝国 からっぽの町(アルバム『ゆらゆら帝国のめまい』収録)を聴く
音楽ってリフレインがあるから良いなと思います。1小節や2小節の短いフレーズの繰り返しのリフはもちろんですけど、たとえば間奏をまわって、さっき出てきた部分にまた帰結するとかそういう再現・再来の意味のとしてのリフレインが救いなんですよ。それはゆらゆら帝国の楽曲に限ったことでない、あらゆる大衆音楽どころかクラシック音楽だろうと民謡だろうと採用されうる基本的な楽曲の構造の話でしかないのですが、そんなあたりまえのことに思い至らせてくれる「からっぽ」ぶりがこの楽曲にはあります。からっぽだからこそ、構造のほうに視線を誘導してくれるのです。
シンプルなスリーピースのサウンド、かと思いきや、ヘッドフォンで集中して聴くとサウンドは思いの外豊かです。
右にリズムのギターがいます。こういう硬派なサウンドをコピーするなら逆アングルピッキングが相性が良いと思います。ご本人はどんなピッキングで演奏されるのでしょうか。
ベースとドラムのサウンドはプレーンなんです。そこで鳴っている音、あるいは録ったまんまの音の素材感のリスナーに届くまでの阻害が極力少ない。ゆらゆら帝国メンバーが部屋で鳴らした音、その場にリスナーの私もいる気がするんです。そういうサウンドの最終形に対するアティテュードや方針って、本当に大事だと思いませんか? ツギハギ編集や数え切れないオーバーダビングやトラックの加算を経て綺麗に壮麗につくりあげられた録音芸術の良さももちろんありますけれど。
左のほうにアルペジオしたりちゃらんと和音を置いて、リズムを刻む頻度を疎にした響き重視のギターがいます。それから、オルガンのようなトラックが鳴っているのもツボです。ロングトーン中心ですが、間奏あたりだったかな? たまーに動きを見せるとそれが目立つのです。おっとりしている巨大な動物が動いた!みたいな。オオサンショウウオみたいなオルガンプレイです。
間奏で、ボーカルが抜けて入るのは激しく歪んだリードトーンの新たなるエレキギター。からっぽ、無用になったことへのささやか抵抗なのか。バンドのサウンドは間奏で最も熱量を帯びて思えるのです。奇しくも、歌詞のない間奏の部分でこそ雄弁に表層に浮き上がるものがあります。録音芸術だなぁ。
エンディングが近づくと、奥まった音像で、「アー」とかいうボーカルの付加トラックが追い打ちをくわえます。リードボーカルすべてにおいてシングルトラックの音像で、このボーカルの付加はダブルとかハーモニーとしての位置付けとまったく違います。意匠や演出の機能を強く感じます。この「アー」という嘆きが、無用になってしまった、からっぽであることへの嘆きなのか。
青沼詩郎
坂本慎太郎の新曲(2025年秋時点)『おじいさんへ』
坂本慎太郎さんの楽曲『おじいさんへ』が2025年10月15日リリース。“後はやっときますので……” 乾いた部屋の空気、うるおったクランチトーンでゆらめくギター、素朴なトーンのフルートやドラム、短2度の刺繍音がエロチックなベースが印象的。世のうごめきとの距離をとることをおじいさん、おばあさんに勧めるかのような、やわらかい豆腐のようなソフトな物語の奥にはショウガやミョウガのようなピリっとした皮肉や風刺が見切れているような(いないような)ソングライティングが絶妙です。“おほ おほ”……。
『からっぽの町』を収録したゆらゆら帝国のアルバム『ゆらゆら帝国のめまい』(2003)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】ディストピア感たちこめる『からっぽの町(ゆらゆら帝国の曲)』ギター弾き語り』)