表現のために立つ自由
快活な曲調に乗って、電波が滑空するようにリズミカルに連なるリードボーカル。エルヴィス・コステロ独特の温かみとエッジのある声質とあいまって、楽曲にタフなフィジカル性をもたらします。
オルガン系っぽいピーピーした鍵盤楽器の音色には歴年の大衆音楽の意匠を感じます。
1977年、NBCサタデーナイトライブにエルヴィス・コステロらが出演した際、演奏予定になかったこの楽曲『Radio Radio』を独断で演奏したことにより、エルヴィス・コステロはおよそ11年間このプログラムへの出演を追放されたというエピソードがあるそうです。この楽曲が、放送(ラジオ)の商業主義を批判するものと解釈できるからということなのだそうですが……
(参考 billboard Japan エルヴィス・コステロ、『SNL』を10年以上出禁になった過去を振り返る「覚えてほしかっただけ」)
批判は、ラジオ(放送)とはこんな良いもの(であるはず・だったはず)という理想があり、それと乖離してしまった現実の振れ幅が生み出す衝動だと私は思います。暗に、媒体の本来の意義への共鳴や愛があるのを思わせるのです。でもなければ、ラジオ「Radio」を主題にこんなに明るくて勢いがある、活気にあふれた名曲が書けるはずがないと……。
放送や生のステージで、何かへの抗議の意図を込めた演奏によってそのコンテンツを出入り禁止になるアーティストのエピソードは多く存在しているようです。表現の自由という大テーマがこうしたエピソードの根底でしょう。自由に表現されるからこそ、表現されたものに異議を唱えたり賛同したりと、対等な批評・評論ができます。最初から何者かによって操作されたり検閲されたり取捨選択されたものしか表現・発信されることのない世界はなんとおぞましいことか。表現の自由をおびやかす魔物(……人の心のなかにある惑わしの因子)と戦ってきた表現者の歴史があります。
Radio Radio Elvis Costello 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:Elvis Costello。Elvis Costello and the Attractionsのシングル、アルバム『This Year’s Model』(1978)収録。
Elvis Costello Radio Radio(アルバム『This Year’s Model』収録)を聴く
めちゃくちゃ良いバンドだな……
演奏のニュアンス、起伏の豊かさに秀でます。シンプルな編成、絞った人数でバンドしている。教科書だよこれは。
ブッブッブッブ……と8分割のストロークを並べるのにも音の切り方にニュアンスのあるベース。ドラムのカツンと鋭さのあるスネアのサウンド、左に低いタム、右に高いタムを振った感じの定位でタムのピッチとサスティン感にハリがありはつらつとしています。
ジャーンと減衰するエレキギターの置き方。埋め過ぎていないところをうまく作っていて、音の起伏の演出が上手いです。
ヤツらが求めてないことを言ってもカットされるだけだ……なんてことを歌う部分で、バンドの音はバッバッ!とキメをつけて、音をタイトに止めながら言葉だけが流れていきます。カメラ止めてんじゃねーよ(テープ切ってんじゃねーよ)。ここがおれのいいたいところだよ。
ショートディレイ感のあるリードボーカルの音色がメディアに乗って拡散される思想感情:音楽を演出します。ここぞというところにハーモニーのボーカルトラックがあらわれます。
「すばらしきレイディオ」よ……
利権者に操作された「すばらしいレイディオ」との皮肉と、本来のリスナーや表現者の手元胸元にある理想としての「すばらしいレイディオ」が重ね合わせになって、エンディングで繰り返し主題として叫ばれて(タイトルコールだ!)ドラムスが堂々のストロークをお見舞いし終止。私の心は拍手喝采です。この拍手が聴こえるか?「レイディオ」さんよ。マイクをそっぽ向けてんじゃないよ?
青沼詩郎
参考Wikipedia>Radio Radio、This Year’s Model
『Radio Radio』を収録したElvis Costello and the Attractionsのアルバム『This Year’s Model』(1978)