桃色の川縁に至るまで

“oh my baby”と、歌い出しのボーカルモチーフを丁重に扱いリフレインしていきます。まるで春の扉を叩く現代のベートーヴェンではないか。

土のなかで培いつづけた、地表に覆われた成長の積み重ねが“桃色の川縁を”……というエンディング付近に芽吹くように配置された歌詞とともにその儚くも美しき姿を露わにします。

この楽曲にふれるおそらく多くのリスナーの耳を惹きつけるのは繊細で豊かなボーカル表現ではないでしょうか。エンディング付近をその頻出スポットとしつつ、曲中の要所で足繁くファルセット(裏声、仮声)を用います。ボーカルの音域が高くなるところで、熱泉の噴出を緩和するかのようにふっと握った手綱を緩めます。さながら感情との付き合い方を覚えた大人の歌唱です。

冒頭からリフレインされる「ラーシー・ド♯ーーシラ」(「オー・マイ・ベーーイベ」……)という主たるモチーフですが、この「baby」の「ba(ド♯)–」の音程に滞在する、一瞬であるにせよ確かな時間の幅が私にはたまりません。世界の刺激に忙しく反応するのが若さのひとつの側面であるとすれば、この一瞬にせよ幅のある滞在時間が、私にはそうした若芽の時代を経て獲得する、原初の反応や反射を抑制して(ぐっとこらえて)、観察や熟考を尊重する落ち着いた成熟した態度のあらわれに思えるからです。

くるり『oh my baby』歌い出しの採譜例。主音からはじまり主音に着地する、順次進行のなだらかな音形ながらも躍動感あるリズムを含んだ短いモチーフを丁寧に連ね、移ろう景観と主体の歩みを描写していきます。

この一瞬のグッとこらえたモチーフ(音形)の繰り返しこそが、“桃色の川縁”によって表現される春の扉を叩く一挙手一投足に思えます。幅のある時間・季節の移ろいを前提に……記憶・思い出の集積が因果する一期一会の儚い感動、そこへ至る着実な思想心情を意匠(デザイン)します。

変化は一瞬にして訪れる……かのように見えるが、水面下で、土のなかで、あなたが背中や頭頂部や足の裏を向けた視界の外で物語は着実に進捗しています。日々を忙しなく乗り切るあなたの観察の目がなにかのきっかけでそちらへふと向いたときに、忽然と“桃色の川縁”があらわれたかのように奇跡的な“儚くも美しき”景観が立ち現れるのです。春へ至るために誰もが、意識・無意識下において小さくも頼もしい確かな歩みを連ねているものと……(くるりの2021年を象徴するスペクタクル、『潮風のアリア』とも水脈の通ずる感動を覚えます)。

oh my baby くるり 曲の名義、発表の概要

作詞・作曲:岸田繁。くるりのシングル(2025年12月12日)。アルバム『儚くも美しき12の変奏』(2026年2月11日)に収録。

くるり oh my babyを聴く

ピアノの4分打ちのリズムはあなたの足並みそのもの。倍音潤沢に、左右を包むギターのきらびやかな木立ちと溶け合います。

和声の展開が悠然としています。Aメージャー調と解釈し、主音のラをずーっと鳴らし続けてもおおむね調和することでしょう。複音リード系楽器のアコーディオンの音色でしょうか、みょぉーーーーんと、恒常的に長く描線を引きます。楽曲の連綿と続く、終始落ち着いた雰囲気を成す要因はこうした和声の悠然とした展開や、伴奏トラックに込められた長い保続音によるところがあるでしょう。どこへさすらっても、季節がいかようにうつろっても、あなたはあなたの人生の一筆を引き続けるのである……そんな真理を思わせます。

ドラムの音が実に優しく、慈愛に満ち、寛容です。オープンなサウンドでタイコを撫でるように鳴らします。Ricky Senooさんの演奏で、タンバリンも彼の担当です。些細な点かもしれませんが、Bメロへの導入を2拍分ほど先取るタイミングでタンバリンの16分割が鳴り始めるなど、景観がクロスするアレンジ面での心くばりを感じます。

和声進行や音価の長いトラックが悠然としたスピード感を、ドラムの音色が寛大さ・暖かさを演出するなか、ベースのプレイは16分割の目盛りを基調に、まるで道すがらの草木におもむろに話しかけては気さくにハイタッチしてさらっと去っていくみたいに天真爛漫です。ウワモノ楽器がメジャーセブンやドミナントセブンス(Ⅳの和音に解決する。Ⅰ7。)の響きを経過・経由するのを横の流れを傍に、Aの主音を足台に休符や装飾をふんだんにとりいれる好奇心旺盛なベースが活き活きとしています。ときに基本形を、ときに転回形を、梯子を嬉々としてステップするはずむような身のこなし、坂道をすべるようになだらかに経過する和声のクリシェに順応するライン。じんわりと移ろうような曲調において、意識の水面を揺らす役割をベースが担っているところが斬新かつ華のあるプレイです。

岸田さんのボーカルの豊かな響きにショートディレイがかかりウェット。ボーカルによるハーモニーパートの付加はなく、常に単一の輪郭に影(ディレイ)が映り込む余白があります(光と影は背中合わせだよ……哀愁を覚えます)。こうしたゆとりのある空間に残響のついたボーカルがギターの倍音とともに轟く華のあるサウンドは後段に書きますが、さながら世間をにぎわせるあの兄弟バンドのお印です。

ギターのきらびやかな音色はフェンダー系のギターがふりまくまばゆい乱反射を思わせます。ギターソロの音色は鋭く明瞭な輪郭があるとともにふくよかさが同居します。テレキャスター・シンラインなどのセミホロウ(セミソリッド?)の楽器を用いた音色なのでしょうか(未確認)。深み・奥行きと輝きを両立したギターサウンドが尊い。ボーカルの孤独な描線のバトンを受け取って、間奏や後奏のリードプレイは木立の面々に開花のまじないをかけるよう。

浮かび上がるOasis 精神の解放を映す季節

『Champagne Supernova』という儚くも美しいOasisレパートリーを認知する人はこの記事の読者であらば少なくないことでしょう。くるりの『oh my baby』を聴いて、私の記憶のなかの引き出しのそいつが輝き出したのです、「俺(Champagne Supernova)をもういっぺんよく聴いてみな!」。

『Champagne Supernova』とくるりの『oh my baby』には、意匠面での親和性を見出せます。

特筆すべきは、その調の主音(あるいは固有の音階音・和声の構成音)の保続が常に尊重される悠然とした進行、響きの移ろいと輪廻です。

この一定範囲の幅の効いた変化と恒常性の輪廻は、私に精神の自由と課され続ける使命の厳かさの表裏一体を思わせます。

主和音(Ⅰ)から、構成音の一部を経過的に変化させて移ろわせては回帰する……このまとまりの反復・輪廻という点において、両曲に兄弟関係のような親和性を感じるのです。偶然なのかギターの5弦の開放チューニングを尊重した必然なのか、両曲はともにAメージャーキー。リアム・ギャラガー氏と岸田さんの声域、声の響きの輝きのおいしさ分布も偶然か、比較的近いものがある(重なる部分が多い)とも思えます。

『Champagne Supernova』は楽曲のなかほど、ハイライトのところで“summer”の単語を歌詞に用いており、理想や自由、精神の解放を特定の季節に投影し象徴的に描いて思える一方、くるりの『oh my baby』には先述してきたように、“桃色の川縁”が示唆する春の匂いがたちこめています。マンチェスターの新学期は9月でしょうが、日本の新学期は4月であるといった社会背景の差異が季節の違いに現れているかもしれませんが、季節は違えど、その歩みの果てに至る何某かの季節を、カタルシスを担うモチーフとして扱っているように私には味わえるのです。

おまけに『Champagne Supernova』においてもアコーディオンらしきふいご楽器系の音色の長い音価の描線が効果的にフィットしており、両曲を語る共通の語彙を思わせます。

歌も風に吹かれるように

くるり Officialアカウントから歌詞と演奏者クレジット等のカード画像がポストされています。ご参照を。

“baby oh baby 思い返す涙と流れ星 流星群願いをのせてゆく

baby baby 何度も思い返せば あなたのぬくもり 流れる涙を遮って 心を風に吹かれながら どこまでも歩いたろう 消えない月明かり

桃色の川縁を 吹く風に揺れたまま雪柳 心を静かにいつまでも包むよ どこまでも歩いて行けよどこまでも”

(くるり『oh my baby』より、作詞・作曲:岸田繁)

流れる星の儚さ・美しさは冷たく厳しい冬の空気を私に想起させ、“桃色の川縁”が掲げる春、すなわち精神の解放へ至る伏線(必須の連続した因果)に思えるのです。楽曲の悠然とした和声展開と輪廻が思わせるのは、くるりの2025年4か月連続シングルリリースの1曲目『ワンダリング』が提示したであろう主題、“さすらい”(放浪、旅)の観念とも重なり、“どこまでも歩いたろう”の口語的で親身なテクスチャがその観念を今この瞬間のあなたや私の口元に引き寄せます。

歌詞 “思い返す涙と” “行く宛てのない心は” “心を風に吹かれながら” “桃色の川縁を 吹く風に揺れたまま” “どこまでも歩いて行けよ” と、複数箇所でボーカルはファルセットに。歌唱の技法面おいても、旅の道中で出会う星々の輝き・熱量に吹かれてふわっと風に舞い上がるような情緒を、その行く宛のない根無し草のような魂の自由さを、歌声の質感のかろみで表現します。楽曲の中盤以降に重点的にファルセットを頻用し、浮世の儚さを労うかのように私の琴線を震わすと同時に、邂逅する星々と与え合う影響に素直で真摯な態度はなおいっそうくるりらしい……と、私のほっぺも桃色に春めくのです。

青沼詩郎

くるり 公式サイトへのリンク >ディスコグラフィー oh my baby儚くも美しき12の変奏

エックスアカウント くるり Official

『oh my baby』を収録したくるりの15番目のオリジナルアルバム『儚くも美しき12の変奏』(2026年2月11日)。『oh my baby』に至る2025年9月から4か月連続リリースとなった各配信シングル曲『ワンダリング』『Regulus』『瀬戸の内』をすべて収録。

ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『【寸評つき】春の扉を叩き歩く『oh my baby(くるりの曲)』ピアノ弾き語り』)