振れ幅もOK
「あっさぁの」「えきまえの」「ナンバァの」「マンマァの」……など、言葉ののりかたがフックになっています。コードはほとんどⅠとⅣにここぞ、でのみⅤが出てくるくらい。ギターのリフが音域を棲み分け、ハーモニーを奏で続けるエンディングの歌詞から解き放たれた余韻が実家を訪問したあと、おのれの未来の想像にふける余韻をおもわせます。ギターやボーカルの残響により空気感が豊かです。
“あー 伸びた髪を「そろそろ切ったらどうなのよ?」って言われて思うんだ 僕もなんか 大人になった”(『どうでもいいけど』より、作詞:安部勇磨)
青少年から大人になる、境界人間期を出る端境にたつ者の心境を思わせる歌詞には心理の投影をおもわせる映像がふんだんにふくまれています。上に引用したように思ったことが率直にそのままつぶやかれ、素朴な印象が好感です。
ボーカルの音域が狭く、長6度の音域を豊かな響きで歌えさえすれば十分です。そこに、「どうでもいいけど」とまでいえるかわわかりませんが「なんでもなさ」「さりげなさ」「いつもの肩肘張らないカンジ」がよく出ていて気持ちいいのです。無理していないし、器用になろうとしていません。ありのままで、カジュアルなのです。
己のファミリーヒストリーと未来の青写真を同居させている感じ、『あまり行かない喫茶店で』と連作関係を思わせます。どちらが前日譚でどちらが後日譚なのだろうと想像するのも楽しい。『どうでもいいけど』と同じアルバム、彼らのファースト『YASHINOKI HOUSE』に収録されています。椰子の木が生えているご実家を曲想に込めているのかしら……などと想像するのも楽しい。
『どうでもいいけど』の主題(タイトルネーミング)が、ちょっとぶっきらぼうで投げやりな印象です。青少年の域を出て青年期を渡る頃のアンニュイな心理傾向が率直に表現されているように思えます。私には「どうでもいいけど」というより「なんでもないけど」ってカンジだなと思えるのですが、そうした若さの側道・沿道についてまわる物憂げな心理傾向やシンプルな音楽の構造や意匠面でのカジュアルさが半周回って醸し出す円熟味を踏まえると、やはり「どうでもいいけど」の題名もまた絶妙だなと思えます。未来の振れ幅を受け入れることのできる器のひろさ、あるいは鈍感力、流れるままでいいや(オーケー)と思える態度が「どうでもいいけど」なのでしょう。
どうでもいいけど never young beach 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:安部勇磨。never young beachのアルバム『YASHINOKI HOUSE』(2015)に収録。
never young beach どうでもいいけど(アルバム『YASHINOKI HOUSE』収録)を聴く
流れる景色のなかで目がさめ、流れる景色のなかで眠り落ちていくみたいなドライブの最中を切り取ったみたいな爽快さがあります。
音楽の構造や意匠面がシンプルがゆえに、ボーカルのハーモニーづけがしやすく、映えます。「束ねて忘れる」とか「大人になった」のサビの最後のボーカルフレーズに、ちょっとはずんだようなグルーヴが宿っていて、未来や回顧に対して前向きになる精神がにおいます。
ドラムがオープンなサウンドで迫るコンプ感。キックの回数が最高潮になるエンディングでは右のギターソロ、左のギターソロ、2本のハーモニー、2本のハーモニーの音域を高揚させる……と長い尺を割いて言葉から解き放たれた「あれこれ」を描きます。もしこれがアニメーション作品とかだったら、せりふがないけど映像で時間の経過や登場人物たちの様子をコラージュ的にみせていくような手法を連想させます。ハンマリングをもちいたギターのベーシックなリフレインがペンタトニックスケール的で、はずんだグルーヴ感を含んでいるのがこの曲のわくわく感の一因です。
あー 伸びた髪を と歌うところで、ボーカルメロディの音価も伸びているのです。伸びる髪は、時間経過、成長の表現としての「記号」でもあります。たとえばシリーズアニメのエンディングにつきがちな登場人物の後日譚の描写などをみると、その登場人物の髪が伸びているなんてことはよくあります。その伸びた髪を切る大人になるのか、まだいいかとほったらかす大人になるかで問われるものも大きいなと個人的には思います。あー……。この「あー」が含む余韻もまた良いですよね。
青沼詩郎
『どうでもいいけど』を収録したnever young beachのアルバム『YASHINOKI HOUSE』(2015)