はじめに
くるりのアルバム『天才の愛』が4月28日(2021)に発売。ひとつ前のオリジナル・アルバム『ソングライン』(2018年9月)を起点にすると3年目のオリジナル・アルバムのリリースです。
くるりは未発表音源集『thaw』(2020年4月)、MV集『QMV』(2020年9月)などの発売を経つつ、『益荒男さん』『大阪万博』『コトコトことでん (feat. 畳野彩加)』と2020年に発表。アルバム『天才の愛』はこの3つのシングル曲を収録しています。
くるりが月曜レギュラーをつとめるラジオ番組『FLAG RADIO』(α-STATION FM KYOTO)では、発売前のアルバム『天才の愛』収録各曲の「チラ聴き」(私の体感で各15秒未満くらいでしたでしょうか)、『潮風のアリア』のフル尺、そして先日26日(2021年)の放送ではアルバム全曲公開と情報を発信してきましたが、28日0時をまわってサブスク上で全曲公開されているのを確認しました。
記事としては拙く、私のただの反応と雑感になると思いますが、この記事をお供にくるりの最新アルバムをご一緒にお楽しみいただければ幸いです。
くるり『天才の愛』を聴く
I Love You
逆再生の音で幕開け。バスドラムの残響に部屋鳴りの質感があります。ピッタリしたイヤホンで聴いたら映画館に轟く重低音のような生々しさ。コンコンいっているのはマリンバですね。繊細で多様なダイナミクスあるドラムスストロークにリズミカルなプログラミングが交い複雑なリズムを成しています。また和声も複雑。岸田繁ボーカルの重唱によるハーモニーですが、正直どんな動きをしているのかよくわかりません。プレイバックと注視(注耳)を重ねてみたい。ただ、協和感がすごいです。このあたりも、音律にこだわった影響が出ているのかもしれません。声の音律は調律がいりませんが、オケに音律のこだわりが出れば当然ボーカルもその良い影響をうけるに違いありません。間奏でトランペットの単旋律。深く歪んだコントラバスが入ってベーシック・リズムが止まります。木琴系の音とコントラバス両方が出てくる曲としては『図鑑』収録の『ミレニアム』を思い出します。歌が「♪なーにかが・だーれかに…」となるところで曲調が著しく変わり、一瞬R&Bかヒップホップか? いい意味で不審な展開です。また曲調は戻り、戻るどころかむしろ「ドッタドドッタド……」といった生ドラムスのビートに乗って前に出ます。歌詞に「缶チューハイ それ頂戴」の押韻。話が曲から逸れますが、ラスト・トラックの『ぷしゅ』とで、アルバムのオープニングとエンデイングがお酒モチーフによって対になっていることに気付きます。
潮風のアリア
イントロのギターストロークが重厚な音。これがバリトン・ギターでしょうか。サスティンするギターの歪みも非常に深いのですが倍音の際立ったじんじんと心にせまる音色をしています。ピアノのストロークもじんじんきますね。ベースの刻みがとても細かい。ゆったりしたテンポに密な描き込みをしています。トランペット、いえ、これはホルンでしょうか。下のほうの音域にファーと居ます。感情の水平線を押し上げてくる響きです。ひとまわし経るとギターソロへ。緩慢な動きにメリハリをつけた渋いプレイです。音の立ち上がりの質感。エレキ・ギターはボーカル並に雄弁ですね。メロが帰ってきてオルガンが目立ち、クワァーっと心を掻き立てます。タンバリンなど仲間がつぎつぎあわられるようにも感じられます。歌詞「♪あーまたの……」ということばの乗せかたは曲調を活かしたリズムの躍動を感じます。「♪海なりはあなたを……」、次の構成の歌詞の入りが「たまたま」なのが「あ行」の韻を大事にしていますね。またギターソロを挟みますが、「あまた」「たまたま」といった押韻が隔たりをつなぐようです。曲がすすむにつれてコーラスがより進展していくアレンジに感じます。トラック数が増えていっているようです。後奏にまた目立つホルン。まだまだ聴いていたいですがこれで6分台後半。ドラムスがひたすらに恒久なリズムを奏でます。どこか『心のなかの悪魔』を思い出させる、静謐な感動が押し寄せる永遠の波のような1曲。
野球
応援団風のトランペット、オイッオイッ!という声によるはやし立て。バッティングの効果音。0:07頃のベーシックパターンに入る前の緊張感ある和音がくせ者です。個人的には大滝詠一の音楽に滲み出た野球愛を思い出します。応援パートはバスドラム(手で演奏するやつ)をドコドコとぶち込んで応援する映像を想像します。かと思えば清々しいギターロックのような構成にひょいと移り変わります。私のフェイバリット・ソング『THANK YOU MY GIRL』を思い出します。かと思えばまた応援パート。そしてまた疾走するギターロック。後半の「♪走れ走れ福本」のあたりでは応援パートの歌リズムがズレたまま疾走パートに接続。こんな構成のくっつけ方もありなのですね。常識をひっくり返すお手本です。忙しく目まぐるしく、野球の英雄たちの名前がどんどん出てきます。音楽も聴いたことのない散らかりぶり(ほめてます)。これ、ポップ・ミュージックなのか?! 「くるり」なんですよね。
益荒男さん
先駆けて公開されている1曲。明治時代の流行歌『オッペケペー節』を引用した遊びの1曲。岸田繁オリジナル部分の歌詞が相当あそんでいますし、なんといっても音のあそびがすごい。ネズミがしゃべっているような、音声を倍速にしたようなしゃべり声が随所に入っていて歌詞の流れにリアクションしたようなしゃべりを添えています。トランペットやトロンボーンのぐずり損ねたみたいな情けない音色も笑えます。プログラミングの音でゲームの効果音を思わせるような演出も。言葉の意味はともかく歌詞を口にしてみると楽しい。真似るのにやさしくはないですが、覚えて口にするほどにクセになりました。流行歌の遺伝子が発露しているのかもしれません。中毒性高し。聴いているほうももちろんクセになるようで、曲をかけると子どもにリプレイを何度もせがまれました。我が家でくるりの『益荒男さん』が本当に流行歌になっていました。
ナイロン
ピアノの低音とベースのユニゾン、ドラムスのリズムがジャズのそれっぽいです。ダブリングのお化粧したボーカル。ことば選び、その区切れや乗せ方が斬新で独特です。日本語を聴いている気持ちにさせません。ボーカルの音がつくりこまれているせいもあるかもしれません。くぐもった音質のコーラス、透き通った音質の左右のコーラスが頭の中を貫通して脳みそが震える錯覚がします。トランペットも左右でパッパッパッパ……協調しつつ自由に違った動きもみせます。右のほうであやしくモゴモゴとくぐもったサウンドでうごめくエレピみたいなトーンも怪しい。低いところにはりっついているみたいです。後半にベースのハイポジションのみせどころがありますね。フレットレス・ベースです。独特のややくぐもったサウンドですね。エンディング付近はクラップ、トランペット、ピアノの低音弦のビリリと響くサウンドが際立ちます。クラップは意図的にズラして配置したのでしょうか。複雑なリズムが目の前にちらかって頻発する感じです。ポップコーンがフライパンの上ではぜているみたい。
大阪万博
「キューできたらゆうてください」など、話し声からはじまります。それから陸上競技のスターター・ピストルのような破裂音。呪文のようなボイスサンプル、演説風のボイスサンプル。小型弦楽器のトレモロ・ストローク。これがティプル(Tiple)のようです。妖しくうごめくベース。バスバスいうチューニングのドラムス。プログレッシブロックのようなリズムのキメ方です。クラビネットでしたっけ?『愉快なピーナッツ』にも入っているトーン。歪んだファンキー感を足しています。トランペットやバラフォン(木琴のようなもの?)のスケールが独特。リードギターのスケール感も同様にあまり馴染みのない癖のあるスケールです。現代音楽のよう。途中で偶数分割の拍子に変わり、走り抜けるような連打をみせたかと思えばまた3連シャッフルビートに戻ります。こういう変拍子も現代音楽っぽいですね。これに「大阪万博」という主題が無関係であるはずがありません。イメージの抽象でつけたタイトルなのかタイトルから構想を広げたのはわかりませんが、説得力ある主題です。途中で、イントロの「語り」? 演説風の声のサンプリングもみえます。走り抜けるような偶数分割の拍子は曲のエンディング付近でも再びあらわれ疾走していきます。エンディングにはまたティプルの開放的なトレモロ・ストローク。「ハイ。」という岸田さんの声? で終幕(「ジャン!」というテレビ臭い効果音もつきます)。オープニングとエンディングのロケーションが対になった構築です。
watituti
ちょっとレディオヘッドのような、幽体離脱したまま夢を見ているような感じのイントロ。ベーシックリズムが入り大阪万博の怪しいシャッフル感がまだ残りますが、「watituti」というボーカルが入ってきてこれはブルースだ! と感じます。ショート・ディレイの質感のせいでしょうか。左側で絡むエレキ・ギターの音作りも合まっています。これに右側でハープが絡む不思議な前代未聞の組み合わせ。いい意味で世界観の解釈に困ります。中央でふわーっというコーラスや人の声があえぐような効果。あえぎ声はサンプルを多様に編集したのでしょうか。切り刻んで加工・配置した感じで「ヘッ」とか「フィッ」吸い込むような「ハッ」とか、色っぽいかんじです。ボーカルの「watituti」と左のブルージーなギターのユニゾンが曲名のとおり主題ですね。オルガンの音にシンセブラスがまざったようなスルドイ音がエキセントリックです。
less than love
これは……くるりですよね? 完璧にジャズのCDです。私、この音楽、別のアーティスト名のCDで持っていやしなかったっけ? と思いそうになりますが……イントロからちょっとしてあらわれるモチーフに近年の(ゆっくりと醸成されたイメージの)「くるり感」があります。たとえば『chili pepper japonês』なんかにこのエスニックジャズ感ありませんか? この曲にも人の声のサンプリングみたいなものがあるでしょうか。ピアノがとても流麗です。ベースはアコースティック・ベース(コントラバス)ですね。本格ジャズです。このCD、棚迷子(ジャンルの分類に困ってCD屋さんがどの棚に置いていいか悩む)じゃないでしょうか。「棚迷子」という棚をつくったら『天才の愛』を筆頭に、くるりのCDばっかりになるかも?……無駄話は置いておいて、フルートにクラリネットがいますね。トランペットとフルートの主モチーフのユニゾンもおしりまで繊細に調和しています。トランペットの重奏は現編成(ファンファン脱退してしまいましたが)での音作りのいいフォーマットだと思いますが、ゲスト(サポート)奏者とともに拡充した管楽器サウンドは小編成のオーケストラのような様相です。エンディング付近でイントロと同じ主モチーフが出てくるところでは右側から何か金属質のものでスタジオの床を叩いたみたいなチュンチュンカチンカチンいうストロークがきこえます。曲の前半のほうにも登場していたと思います。ノイズめいた種々のサンプリング音? 含めもろもろの演出がただの本格ジャズとは異なるものにしています。
渚
引き続きトランペット活躍のイントロ。フワァーとした光が天から注ぐようなサウンドのイントロは『真夏の雨』(『BIRTHDAY』B面)を思い出します。何の原音なのでしょうかね。ゆったりしたテンポのバラード。振れ幅のすごいトラックの中でボーカル音楽にふと安心。ドラムスのゴースト・ノートが細かいです。コードのセブンスづかいにくるり感あります。『奇跡』のエンディングとかを思い出します。ファーとオルガンが目立ってきて入れ替わるようにトランペットがロングトーン。右のピアノ、左のクリーン・ギターに厚みがあり、ふくよかに立ち上がる。美しい音色です。マリンバ風の音がこの曲にもいますね。プログラミングでしょうか。包容力あるギターやピアノの音に、曲の後半でトン、トンと、タテのアクセントをまろやかに描き込みます。インストに比重のある曲が『渚』までつづきました。ここにきての、歌声・ことばがやさしく心をやわらかにしてくれます。アウトロではクワァーっとオルガンがトーンのグラデーション。エンディングに少し残り、フッと残響して息を吐くように消えます。
コトコトことでん (feat.畳野彩加)
こちらも先行リリース曲。畳野彩加と岸田繁のオクターブ違いのツインの複線。まるみのあるシンセ音が右にポロリポロリ、左に高めのパートのシンセがピロリピロリ。古典音楽を思わせるトリルを多用しています。そして間奏はまさに古典音楽のポリフォニーを思わせます。折り返しから2声が左右で動きます。真ん中では根音・アルペジオがささえます。間奏の背景の環境音は実際の「ことでん」ホームで採取したものでしょうか。乗車案内を伝える女性の声。エンディング付近は特にハープの音がしゃらんっと絢爛です。テンションあるハープの和音は、うろ覚えですがラフマニフの協奏曲(どれと特定できる記憶も知識もないのですが)に出てきそうな、壮麗で優美さを感じる私の大好きなポイントです。
ぷしゅ
スティック・カウントから古典楽器(チェンバロ)みたいにも聴こえる謎の楽器に4度の重音をもちいたようなギターの平行ハモリフレーズがユニゾン。この浮いたアンサンブルにベーシックより先に歌が入ります。「♪めがさめてまーんでい……」歌詞に『愉快なピーナッツ』を感じました。ことば選び、乗せ方、押韻の随所に『愉快なピーナッツ』を思います。「♪きょうもビールーをのんじゃった」のちょっとエスニックな節まわしに思い出すのは『Liberty&Gravity』。エレキ・シタールもいますね。コンガがトコトコパカリと聴こえます。エンディング付近にインドのタブラにも似た太鼓の音がしますがこちらはコンガではなくプログラミングでしょうか。英語をふんだんに用いてことばの響きのするどさ、エッジ、リズム感を拓いているように思います。具体的にどこがというわけではないのですが、その態度に『琥珀色の街、上海蟹の朝』の言葉のキレを思い出します。トランペットが重奏でオブリガード。ファンファンの重ね録りでしょうか。缶ビールの開栓音でフィニッシュ。異国の粉モンを焼いたのとか揚げたのをつまみに多国籍な打ち上げがはじまりそうです。アルバムは缶チューハイではじまり、缶ビールで結ぶ…。
2020年
感想
くるりメンバーのラジオ出演などを聴くに、本人たちがこのアルバムの評価を未知のものとしていて、どこをほめていいのかわからないからほめてほしい、といった主旨の発言をしていました。
『天才の愛』に含まれる音楽をひとつに分類するのは難しいですが、反対に、さまざまなエッセンスのコラージュのようでもあります。聴いていて、くるりの既存曲の遺伝子を感じるところが多々ありました。くるりはいつも新しいことをやっていますが、「自分たちがやってきたこと」を踏襲して新しさを開拓していると思います。どんどんマップが広がっているのです。
交響曲を発表したり作曲家仕事を受けたりといった近年の岸田繁個人ワークの蓄積、それからコロナ禍という社会背景もくるり『天才の愛』には影響していると思います。多様な音楽の実践知、もっと端的に言うと作品へのプログラミングの介入度、音の加工・編集・レイアウトなどの複雑・高等さ。人のつながりを断絶した社会の情勢が、個人ワークに成せる部分を醸成したり成長の背中を押したりしたところが少なからずあるのではないでしょうか。
また、(コロナ禍の影響で)時間があったおかげで音律への深い追求ができたといったことも種々のメディアにおけるメンバーの発言からも窺い知れます。個別の瞬間・瞬間の音の響きへの疑問をひとつずつ解決していった結果、そのようになった(平均律以外の音律を部分的に適用した)ようです。
メロディ・コード・歌詞・リズムパターンといったものは、曲のアイデンティティとして重要な部分であることは間違いないと思いますが、それらの外側の範疇にまで心血を注いだ高みがこの『天才の愛』には表れているのだと思います。タイトルの通りですね。そんなところまで追求するのは天才か変態くらいのものでしょうか。同時に、音楽は自由ですし、メロディ・コード・歌詞・リズムパターンといったものでさえひとつの要素に過ぎないことを教えてくれます。
結果、出来上がったものは「新しく」、これが大衆性を獲得するかどうかまだなんともいえないのがメンバー本人らの口述かもしれませんが、きっとそうなることを本能で直感しているから走り切れたのではないでしょうか。リスナーの直感もそのようにとらえているのじゃないかと思います。しかも、その「新しさ」は前項に述べたように、きちんとくるりが自分たちのリソースを活かしてさらに延伸・進展したものであるからして、何も極端な舵のとり方をした突飛なものでなく、フックの効いたくるりなりの王道なのではないでしょうか。
「フラレディ」の「チラ聴き回」にコメントを寄せた音楽ライターの岡村詩野氏に賛同するような意見ですが、『益荒男さん』は流行歌の歴史に推力を与えつつ新しさを加味して提示した1曲で、『天才の愛』のひとつの核ではないでしょうか。「天才」は「革新性」の象徴。「愛」は「大衆性」や「普遍性」との接点。『益荒男さん』はそのバランス感覚に特に優れた1曲だと思いますが、アルバム全体がその主題のもとに統率されているようにも思えます。
『大阪万博』は先進の極みで、「天才」か「愛」でいえば「天才」のほう。でも「万博」というモチーフもあり、もちろん大衆を包含しています。というか大衆の頭上を見ている感じがする、変態性ほとばしる1曲です。こちらはアナログ盤のシングルの受注生産販売があり、私は購入して45回転の音質を夜な夜なヘッドフォンで聴いたらあまりの音の良さと迫力に度肝を抜かれました(私が心底・本心で「度肝を抜かれた」などという表現を用いるのはこれっきりな気がします……いえ、あるいはくるりならば、またやってくれるでしょう)。1人でリズムに合わせて体を小刻みに激しく揺らしている自分が変態の類に思えて痛快な体験でした。
ここまで私なりに、わかりづらく・まわりくどくほめまくったつもりですが、長くなってしまったので飛ばしてここだけ読んだあなたがいないとも限りません。無理矢理にでもまとめておきましょう。『天才の愛』は、変態の楽しみをシェアする革新の大衆アルバムです。(……ピンと来ません?)
青沼詩郎