李礼仙(李麗仙)『ジュクに風が吹く』を聴く
肝の据わった発声。ウットリする堂々とした響きです。演劇で活躍した方でもあるようですし、聴きやすい発音。さすがです。
女声としては低めのポジションかもしれません。曲中の音域はいちばん高くても上のGくらい。下はE♭。1オクターブと長3度におさまります。人によっては同じキーのまま男声でも歌えるくらいです。
イントロからハーモニカがご哀愁。ハンドビブラートに心のゆらめき。
1コーラス目の落ち着いたアンサンブルが妙。ピアノを主体に、音の切り方などに品の漂うプレーンなベースがリズムを出します。打楽器類はタンバリン。このまま最後まで聴いていても満足のコンパクトなオケと堂々の主役(ボーカル)。
曲が進行し、ドラムスが太い地盤を提示。エレキギターはブリッジミュートで余韻の短い、ぽつねんとした寂しさ漂うパーカッシブな演奏。
サビでエレクトリック・ギターのオブリガード。年季を感じる燻銀な光です。ハーモニカとエレキギターがオブリガードのバトンを渡しあい、絶妙に入れ替わります。
木管楽器はクラリネットでしょうか。これまた、風が吹き抜ける枯れた質感。なんとも哀愁ある音色です。
3コーラス目あたりでシンセサイザーの登場でしょうか。時報や夕焼けチャイムのような、まっすぐな伸びでぽつねんとし人工的な音色がまた寂しい。最後のサビの尻に残るオルガンのトーンも情感のゆらぎです。
エンディングには風の効果音。音楽の額縁をぼかし、遠く吹き消してしまう無情。
ジュクって新宿なのか
私がはじめてこの曲に出会ったのは去年(2021)。サブスクリプション音楽サービス上でした。歌謡曲をヘビィに聴取しているこの頃。似通った地域・年代・ジャンルの曲を延々とランダム再生する機能があり、そこで巡り合った曲の中に気に入ったものがあると、その曲が含まれたアルバムや関連のあるほかのコンピレーションをたどる、という音楽サーフィンを年がら年中やっています。
『ジュクに風が吹く』は1979年に発売された李礼仙(1987年に李麗仙へ改名)のアルバム『情歌抄 ひとりぼっちの朝の鎮魂歌』に収録されています。作詞者は唐十郎(から・じゅうろう)、作曲者は櫻井順。
編曲者がクニ河内で、彼を『健さん愛してる』の作曲者として名前と作品を結びつけて認知して以来、私のお気に入りかつ尊敬の対象。
初めてサブスクで『ジュクに風が吹く』をさらりと聴き流したときは、そのサウンドや音楽の居住まいに惹かれてポンと軽くプレイリストに加えてそれっきりでした。
あらためて今回、目がとまる。「ジュク」とはどこか。なんなのか。
架空の街でしょうか。施設の名前? なぜだかアジアっぽいと思いました。発音やカタカナ表記のせいか。「宿(じゅく・しゅく)」を思わせる発音だから、施設や地名、それもアジアのどこかを私は想像したのかもしれません。
一方、たとえば「●●宿」という固有名詞だったら、そう表記すれば済むはずです。ですが、表記は「ジュク」。このたたずまいに、強烈なキャラクターが宿ります。フィクション、架空の物語中の固有名詞としての個性、アクの強さ。
初めてこの曲に出会って何気なくプレイリストに入れてから時間が経ち、ふと今朝、久しぶりに聴く。今更ながら「ジュクって何?」と疑問がわきました。安易なネットユーザーの私は検索。……そうか。新宿。
地名を略して呼ぶことがあります。池袋はブクロ。高田馬場はババ。私の居住地域近辺の目立つ都市として思いつく、地名の略称。
新宿を「ジュク」と略す表現があると初めて知りました。私は新宿を指して「ジュク」と表現する誰かと話した経験もありませんでした。
芸能、お水、ほかきわどい生業(あるいは完全アウトな稼業)? などをされている方々に、こういった略称を用いる人がいるんだとかいたんだとか(参考:Yahoo!知恵袋)。ほかにも私が初めて知る略称が中にはあって、驚きます。限定的に通じる名詞表現を共有することで、おなじ街や業界を闊歩する者どうしの連帯感を知覚できるのかもしれません。
現実と想像が入り混じる固有名詞
実在の地名であっても、その表現(表記や発音)にひとひねりあるだけで、まるでおとぎ・空想の物語の固有名詞のような印象を与えうることを『ジュクに風が吹く』は教えてくれます。
「フィクションの名詞?」と迷いましたが、「ジュク」は実在する街、新宿のことです。実在する略称だからこそ、リアルの強度とフィクションの世界であるかのようなエンターテイメントのにおいを両立します……あくまで私にとって、ですが。
実在の街をモデルにしていても、略称をもちいることで、ワンクッション。主観のフィルターを1枚通すことになります。主人公の目線でしょうか。
新宿は、共有物です。多くの人にとっての新宿があります。ですが、新宿を知る人の数だけ、新宿像があるのです。その一つひとつが虚像と実像の混じった、固有の真実。真実も人の数だけあるのです。
「ジュク」と表現することで、実在する新宿はそれとして、主人公あるいはストーリー・テラーが観測する固有の新宿の姿を語る視点を、鑑賞者に認めさせることができます。『ジュクに風が吹く』のいっとう魅力なところです。
“ジュクに風が吹いていら いつもと変わらぬバカな風 わざとよろけて肩すり合わせ 似た人さがそか かもろうか 振り返る 振り返る ジュクの町 すると 天井のない長い廊下ね”(『ジュクに風が吹く』より、作詞:櫻井順)
口語をもちいた作詞。観察の主、主人公の目線を演出する言葉遣いの特徴。江戸っ子といいますか、ぶっきらぼうでがさつな印象です。厳しい都市のくらし。だまし・だまされ、食い・食われを繰り返し、世を渡ってきたような、擦れた人格を想像します。
”天井のない長い廊下“は、新宿のどこかにある通りを想起させます。虚像と実像の入り混じる、幻想かつ主人公だけのたったひとつの真実としての「ジュク(新宿)」の景色です。
アスファルトやコンクリートが延々と敷かれた路上。高くそびえる摩天楼がほうぼうの空をふさぐ。私の記憶のジュク(新宿)はそんな場所ですが、主人公らの知覚するジュクの風景はだいぶ(時代的にも)異なるものかもしれません。それでいて、私のジュクも主人公のジュクも、現実と想像の地平、ひとつづきの時空のもとに存在して思えます。実在する街・新宿が、軸、蝶番のような機能を果たし、私やあなたや物語の主人公はつながることができるのです。現実の新宿を幹に、各々のジュクが派生している……そんなイメージです。
『ジュクに風が吹く』ソングライティング面で私が好きな細部
・ことばづかい。「〜してらぁ」「カモろうか」(そもそもタイトルの表現「ジュク」も人格の顕現)。3番「狂い虹」。虹に対して「狂い」の形容が斬新。「怨歌」のような情念漂いますが、都市の情景は殺伐として空虚。
・メロディのなめらかさと跳躍。階段をのぼりおりするような順次進行に、大小の音程の跳躍が機微を与えます。3拍子の輪廻。タッカタッカとハネたトリプレットのリズム、ノリにかろみを感じます。5小節のまとまりを基にしており、間(ま)の演出、余白のつかいかたがオシャン(おしゃれ)です。
歌い出し。提示の1段目。ちょっとずつ高揚する音程のポジション。
1段目の再提示。音数をちょっと増やします。4小節目、「バカな風(かぜ)」の音程が1段目との差異。短3度跳躍し、1段目よりも不安定なところに音程をポイントします。
高い音程のポジションから3〜4小節目でなめらかに降りてきます。優雅で品を感じるメロディです。大人の洗練。
直前の3段目とは対照的に、低いポジションから始めてヒラリと舞い上がり、かと思えば3小節目「かもろうか」で急な滑落。5度下行跳躍が無情。
同音連打の多用で、1〜4段目と性格の違いを際立たせます。主人公の身体の近くの描写から、主人公が振り返って眺めたジュク(街並み)の景観へ、視覚の転換をはかります。歌詞が転換するところで音楽(メロディ、音形など)の転換もはかっているようです。
5小節のまとまりのペースで来ていた1〜5段目ですが、6段目だけは主音(ファ、F)のトドメが6小節目の頭に出ました。人間に対して無情な都市の面(ツラ)を横目に、はみ出す主人公の心情を思います。
順次進行の上行(1小節目「すると」)や下行(5小節目「廊下ね」)、上行跳躍(2小節目「天井のない」)や長6度の大きな下行跳躍(4小節目「長い」)。メロディの音形パターン豊か。さまざまな場面があったかもしれない「ジュク」のドラマを、無機質な「長い廊下」に象徴させ、集約。終止する主音(ファ)に、ジュクに背中を見せる主人公の姿が重なるかのよう。ご哀愁。
後記
歌い手の李麗仙(り・れいせん、イ・ヨソン)さん。2021年6月にご永眠とのこと。今の私に届く歌を残してくださりありがたく、尊い思いです。
朝日新聞デジタル>俳優の李麗仙さん死去 アングラ演劇、「金八先生」にも
李麗仙をちゃんと認知すると、私の記憶の引き出しでは、浅川マキの表現した数々の情念や哀愁との共鳴を覚えます。
仄暗く、ちょっとグレー。褪せた色調の深みにハマりそう。人をのみこむ街、ジュクのように。
青沼詩郎
『ジュクに風が吹く』を収録した李麗仙のアルバム『情歌抄 ひとりぼっちの鎮魂歌』(オリジナル発売年:1979)
『ジュクに風が吹く』を収録したオムニバス『GROOVIN’昭和!2~ベッドにばかりいるの』(2010)。中山千夏『くのいちブルース』(三上寛が作詞・作曲)、方怡珍(ファン・イーツン)『我愛你』(浜口庫之助が作詞・作曲)、平田隆夫とセルスターズ『ちっちゃな時から』(浅川マキが作詞、むつひろしが作曲)など、刺激的な出会いをたくさんもらったアルバム。
『ジュクに風が吹く』ほか収録、『R40’s 本命 魅惑の女優たち』(2013)。
ご笑覧ください 拙演