朝陽がサン 吉田拓郎 曲の名義、発表の概要
作詞:吉田拓郎・福岡英典、作曲:吉田拓郎。吉田拓郎のシングル『いくつになっても happy birthday』(2001)、アルバム『こんにちわ』(2001)に収録。
吉田拓郎 朝陽がサン(アルバム『こんにちわ』収録)を聴く
まずタイトルに惹かれました。吉田拓郎さんはキャリアが長い。作品数も多い。私は、古参ファンからみたらペエペエでしょう。まだまだ拓郎さん作品の時系列や、そのディスコグラフィ・バイオグラフィが断片的でアトランダムです。ですから、たまたま見かけた曲名に引力を感じたらその時点で聴いてみる。そんな出会い方をしているサブスク時代の私です。
『朝陽がサン』。タイトルからして、語句の意味が一部カブっているではありませんか。たとえば『バターロールがパン』。『レッドが暖色』。『パスタが麺』。そんな感じでしょうか……(意味が一部カブっている、の意味が伝わればじゅうぶんです)。
ですがそんな私の陳腐な例えの並列とはやはり隔絶があります。朝陽が……と来て、「サン」。燦々と輝く、といった日本語表現があります。それと、Sun(太陽)がかかっている、ダブルミーニングになっているのですね。深いというよりはシンプルであっけらかんとしていてサバけています。それがこの楽曲の主題であり、快さの源です。
鈴木茂さんがギターで携わっているようなのも私を惹きつけたポイントです。
きらびやかなギターのサウンドが、陽光のように降り注いで輝きます。鈴木茂さんで私がイメージするギターは絶対ストラトキャスター。『朝陽がサン』に用いられているギターの音も、聴いてみるに、いかにもストラトキャスターらしい、輪郭のタイトでくっきりとして歯切れと流れのよいサウンドを感じます。これがストラトキャスター以外の一体なんだというのだ!(実際に使われた機材の詳細まで私は知りませんが……)
ズン、ズン、ズン、ズン……と実直な歩みをうつすキックの四つ打ち。ベースが強調するのはAmとCを繰り返すばかりのコード、思わず愚直と口が滑ってしまいそうなシンプルな進行。特殊な条件が揃いでもしない限りは、陽光はまっすぐにやってくる性質のもの……ですからこれでいいのです、ビートも和音進行も、このまっすぐさでいいのです‼︎ 音楽の主題・曲想と、オトのデザインが合致しているのです。これこそ気持ちのいい朝だ。
燦燦でSunの愛着と威勢
朝日がサン おはようサン 社会の皆サマ おはようサン 君のおはようは元気ですか How are you 今日は新しい一日であります 最初のステップ 気合のステップ 大事なステップ 踏み出す時がきた
朝日がサン おはようサン 朝日がサンサン おはようサン
『朝陽がサン』より、作詞:吉田拓郎・福岡英典
言葉の意匠も陽光のように屈折なく、まっすぐです。「燦燦」「Sun」だけじゃなかった……敬意や愛着を込める意味の「〜さん」もありました。あるいは語気に威勢の良さをもたせる「〜サン!」(お待ちどぉサン! とか)。
怒られる覚悟でいえば、もうただのダジャレです。いいんだよ、ひねっちゃダメなんだこの曲は。朝いちばんに顔をつき合わせてイキナリ、哲学的で深淵な課題や文学的な含蓄の混沌を突きつけられて気持ちのいい人間がこの世のどこにいる? そんな人はたぶん一晩寝ずに人生の意味や芸術の価値を考え続けた末に朝を迎えてしまってやっとのことで外の空気を吸いに這い出た一握りの奇特な人だけだよ(そんな人いるのか知らん)。その奇特な人だってきっと、長い夜を経た部屋を這い出してバッタリ出会う人に声をかけられるなら、ムズカシイことは願い下げのはずです。
朝一番に万人が通じ合える思念なんてのは、「おはようサン!」の一言が最好に決まっているのだ。これはコミュニケーションの真髄で本質だと思うのです。燦燦でSunの愛着と威勢なのさ!
ネット上の皆サマ、おはようサン☀️ このサイトを訪れてここまで読んでくださって、ありがとサン✋
青沼詩郎
参考Wikipedia>いくつになっても happy birthday、こんにちわ (アルバム)
参考リンク 星紀行(Hoshikikou)さんによるWebサイト t.y lifeより、朝陽がサン
連名の作詞が気になりましたが、権利関係の問題を解決する対応としてこのようになった旨が読み取れます。「〜サン」なんてのはそもそも普遍的で陽気な表現ですから、世界中のあらゆるところでカブってこそ自然ですね。なんならもっと使われれば世の中が多少明るくなるんじゃないかしら? そもそも誰かが独占していい表現でもないのかもしれません。
『朝陽がサン』を収録した吉田拓郎のアルバム『こんにちわ』(2001)
ご寛容ください 拙演(YouTubeへのリンクShiro Aonuma @bandshijin『朝陽がサン(吉田拓郎の曲)ギター弾き語りとハーモニカ』)