心を強く保つマジカル
松たか子さんのデビュー曲。春の時候にラジオで流れることもさもありなん、私も最近ラジオで聴いてこの楽曲を思い出しました。リリース当時もたぶんテレビなどのメディアで触れたことがあると思います。
この曲を収録したファーストアルバムで松たか子さんは自身のピアノ演奏のみによるインスト曲を収録してもいます。精緻で純白な歌の完璧さ。のちの時代に「アナ雪」でも活躍される未来がこの楽曲のなかにも「春」として隠されているかもわかりません。完璧なまでの多才さとその深度、純度に頭がさがります。
本曲のⅣ、Ⅲm、Ⅵmをひたらすら繰り返すコード進行は、いつまでたっても春「Ⅰ(一度の和音)」がやってきてくれない……いえ、いつか来るかもしれないその時を待つ長い長い時間を永遠に真空パックしてしまった意匠のように思えます。やっと変化が兆したかとおもったら、4・3・6のコード進行が4・5・3・6にちょっと変わっただけ……というイケズ感。あくまで、春が来るその時を待つのが本曲の主題であり絶対的な命運なのです。
メロは春に向かって猛然とかけだしそうなときめく心を表現する16分割の譜割とアウフタクトのメロディが動的で活発です。対してサビ「あーした、はるがきたら……」のところは8分音符の譜割を基調にしており落ち着いた心に立ち返ってもやはり君に会いに行けたら……という願いが確かであることをリスナーに宣言します。
主人公は君とベタベタに結ばれる様子はありません。むしろ一定の距離を保つ、その存在を間接的に示す映像や小物(名詞)の描写によって心理・物理両面の孤独感を演出し恋しさを際立せます。
一定の距離は尊敬のあらわれ(相手の自由を侵害しない尊重)だとも思えますので、そこが私がこの曲に大きな好感を抱く基本的なポリシーです。時が止まったかのように思えるくらいに鮮烈に焼きつき、未来にわたって己の行動指針となり、理想の風景の象徴であり続ける……主人公と君が接点を持つ一瞬の出来事が、夕立が晴れる情景のもとにおとずれたことがただの一度でもあったのでしょうか。
心を強く保つことができる支えになる思い出って、それが起きた時間的な幅がたとえ一瞬であっても、回数がたった一度きりであっても、長く長く春を待ち続ける忍耐と耐久を個人にもたらすほどの乗数的な神秘の魔力を纏うものです。
明日、春が来たら 松たか子 曲の名義、発表の概要
作詞:坂本裕二、作曲・編曲:日向大介。松たか子のシングル、アルバム『空の鏡』(1997)に収録。
松たか子 明日、春が来たら(アルバム『空の鏡』収録)を聴く
エレピやアコギのちゅるっとしたやわらかく輝かしい響きを供にAメロはじまり。
やがてDJがクロスフェードをかけるように4つ打ちビートが重なってきます。右トラックにはエレキギターのリズム。ドン、ドン、の4つの表拍が強調されますが、なんだか少しハネたスウィング感があるリズムで、松さんの歌とソングライティング自体のまっすぐで潔白な精神に都会的なテクスチャの背景を敷くことに成功しています。
サビを経ると2・4拍目のキックのパターンでリズムを間引きます。Aメロはリズムのかっちりした定規の目盛りの存在感を薄めることで、ボーカルの16分割の駆け出しそうな抑揚に光を当てます。そしてふたたびBメロをむかえつつリズムトラックDJもまたフェードインをかけてきます、ズン、ズン、ズン、ズン……春の足音が聞こえてきては遠ざかります。セクション単位くらいの離れ具合で観察するとビート(リズムトラック)の密度や距離によって緩急が演出されているのがわかります。コード進行がずっと4・3・6もしくは4・5・3・6で変化が少ないからこそ、こうしたビート面での緩急が活きてきますしボーカルメロディのちょっとしたセクション別のキャラの違いに注意がいきやすい。トータルで見せたいものに適切な衣装を着せ、適切な背景をレイヤーしてあげる編曲のお手本です。
最後のフェードアウトがせつない。松さんの純潔な歌声をずっと聴いていたい後ろ髪ひかれる感にのしかかり、おおいつくすように、また日常の輪廻の4つ打ちが私にかむさって来るのです。遠いか近いかもわからない春を望む気持ちだけを生きる原動力に……。
青沼詩郎
『明日、春が来たら』を収録した松たか子のアルバム『空の鏡』(1997)