純真と想像をいつも胸に
本曲を収録したアルバムは、今風にいうとスプリットアルバムでしょうか。アングラ・レコード・クラブ会員向けに配布されたアルバムだったといいます。A面が高田渡さんのライブテイク、B面が五つの赤い風船の楽曲。
アコギのスリーフィンガー奏法でぽろぽろと紡がれる、さっそうとした曲調。終始、女声と男声がハーモニー(字ハモ)でシンクロし、歌詞の内容を主張する人格自体が群集であるのを思わせます。こうした、「わたしたちは××……」といった主語がwe, our, usなどと複数になりがちなのはこの時代の日本のフォークミュージックの典型アプローチである気もする一方、もしも自分に羽根があったら? というifは普遍的で、とても至りがちで大衆的な理想・イマジネーションの境地であり実に象徴的です。赤い鳥『翼をください』などという名曲もありますね。
誰もが想像しがちな「if」(仮定の理想)であるという意味では万人にやさしく、うがった見方をあえてすればイージーすぎるかもしれませんが、これもなかなかどうして、忙しく日々の勤労ルーティンに埋もれていると、そうした純真で普遍的な理想の錬磨・抽出・言及はどんどん優先度が下がるばかり、いつしか純真を忘れ、己や己を含めた家族単位や地域や社会にとっての本当の理想を見失い、へたをすれば己の暮らしを貶める元凶を己のルーティンへのこびりつきによって助長してしまいかねません。
だからこそ、こういった万人に通ずる理想を、「そんなイージーな理想を高らかに安直に唱えられても、おれには響かないもんね!」と横槍を入れる邪な輩がいくらいようとも、最低でも心に1ページくらいは綴っておかないと、最後に「こんなはずではなかった」と泣きをみるのは己であり己を含めた家族単位・地域・社会≒群集・大衆であると心しておくべきなのでしょう。
あなたは羽根があったらどこへ行きたいですか? 想像することから未来ははじまるのです。
ちなみに『もしも僕の背中に羽根が生えたら』『もしもボクの背中に羽根が生えたら』『もしも僕の背中に羽根が生えていたら』『もしも僕の背中に羽根が生えてたら』『もしもボクの背中に羽根が生えてたら』など、楽曲の表記の揺らぎが激しいです。日々の想像の積み重ねによって、現実のあなたの細部も揺らぐようか……。
もしも僕の背中に羽根が生えたら 五つの赤い風船 曲の名義、発表の概要
作詞・作曲:西岡たかし。高田渡/五つの赤い風船のアルバム『高田渡/五つの赤い風船』(1969)に収録。
五つの赤い風船 もしもボクの背中に羽根が生えたら(アルバム『高田渡/五つの赤い風船』収録)を聴く
マスターテープの状態が悪くてなんだか音が揺らいでいるのかな……? と思ったら違い、意図的なものでした。
オケトラックと、ボーカルのトラックが、左に、右にとコーラスごとにいちいち左右が入れ替わるミックスになっています。まさしく、背中に翼があって、いろんな場所(定位)へぱっと現れたかと思えばすかさずまた別の場所へ転生している……そんな歌詞の内容を意匠するミックス上の演出に思えます。
上のボーカルと下のボーカルが非常に調和しており、声色にも協調性があります。下パートが西岡たかしさんによるハモりなのかな?と想像しますが、中性的で柔和な声色です。
アコギのスリーフィンガー調の軽快なパートを中心に、ベースはアコースティックベースでしょうか、低域の深い方向への広がりがあります。
理想へ向かって風が舞い上がるみたいなきらめき感を表現するのはビブラフォン(鉄琴の類)の音色でしょうか。グロッケンともちがうものか、カチンカチンと甲高いのではなく、ポクポクとマイルドなアタックと響きが耳にやさしく、理想への接近をやさしく私に提起します。
青沼詩郎
参考歌詞サイト 歌ネット>もしもボクの背中に羽根が生えていたら
『ボクの背中に羽根が生えたら』を収録した高田渡/五つの赤い風船のアルバム『高田渡/五つの赤い風船』(1969)